漢の道行き

2014年11月29日 不思議な話
漢の道行き
高倉健さん主演の人気シリーズ「昭和残侠伝」のラストは、いつも池部良との捨て身の殴り込み。


雪の中雨の中、ドスを持った2人が行く時、公開当時はスクリーンに向かって掛け声がかかったそうです。


いよ!お二人!


待ってました!

浅草のお店でも演劇用の模擬刀を扱っているので、お客さん達がサンプルを楽しそうに触ってるんだけど、今まで「長ドス」の事を何故かみんなが「木刀」と間違えてて、誰一人としてキチンと言えた試しが有りませんでした。


それがどういう訳かとある日曜日、中年のご夫婦が刀を見てて旦那さんが刀を手に「高倉健」と言ったのですわ。

で、わしを見て「ね!」と。


なのでわしもつい嬉しくなり、お客さんに「じゃあ、池部良と道行きしなきゃあ」と答えたら、嬉しそうに大笑いしてました。


それが今月の9日の午後の出来事。


まさかその12時間後に健さんが逝くなんて………。



何と無く、不思議な感じがします。
11日の日曜日の夜放送されたNHKスペシャル「認知症」で紹介された7年前に保護された女性が、実は浅草の人だと言うのが解って翌日夫と対面。奇しくもその日は二人の40回目の結婚記念だった。

なんて言うタイミング。

http://www3.nhk.or.jp/shutoken-news/20140512/4376181.html

世の中は色々なコトが有るね。

メモメモ

2013年7月30日 不思議な話
凄く気になっている事柄をば。

⭐2010年3月10日 鎌倉、鶴岡八幡宮の樹齢1000年の大銀杏が突然倒れる。

やっぱり何か出てきたのかにゃ………。
最近意識して触れなかった話題を少し。

先週の水曜日、忙しいわ暑いわで大変な中わしが食べられるビーガン仕様のバースディ・ケーキを焼いてくれたやっさんと落ち合ってランチしながら、この日記を書き始めた理由の一つだったモノを思い出していた矢先、隅田川の花火が中止になった。

花火大会始まって以来初めての「中止」なんだそうだ。


やっさんとは「この世の不可思議な出来事」についてよく話が合うのでその日も色々な話題が出たんだけど、その中に以前沢木耕太郎が読売新聞に書いていた連載小説「声をたずねて君へ」も有った。


何かしらの宗教的な団体と不思議な縁を持つ失語症の主人公と、日本中の水源を枯らして行く女性との関係を絡め、この世を支える「柱」として、人として正しく生きている人達が淘汰され始め世界が次第に邪気で満たされるという、何とも恐いお話。

最終的にはまるでぶった切られる様に連載は終ってしまったので、後で修正加筆して単行本になるだろうからそしたら買おうと思ってたのに今だに出ないね〜、などと話していたのだ。


何と無く邪悪なモノが動き始めたとかね。

弥勒は産まれているのかしら、とかね。


こういう同人誌的な話をしている時が、一番落ち着く。


それも、全く特定の宗教とは関係ないのがいい。

やっさんホントに、何時もありがとう!


さてだ、本題。


隅田川の花火は、もともと江戸の疫病を鎮めるため龍神様に祈願したのが始まりだと聞いている。最初に祈願したのは鉄門海上人という超ストイックなお坊様。

実は花火大会とは関係無く、このお坊様の事を9年前に書いてました。↙
http://36711.diarynote.jp/200409101726470000/

一体どうしちゃったんだろう。封印が取れちやったのかしらん?


なんて呑気な事、そろそろ言ってられなくなりそうな感じなんですよ。

島根県津和野町では大きな神社のお膝元の集落が、今回の豪雨で大きな被害を受けたり、栃木県真岡市では渡御してたお神輿が流されちゃうし。↙
http://m.youtube.com/watch?v=w3n5yr0okCs&desktop_uri=%2Fwatch%3Fv%3Dw3n5yr0okCs


これって、お店に来るお客さんの「神楽やってま〜す。どこの神社?そんなんじゃありませんよ、ただの町内会の保存会です」という言葉と無関係ではない感じがしてて、実は恐い。


神楽って意味を、よくよく考えてほしいなぁと、切に思う。


人間がどんなに力を合わせたって、自然の力に敵う訳がないんだから。




渡川前

2013年4月29日 不思議な話
暗い夜だった。

雲の中をヒラヒラと、白く光る何かがとんでいる。


雲は私たちが居る石造りのテラスより遥か下にある。


それを欄干越しに見降ろして、師父が「superガール」と言った。


白人の兄さんが立ったままの姿勢で、荒れた流れの川に、小さなボートで漕ぎ出して行くのが見える。


あれはゴンドラ乗りだろうか?


川のほとりで、義母が死んだ娘の遺した孫娘たちの話をしている。


犬と、猫を飼っている、と。


気づくと、私は義母と二人で対岸の村に居た。


正確には、対岸らしき場所にいた。


川の流れが今までと反対に有ったのでそう思ったのだが、渡った覚えは無い。


多分、まだ、渡ってはいないのだろう。


そこは寂れた北の漁村の様な場所で、荒くれ者御用達と言った風情の食堂が有る。


義母に「橋が有れば良いのにね」と言ったら、少し寂しそうな顔をした。


あんなに荒れた暗く淋しい川岸にいる人を、今まで見た事がない。








生まれて初めて、母親の居ない一カ月を過ごしました。


10代の頃からそれは激しくぶつかった相手ですが、その分仲が良かったんでしょうねと言われると、そうだったのかも知れません。


なんやかんや言っても、楽しかった想い出の方が勝ります。


亡くなる一週間前にはわしの夢枕に立ってくれたし。


北国に向かう列車の待合室で、往年のハリウッド大女優の如く着飾った姿でわしの名前を呼び「愛してるよ~」とおどけて見せたんだものねぇ。


その傍らに14年前に亡くなったおばあちゃんがニコニコしながら、同じように北国仕様のよそ行きを着て座ってるのを見た時には「これは・・・ヤバイ」と思いましたさ。


大晦日に実家で紅白を見ながら姉夫婦と師父とでこの話をして、「そろそろ心の準備を」とか言ってた矢先の出来事でした。


そのおばあちゃんが亡くなる時には、姉の夢枕に立って「あたしゃ、あのバスに乗って行くよ」と言ったんだよねぇ。


一度目は一人でいたので、姉が必至になって止めたんだって。そしたら思いとどまってくれたんだけど、二回目は「あの人と行くよ」と誰かを指差して、同じバス停で別れを告げたんだそうだ。


おばあちゃんはバスで、かーちゃんは汽車で行ったのね。


それぞれお迎えが来てくれて、迷わずに逝けたんだね。



わしは誰が迎えに来てくれるんだろう。そして、誰を迎えに行くんだろう。



師父の父は悲しいかな自殺だった。49日を前にして義母の夢枕に立ったのはいいんだが、何と鬼の形相で「迎えに来たからドアを開けろーーーっ!」と怒鳴ったそうだ。あの知的で優しかった義父がである。


で、義母は恐れおののき「まだ行かねーーーーーっ!」と叫びながらドアを必至で押さえてたって、なんだかなぁ・・・・。


笑っていいのか、怖がるべきなのか。



そんなこんな話も、ぼちぼちと。




ナオちゃんに良く似た美人が、メリー・ポビンズの衣装を着てパラソル片手に空から降りて来た。


・・・ベランダに置いてある洗濯機とその後ろにある仕切り壁の間に。



その時わしはやっさんと二人でベランダに座り、足を手すりの間から投げ出してブラブラさせながら、何ということもない話をしている所だった。



誰かが空から降りて来たなぁと彼女の方を見ると、ナオちゃん似のメリー・ポピンズ風美女はにこにこ笑いながら「清めて、清めて」と大量の塩をわしらに向けて撒き始める。というか、投げつけて来たのだわ。



わしとやっさんは「しょっぱいよぉ」とか思ってる。




んで、目が覚めた。



夢だった。



変な夢だなぁとか思いながらいつも通りにご飯を食べ、その日は休みだったので師父が出かけてから洗濯でもすっかなと、いつも通りに洗濯機に洗い物をブっ込んでスイッチ・ポン。


そのまま掃除機をかけていた。


二層式を使っていた時はブザーの音でいちいち掃除の手を止めないとならなかったんだけど、全自動は最後まで行ってから可愛くピーピーなるので本当に便利。


気付いてみれば全自動洗濯機と付き合い始めて早丸17年。我が家の洗濯機は18年目になったのよね。


初めての全自動で17年。よく働いてくれてるよなぁ、長いなぁとか思ってたら、いつまで経ってもピーピーが聞こえない。



妙に変だなぁ~と思ってベランダを覗くと、大変っ!水が漏れだしてるぢゃないの。!!!


あわてて洗濯機のフタを開けたらば、水は溜まらずに洗濯物だけが「一回は洗ったかも」ってな様子でヘタっと底に張り付いている。



仕事の途中で逝ってしまわれたのですな。(涙



あっぱれな大往生でした。



夏の初めにホースを交換した時に、修理の人が「有る意味レア物っす。そろそろ買い替えの方がいいですよ。本当に修理します?」と確認を取った程古いタイプだ。


あの時はまだ動いてたので一応修理してもらったけど、今度ばかりはどうにもならない。


漏れちゃってるんじゃ、しょうがない。



あの夢は、正に家電の神様が我が家の洗濯機の魂を引き取りに来てくれたって意味だったのかすら・・・・・・。



どっちにせよ空から降りて来た美女にお清めして貰ったんだから、この洗濯機はきちんとお役を務めあげたって事よね。



などと自分を納得させつつ、その日は久しぶりに「たらいで手洗い」しましたわよ。もう泣きの涙で。(嘘)結構楽しい♪



コインランドリーに行くって言う手もあったんだけど、悲しいかな近所に清潔そうなランドリーが見当たらないんだわ。有っても駐車場が無いし遠いしで、手洗いした方が早いとなったのさ。有りがたい事に脱水はキチンと出来るからね。


そう、意外に洗濯って楽しい。おまけに無心に成れるし。


綺麗になっていく様を見るのって、かなり癒されるんだね。



・・・、これが一生続くとなると、また別の話なんだがの。



それからは新しい洗濯機の物色に時間を費やし、お昼休みも松屋の家電売り場をうろついて、あれこれ品定め。


しかし物色中に、夢の中で美女から一緒に塩をかけられたやっさんが「今日浅草にいくんだけど、店番してる日?」なんていうメールを送ってくるんだからねぇ。



なんだかなぁ・・・・・



色々見て回って、結局新宿のヨドバシで決めた。


値段的にはどこも同じようなもん。だけど実際に見て触らないとね。大型店舗は展示品の数が多くて、却って目移りしちゃうけど、たまには楽しい時間になった。


新しいのも、長く頑張ってくれるといいんだけどね。



つーか、使いこなせるのかすら、ワタクシ少し不安です。








21日の朝、変な変な夢を見た。

とあるマンションの一室で男が死んでいるらしいので、見に行くという内容。


ドアは開いているけど、やたらに触って指紋が残ると面倒なので手のひらを上にして部屋部屋を覗きこむ。

と、一番奥の部屋で布団に包まった男(らしい)が見えたんだけど、怖いので覗いただけで引き返すというものだった。



だから死んでいるとも、ただただ御籠りしているとも解らないんだがね。渋い縞模様の掛け布団が変に時代チックで、妙に印象に残ったりした。


しかし、お彼岸の入りに何でそんな夢見るかなぁ。


と思っていたら、墓参りに行った師父の実家で、義弟の奥さんの弟が八月末に自殺していたと聞いてびっくり。



借金苦だったらしいんだけど、その数カ月前から失踪していたんだそうだ。今は二人ともすでに亡くなっているけれど、両親の介護の時も何カ月か失踪してたとか。色々あったんだろうが、まだ30代だ。どうにもやり方は有っただろうにと思うと、何ともやりきれない。自分のお姉さんのダンナの父親とおじさんが自殺してるのを、知ってたんだろうにねぇ・・・。


と、暗い気持ちで家に帰って来たら、ファックスに師父の姐弟子が亡くなった旨の知らせが。



ひゃあ・・・・・。




すでに高齢で病気を持っていたとはいえ、春のイベントには観に来る元気もあった方だ。葬儀にはどうするのがいいのかなどと悶々としながら寝たら、次の日メールで今度は品川芸者の姐さんが亡くなった知らせが入った。


あれまぁ・・・・・。


こちらも重い病を持ちながら懸命に仕事を続けていた姐さんで、国立でやる娘さんの名披露目を間近に控えていた矢先。


わしの携帯にはそのお知らせのメールがまだ消去しないで残っている。



死体を見に行く夢って、やっぱり何か起こる前触れなのかすら・・・・。



それにしてもこのお彼岸の最中は鉄道でも人身事故が多くて、浅草からの帰りにも電車に乗りながらフト「このまま終点まで行って、バスで帰ろう」と何故か思いながらも、いつものように乗換駅で降りていつもの電車に乗ろうとしたら「只今××駅で人身事故発生」のアナウンスが・・・・。



もっと早く気付けよ自分。何でいつも直前にならないと分かんないんだろう。使えないなぁ・・・・・。



結局また戻って終点まで行く電車に乗って、バスで帰ってきたんだけどねぇ、ホント切ないわぁ。



合掌。














サッチャーさんも、うちのかーちゃんも、どこかで「こんな青春絶対許せないっ!」とか思ってたかもな。

空から理不尽な爆弾が落ちて来て、あっという間に友達や家族が死んでいく中で、なぜか自分だけ生き残っちゃったという青春時代だったんだものな。

よく認知症の人に漢字の書き取りをさせようとか言う人がいるんだけど、あれどうよ。

まずは自信を取り戻させる方が重要なんぢゃなかろかね。

もちろん病気でないなら、ドリルはとてもいい練習材料だと思いますが。っーか、わしもせねばだ。

病気の人には先ず、なにより自信をつけてもらわないとイカンよ。

自分は自分のままでよし、という自信を。

生き残ってて、よし。

物忘れが多くなっても、よし。

まぁ、人それぞれなので、一概にくくる事は出来ないんだがの。

書けない漢字で余計な不安を植えつける結果になったら、症状は一気に進むよ、怖いよ。

認知症を患う人って、みんなどことなく自分に自信の無いというか、ありのままの自分を否定され続けた人たちが多い気がしてならない。

または、自分からありのままの自分を否定してしまった人。

弱かったり愚図だったり、意地悪だったり・・・

自分がマイナスだと思う自身の内面を、腑に落ちて認められたら、人は認知症にならずにすむのかなぁ。

じゃあ、自分の人となりを否定され続けたら・・・

やっぱ、絶望してボケるかもな。

病気は、内なる自殺だと思う。

心の何処かで、何かに絶望しているから人は病み、生きることを放棄してしまうと。

じゃあ、その「何か」が解ったら、病気は治るんだろうか。

昔、誰かが「ゴタイコウが動き出したら、もう止める事はできない」と叫んでるのを聞いている夢を見た事があった。

何の事やらわからないまま夢日記に書き留めてそのままほっぽっといたら、先日自立訓練の最中唐突に「後退功」という文字が頭の中に浮かんで来たのだ。

?後退功?

気功の仲間か?

自分で自分を後退させる気功なんてあるわけないんだけど、人には暗示というとても怖い気の流れが有る。

人に言われて何となくその気になる、とかね。

ブスでも親が毎日「可愛いっ!美人っ!」とほめ続けると、造作は変わらないけど表情は自信に満ちたいい顔になる、とか。

反対に美人なのに周りから手ひどい扱いを受けてたりすると、自信のない、悲しい魅力のない人になっちゃったり。

もしかしたら「後退功」っていうのもあるかもな。

怖い怖い。

まぁ、ボケちゃった人には、できる限り普通に、さりげなくやさしく接して自信をつけてもらいましょうよ。

とにかくほめてほめて褒め殺す位にすると、割に介護が楽になるかもよ。

禁句は「何で、こんな事が出来ないのよっ」とかの否定的な言葉だわな。「だめだ」とかね。

そもそもその類のセリフは、介護者自身の不安の表れ以外の何物でもないからだすよ。

病んでる人は、不安定な人の波動に敏感に反応するからね。

ここが正念場と思って、ドーンと構える事ですな。ハッタリでいいから。


寿命が尽きるまで、それ以上錆びるなっ!鉄の女。
ISBN:4816706453 単行本 西日本新聞社「食 くらし」取材班 西日本新聞社 2005/07 ¥500
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先週義母が入院した。

その前日に腰があまりに痛み、隣に住む親戚の人を呼んでしまったと師父の携帯に連絡が入った。

義弟の家にも電話を入れたけど、家族全員が仕事で出払っていたらしく出なかったという。

義弟の嫁さんに聞いたら「着信あったのは知ってる」だと。もうみんなかなり逃げの構えなんだわな。

義妹が亡くなって一年が過ぎた頃から、義母の体調不良が始まり、あっちが良くなるとこっちが悪いと次々に自己申告。

その度に義弟夫婦は手を尽くして世話を焼いていたんだけど、検査の結果は全て問題なし。要するに「病気になりたい病」なんだろう。それとも本当にどこかに重篤な因子が隠されてんのかなぁ。

普段があまりに丈夫だったので、少しでも体調が崩れると不安でパニックに襲われてしまうらしいのだ。

真夜中に震える声で「どうしょう、どうしょう」と電話して来た事もあった。

確かに1人暮らしで心細いのは判る。

だけど、母親が末期癌で死に掛けていて不安で仕方なく、自分の布団周りをゴミだの衣類だので一杯にしてしまった当時中学生だった同居している孫に対して、理解しようとする前に「居候のクセにっ!(汚くして気に食わない)」となじった人だ。

この孫は好きで義母の家に住んでいた訳ではない。義妹の亭主が「妻の治療代に窮して」破産宣告をして自宅を競売に出し、おまけにサッサと自分1人だけが住むアパートを借りてしまったので、彼女と高校生だった姉は仕方なく母の実家に身を寄せていたに過ぎない。

義母は他人と協力する前に他人を自分の意に従わせたいタイプなんだわな。能力もないくせに司令官然としていたいらしい。まぁそれももう叶わぬ夢だと思うけどね。

それにこの人には、本当に結婚前から散々ビックリする目に遭わされて来た。

それは義弟の嫁さんも同じ。だけど彼女はよくやったよ。本当によく面倒を見てくれた。

んで、去年のSOSメールへと続く。だ。「もう、ばーちゃんの面倒見られないっ!何で私だけが見なけりゃならないのっ」である。

あの時もわしと師父は「目が回るのなら大人しく寝ていろ。どこも異常が無いんだから」と言って義弟の家には迷惑かけるなと言い聞かせていたにも関らず、義弟の家で甘え好き勝手したらしい。

その時からあれだけ無条件で母思いだった義弟がようやくその本性を見破り、随分と母親を「怖い」存在としていた師父も、いまやすっかり精神的に親離れ出来た感がある。

何か不思議。自分で自分の立場を悪くしてくれるなんて・・・

まぁ、そうとは言っても息子と母親の関係は、娘と父親との関係に似て愛情が捻れてて厄介だがの。

んで、先週。

寒さのせいもあるんだろうが、あんまりイタイイタイと大騒ぎするので、電話ですこしキツく言って泣かせてしまったのですた。へぇ、わてがどす。

病気の姑を泣かす鬼嫁なんどすえ、わてって女は。

そしたら次の日我慢出来無い痛みで、もう即入院となった訳だ。落ち着いて考えたら「ツラ当て」みたいなもんかもね。

パニックになってドンドン逆上すると痛みに痛みがかぶさって、ついには制御不能の事態になるなんざ、わしや義弟の嫁さんは宣告承知だ。

わしは長い事子宮内膜症を患ってて、全身に転移した子宮内膜からの出血とあまりの痛さに失神した事さえある。いまでは年も年なんで随分軽くなったんだけど、やっぱりまだ先月みたいに貧血で動けなくなったりするんだわ。

義弟の嫁さんに至っては出産時に内臓が裂けてしまい一応縫ったんだけど、後でそこが化膿してもう一度縫い直した経験が有る。やっぱり体調が悪い時には痛むし、考えれば切ない傷だよ。その時無事授かった娘に言ったら、かえって彼女を傷つけるかも知れないし。

だけど、義母はそれをやってしまってなんの後ろ暗さも感じないらしい。

彼女の腰痛の根本的な原因は義弟を生んだ時腰の関節が外れた事によるものだ。考えたら、父と娘は2人とも生まれる時母親の肉体に一生残る傷を付けてるのか・・・

・・・術師、どうなの。この人達の場合は。

で、それをいちいち言う訳だ。本人のいる前で。切ないよ。特に男の子にしたら、自分のせいで母親が苦しんでるのを見るのは、ホント辛いと思うよ。

だから一生懸命世話してるのに・・・・・

先週の内にMRIとレントゲンを撮って、結果は異常なし。

だから本人は「内臓かもしれねぇな」と言っている。そのわりに食欲旺盛なんですけどね。

ちょうどお見舞いに行った日、昼食がご飯と味噌汁と小袋に入った醤油だけだったとぼやいてたので、思わず「あらおカアサンたら、私が初めておウチにお邪魔した時あなたが出した夕ご飯と同じぢゃないの」と突っ込みそうになって、あわてて「沈黙の行」に入りますただ。

あの時は本当にビックラだったし、師父も唖然とした夕食だった。目の前には白いご飯とけんちん汁、そしてお新香。

食べ物の恨みは恐ろしい。それから約10年位思いだすと腹が立ってたもの。

だけど、だ。

もしかしたら、あの時義母は初めて会う息子の彼女に緊張してうっかり忘れたのかも知れないと、今日になって思うのだ。

あの時まだ元気で生きていた義父と義祖母とで、別の部屋で食べていた義母は、本当におかずを出すのを忘れたのだと。

当時はあまりの事に愕然としてショックのあまり頭に血が上ってしまい、帰ってから実家の家族に文句タレてただけのわしなんだけど、もしあの時普通に「おかーさん、オカズは?」と聞いていたら「あ゛ーーーっごめんね、忘れてたっ」で済んだかも知れないのだ。

もし本当に用意していなかったら、師父との関係も随分かわっていたかも知れない。そう、道は色々に分かれているのだ。

で、義母は病院の人に言ったらしい、オカズが無かったんですがと。そしたらやはり「うっかり忘れ」ただけだった。あとで留守電に夕飯は豪華だったと嬉しそうな声が残されてたよ。

今は上手く文章に出来無いんだけど、人の人生の分かれ道って、こんな風に面白いイベントが起きてる時に決まるんではないかと思うわしだ。

ムカついて喧嘩になるのもドン暗くなって死にたくなるのも、殺したくなるのも、誰にもある当たり前の感情だと思う。

だけど、それをどう乗り切るのかで、後に来るイベントの質とタイミングが変わって来るんじゃなかろうか、と。諸行無情、ただ木霊が返ってくるだけなら、いい木霊が帰ってきて欲しい。

今回の事も、実際に本人は痛みを感じてるんだろうから、まぁ電話でキツい言い方してゴメンねと本人の前で謝ったよ。こうなったら早いもん勝ちかもだ。手元に悪いカードを残しておくのは嫌だもの。

そしたら、なんだか嫌な気配がモヤモヤとわしから義母の方に移って行った気がした。勿論単なる「気のせい」だとは思うけど・・・

その時、義母は物凄くヘンテコな顔してたなぁ。思い切り想定外って表情浮かべてた。

言霊は必ず返って来る。気をつけよう。

帰りに病室の名前を何気に見たら、2人部屋のもう1人の人は義母と別の字をつかった同名なのに気付いた。

苗字の違う同じ名前の人と同室。

これは結構重要なイベントだった・・・かもな。

これについては、また今度。

けなげ

2007年2月17日 不思議な話
今日の午前中寝ていて、またヘンテコな夢を見た。

死んだ人用の祭壇を作っているんだけど、どうも周りにいる従弟達の要領が悪いので、わしが全部壊して1人で作り直しているというものだった。


そしたら師父の弟が来て「手の感触が戻ってきた」とか言ってる。


現実の話として、彼の手が悪いという訳じゃないとは思うんだけど、祭壇を作り直してる最中にそういう事言われると、何となく何か関係あんのかなと、つい思ってしまうよな。


そしたら何となく、今週見た「死んだ人関連の夢」のつじつまが合って来たのさ。

今までわしの夢に出て来た「死んだ人達」は、みんな元気で楽しく遊んでるのが普通なのに、今週見たのは揃いも揃って具合が悪くていかにもヤバそうな感じばかり。

その中で、ストレッチャーに乗せられて運ばれる途中の父が何か言うのだ。ゴニョゴニョと。

その時は覚えていなかった。勿論今もハッキリとは思い出せない。

それなのに、今日の午前中に見た夢の中で、もう一度その言葉を聞いた様な気がするのだ。

「順番を間違えちゃいけないよ」と。


なんとなく、父はそう言った様な気がするのだ。

起きてからボ〜っと考えてたら、何となく、母の友達の仕立て屋さんが亡くなった時の事を思い出した。

その方は母1人娘1人で頑張って仕事をしていた人で、母親がボケてしまった後も、介護と仕事の両方に手を抜かず励み、結局母親よりも早く亡くなってしまったのだった。

介護していた側が倒れて先に亡くなる話は時々耳にする。

あれは疲れもあるんだろうが、もしかしたら強烈な「欲」に、片方の寿命が取り食われてしまったのかもとか思う時もある。

子供が沢山生まれる家は、順当に年寄りが亡くなる比率が高い。

だけど、子供が生まれないと、変に寿命が長くなったり、逆さ仏が出る確率も高くなりはしないか?

逆さ仏って考えたら怖い表現だよね。親より先に死ぬ子供の事だがの。

命は順番に生まれては死んでいく。そのバランスは誰が管理してるんだろう。


考えてみたら、師父の弟の所でも、最初の子供を堕ろしていた。だけどその話は、現在スクスクと育っている一人娘にはしてないそうだ。

現在師父の母親は難治性の耳鳴りで参っている。弟の子供を堕ろす話に一番深く関与した1人だ。というか、唯一の生き残りだ。

あの時は一方的に現在の嫁を非難したそうだが、今は一番世話になっている。


その事について嫁さんに謝ったりしてるんだろうか・・・。すっかり忘れてるだろうか。


耳鳴りが始まったのは、嫁さんの母親が亡くなってからだ。

病気になるのって、やっぱり何かのサインなのかしらねぇ・・・

で、なんで荻野アンナなのか。

今読売新聞に連載されてる彼女の老親介護エッセーを読んでいて、一人娘のけなげさを知るにつれ、彼女が段々と力の抜き方を学んでいく様を嬉しく思うのだ。

いゃいゃ、この写真の本とは無関係だがの。ゴメンよ紛らわしくて。

シンどければ休んでいいし、それが出来なきゃ病院で倒れたって罰は当たらない。

親の生きる「欲」に取り殺されて寿命を縮める方が、よっぽどバチ当たりだと思うのさ。



な〜んちて、これは風邪を理由に明日ボケかーちゃん介護に行かない事への、自己弁護なんだがの。ホッホッホ。



というわけで、農歴元旦の明日、わしゃヌクヌクとおこたで東京マラソン見るど。折り返し地点の浅草は忙しいのかすらねぇ(人ごと)。

蟲師

2006年5月24日 不思議な話
DVD エイベックス・マーケティング・コミュニケーションズ 2006/03/29 ¥11,970
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只今我が家で大ブーム。

ギンコ好きだ。このキャラ最高っ!!!

話もいいしね。

20歳の時運転中に見た「虹の根元」を思い出すよ。

川から立ち上る大きな虹の根元。向こうの景色が虹色に透けて見えたっけ。

でも実は、その頃にはもうその川はなくなってたって事に気付いたのは、少し後になってから。

昔は確かにあったんだけど、わしが見たと言った年には、もう道路工事で潰された後だった。

わしゃ一体何を見たんだろうって、ずっと気になってたのさ。

あれって、もしかしたら、本当は「蟲」だったのかもな。
DVD 東映 2002/07/21 ¥4,725
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洋の東西を問わず、昔から妖怪変化に化かされたの騙されたの、または「かどわかされた」だの、まぁ暇が無いのだが、術師と一緒に行動してると、その実態というか、これって本当なんだよなぁと実感する事が多い。

人や物に何が憑いて居るのかなんてのは、私が知らなくても良い事なんだけど、実際問題として、今現在私たちが生きている世界の中で、明らかに目に見えない「チカラ」が存在するのは体験として判る。

それらはひとくくりで断定出来無い様な、実に様々な「チカラ」の事。

意志があったり無かったり。心が有ったり無かったり。

単に動いて行くものだったり、とどまっているものだったり。

そんなものに、私達はいちいち取り憑かれちゃあ、あっちウロウロこっちウロウロしてるのかもな。

その中にはとても邪気を孕んだものだって勿論あるだろう。

そういう「もの」と関ると、大抵の場合あちらが嫌がったり好き好んだりして、何らかのアクションを起こして来る。

「エクソシスト」や「白蛇伝」などでも判り易く表現されてるけど、自分と反りの会わない者を排除しようとしたり、反対に取殺したりするのだ。

それらが仕掛ける罠は、実に巧妙で、一件わかりにくい。

でも、明らかにこちらにダメージを与えて、屈服させるだけの力を見せ付けて来るので、区別はつく。

そんな邪気に負けるなよって言いたいけど、負けたっていいさ。

それがあなたの人生ならね。

誰でも自分の人生の中に、必ず大きなウイーク・ポイントを持って生まれているので、邪気は其処を集中的に突いて来る訳だ。

まるで最初から「ここに穴が開いてますから、どうぞ引き裂いてくださいよ」と自ら言っている様でもある。

どんな穴なのかを知っていれば、それが予防策になるんだろうか。

四柱推命や占星術は、その「穴」を知ることが出来る大切なアイテムだけど、大抵の人はそこが上手く読みこなせていないので、判ったフリをしながらも、やっぱり落ちてしまったりするのだ。

ある人はお金に執着する穴が有り、ある人は愛情に飢える穴が開いている。SEXに対する執着の穴も有るし、大抵の人は大きなプライドの穴を持っている。

邪気は其処を突く。かなり集中的かつ巧妙に。

負けたければ、どうぞ。

もう一度言う。あなたの人生だ。

負けたければ、どうぞ。

わしゃ、ヤなこっただけどね。
早いものでもう秋の彼岸も過ぎた。

以前は一緒に墓参りをしていた我々夫婦だが、師父の家とゴタゴタしはじめてのここ数年はお互いの家に一人で行くことが多くなった。

その方が、実は気楽だわい、とな。

昨年はさすがに義妹の件もあったので暫くぶりに2人揃って行ったよなぁなんて思いだしながら、今年はまた別々に。

お互いの親もいい歳になって、話半分で聞いてないとホント殺したくもなってくるよ。

介護の仕事してるけど、それは人の親の話。やっばり自分の親ともなるとお互いの甘えが出たりなんだりで、感情的に難しいものがあるよねぇ。

そこいら辺が自分の人生の課題だよなぁとかすました顔しながらも、実は腹ん中は真っ黒だったりする。

このババァ。いつかわざとつっ転がしてコロス。とかね。(笑

まぁ、久しぶりに地元の友達と会ってカラオケしたり話たりと、それなりにリラックス・タイムもあるので良しとしよう。

しかしだ、やはり彼岸だからなのかどうなのか、一度だけ物凄く気持ちの悪い出来事が有った。

聞母ちゃんとカラオケしてその後近くのファミレスでお茶しながら駄弁ってたんだけど、トイレに行った際、わしの次に人が入って来たとたんに物凄い怖気がしたのさ。

物凄い悪気。いゃあ、あれは久々の気持ちの悪さだったね。

って、もしかして、インフルエンザ?

時間的にも夜中の12時を過ぎそうだったしで、冷えてくる時間帯だからかもだが、お彼岸だからね。何かをお墓で背負ってきた人だったのかもね。

ひぇぇぇぇぇぇ〜

もっともそんなのはわしと関係は無いのでとっととお帰り下さいなのだが、頭では判っていても気持ちの悪いのは抑えられないし、なにより怖いのは事実だし。

おまけに、トイレから帰ってきたらわしがまだ何も言わない内に聞母ちゃんが「何だか背中の方から壁を擦るような音がする」とか言い出すし。

あんたの後ろ、誰もいませんからっっっ!!!

やめれ〜〜(T_T)

そうそう

2005年3月19日 不思議な話
昨日のくちなしの続きではないんだけど、ベンジャミンの木にまつわる話を一つ。

この木も大きくなる木だよね。

なんだか知らないんだけど、このベンジャミンの木を買ってまもなく離婚したって話を、何組かのカップルから聞いたのね。

なんだろね。理由は不明。

だけど、なんかあるのかもね。

へんなの。
今日は映画のレディース・デイ。

で、今年の映画始めは、やっぱり「カンフー・ハッスル」をみる事に。

香港での、あの物凄く騒々しい反応とはまた違う、いかにも日本的な静かな反応を楽しんだり、ウルウルするシーンではまたまたウルウルしたり。

早朝一番の回にも関わらず客はまぁ入っていたので、一安心。成績も今年のお正月映画の第4位と健闘したしね。香港映画で其処まで行くのも大したものだよね。

もっとも、香港の一日で6億ドル、連日全場満席っていう、信じられない記録から比べると、少し寂しい感じもするれど・・・

見終わってから映画館を出る時に、雨でもないのに左横に何かがポトリと落ちた。

少し歩いてまた、ポトリ。

家の近くで、また、ポトリ。

上を見てもなにも無い。

ナンダペと思いながら郵便局に寄って切手を買おうとした時に、左の袖口に小さな歯磨き粉のようなものを発見。

・・・ハトのフンだよ〜 (;O;)

まだほんのり湿ってるって事は、さっきのだよね。

っていう事は、今日は三回もハトに狙われてたって訳 ?

キーッとかなりながら、携帯用のウェット・テイッシューで拭き拭きしたら跡形も無く取れた。

ホッと一安心。

で、帰って来てパソに向かってたら、師父も今日は早仕舞いだったので、帰りに「カンフー・ハッスル」見て来て、漸く話が解ったと嬉しそうだ。

確かに中国語と英語の字幕を追って居るのは疲れるだろう。

私も、香港で見たものは、内容確認の為に日本語字幕でも必ず見るもの。

で、なにやら一人でばたばたやっているので、どうしたのかと思ったら、新しいコートにハトのフンがーーーーーっ !!!

どーしてなのーーーーーっ !!!!!

なんで2人同時なのーーーーーっ !!!!!

そういえば今日は義妹のヒャッカンチ。百貫日。

喪の開ける日だ。

その日の夕方に、2人の左肩と袖口に、何でハトのフンが。

偶然はないのだよ。何なんだ、何が言いたいのだ、ハトよ。

そういえば、昨夜酔っ払った術師が、離婚した前の奥さんの消息を私に尋ねたので、元気で新しい彼氏と仲良くやっていると言ったら、「わしゃ陰陽師になって、その男を呪い殺してやる」とグダグタ。

「ばかか。人を呪わば穴二つって、自分で言ってたでしょうが」と結構キツい調子で諌めたのだが・・・

その呪いのとばっちりなのか?

ええいっ 災いを福に転じてやるわいっ !!!

失せろっ 貧乏神の乗り物 土鳩の呪いめっ !!!
この10年の間に二回、似たような話をする似たような人に会った。

最初は93年頃で次が99年。

その話はこうだ。

友達の家の近所の公園では、この夏夜中に首を吊る人が多発して、最近では毎日の様に救急車が来ている。というもの。

でも、どちらもそんな記事で巷が沸き立っている訳でも無く、他の人から噂として聞くでもなく、全く根拠の無いただの噂話。


最初聞いた時には、その話をした女性と一緒に公園内のスポーツ施設にトレーニングに行く約束をしていた頃だった。


ダイエットと体力維持の為なのだが、私と身長が同じで体重が30キロ多かった彼女は、口では「行く」と言いながら、実は行く気など無かったんだろう。


で、何となくそんな話を作り出したのかも知れない。


「だって夜遅くなって首吊り死体に出くわしたらどうするのよ」とその時彼女は言ったがの。

その時は警察を呼んで、木から下ろしてやればいいだけだ。もしかしたら、まだやったばかりで生きてるかも知れないし。


自分で確かめもしない事を、まことしやかに話す女は要注意。

程なく彼女との縁は切れてくれた。

ああ、さっぱり。


で、二回目。


その人も全く同じ話をしてから、さらに始末の悪い事に、その公園でその夏実際に起こった老人の後追い自殺についてこう言ったのだ。


「お婆さんが病気で死んじゃってね、お爺さんが生きてる希望を無くして池に飛び込んで死んじゃったんだけど、丸まった背中が浮いててさ、亀の甲羅みたいに見えたんだって。亀の甲羅よ」と言いながら「ウフフフ」と笑ったのだ。


ウフフフフと。


妻に死なれて悲しくて後追いをした爺さんを、この中年女は笑い話にした。


聞きながら吐き気がして早くこの女との縁が切れる事を願ったら、程なく会う機会が無くなってホントすっきりした。



そう、この馬鹿げな根拠の無い「近所の公園では毎日首吊り自殺する人が出る」という噂を広めていたのは、共に中年の、社会人生活の経験が浅く思慮も浅い、子持ちの、大人しくて優しい夫を持つ、プライドだけはチョモランマ並みに高い「お母さん」だったのだ。


こういう女は友達も少ない。というか、今自分の近くに居る人としか付き合えない習性をもっているからすぐに見分けられる。


出合ったばかりの頃に「贈り物攻撃」を仕掛けてくるのも共通の特徴だ。


自分が気にいった相手を自分の興味の有る事柄に引き込もうとするか、または気にいった相手と同じ趣味を持とうとする。物凄く無理をして。


どちらにしても、友達としては「ニセモノ」の類。


適当にかわして、相手にしない事だ。


後で自分の人生の責任まで取らせようとする、まっこと始末の悪い女で、たいてい計画的な「できちゃった婚」をしていたりする。


こんな女に捕まった男は、ご愁傷様の一言だね。


所で、


世界各地にこの手の「友達の友達が遭遇したらしい」と言う話は溢れているんだとか。


それは教訓であったり皮肉であったりするんだけれど、大抵は良く考えてみれば嘘か誠かは、直ぐにわかる物ばかり。


それでも面白半分に話は広がっていく。


勿論面白半分で終わるのなら可愛いが、実際問題として関東大震災の時の朝鮮人迫害の引き金になったり、銀行が倒産の危機に直面したりする訳だから、よくよく事の真偽を確かめる「自分の目」を失わないようにしないといけない。


丁度さっき録画していたディスカバリー・チャンネルの「嘘まじりの本当の話」と言う番組を見てて、この2人の事を思い出していたら、なんと私自信も噂に嵌っていた事を知ってびっくら。


今年の夏頃だったか、日テレの「世界仰天ニュース」という番組でやっていた「妻が便器に捨てた殺虫剤に気付かず、夫が用を足した後煙草の吸殻をその中に捨てたら便器が爆発してお尻に大火傷をおった」というのも、その「都市伝説」の有名な一つなんだそうだ。


そもそも殺虫剤に引火しても火は出るが爆発はせず、仮に爆発したら大火傷などでは済まないと、番組の中で親切に実験してくれていた。


しまった・・・、やられたか・・・・・。


そろそろ社会復帰の望まれるわしなのだな。

くやしいーーーっ !!! (>_
ディスカパリー・チャンネルで「即身仏の科学」という番組があったので見た。

今から丁度11年前の今頃なのだが、一人で香港に行く際に何故か「香港寺廻り」がマイブームになってしまい、短い滞在の間に幾つか巡ってみた事がある。

その中に即身仏を奉ってある「萬仏寺」という古いお寺が有って、山の上なので物凄い数の階段を登らなければならないのだが、朝から雨模様のその日、もうほとんど取り憑かれたかの様に行ってしまった。

階段途中の寺で全身刺青の怪しい坊主に無理やり手相を見られるハメになったり、茫々に荒れ果てた植物園の中から囁くような子供の歌声が聞こえて来たり廃屋があったりと、なかなかに怪しい雰囲気の中、ゼエゼエ言いながら漸くお寺に到着。

即身仏の奉られている場所は、何となく空気が重いと感じたのは気のせいなのか、小雨日和のムワンとする湿気のせいなのか、単なる疲労なだけなのかは解らないが、それ以来何故か「即身仏」という存在が私の心から離れなくなってしまった。

聞くところによるとそのお寺は、今は随分と綺麗な階段道になって居るらしいので、出来たらまた訪ねて見たいものだと思う。

中国には「濟公」と呼ばれて親しまれている即身仏になられたお坊さんがいるが、日本にもそれこそ何人も居るのだという事を、遅ればせながら最近知った。

このディスカバリー・チャンネルの番組の中では「鉄門海上人」を特に取り上げていたのだが、このお坊さんは伝説の多い人としても知られている。

正義感の強い農民だった上人さんは、さらに輪をかけてストイックな人だったという。

とても美形な人だったのだが、彼を慕って寺にやって来る女性の目の前で自分の睾丸を切り取って差し出し「二度と来るな」と言ってみたり、悪い眼病が流行った時には自分の左目をえぐりだして祈願し、疫病の蔓延を止めたり。

ストイックというより、自虐的だよなぁ。

でもその強い信仰心があったからこそ、生きながら屍となって、俗世の悪から人々の魂を救済するという考えが出たんだろうが・・。

空海が中国から持ってきたその「生きながら死ぬ」技術を番組で紹介していたんだけど、凄まじいよなぁ。なんかジムで必死になって脂肪をそぎ落としてる兄さん達にも通じる怖さが有るよ。

真言宗では今だってそう言う過酷な修行をやってるお坊さん達が沢山いるんだろうから、私ごときがトヤカク言えるものでもないんだけど、ホント人の生き様はそれぞれだよね。

生きながら死ぬ。自分が死ぬ事を前提に修行をする。死んだ後の身体が腐敗しない様に注意を払う。

私の中では「人柱」に通ずる怖さと、その潔さに対する一種の尊敬の念が混ざっていて、とに角別格の存在として、いつも心の中に有るのさ。

何故かというと、私の父方の祖先の一族が戦国時代にある城の人柱とされたという、嘘か誠かわからん「我が家の伝説」があるからなんでの。なんかね、惹かれる訳だ。

死んで蛆虫のわく汚らしい死体になるのではなく、パリパリと乾いてそぎ落とす肉もないアッパレなミイラになるには、それなりの準備が要るのだという。

以下は鉄門海上人が即身仏になった時の記述。

五穀を絶ち木の実を食べて1000日暮らし、その後は木の皮を6年間食べ、肉体の余分な肉を落としていく。

その間、毎日山頂までの修行を欠かさない。

そうすると、お風呂に沈めなくなる位になるという。

この前覗いた「オリエント工業」が制作してるラブ・ドールは、顧客の熱心な要望によって「一緒にお風呂に入れる重さ」のタイプを作ったっていうから、その人形(確か30キロ位)より軽くなる訳だな。

即身仏のお坊様とダッチワイフを一緒にして、ごめんなさひ・・・

それからは漆の樹液を薄めたお湯を飲んで汗をかき、吐く。

細菌の繁殖を抑え、蛆がわくのを防ぐ為に水分を抜ききるんだとか。

そして、極めつけはある温泉の源泉に含まれる砒素を呑んで、消化器官の中のバクテリアを殺して、肉体の腐敗を防ぐ。

ここまでして漸く、木炭を敷き詰めた地下の穴に収められた身一杯の小さい木箱に座禅を組む形で座り、蓋に開けた穴に差し込まれた竹製の通気溝から来る空気を頼りに経を読み続ける。

一日に一回、鈴を鳴らしながら・・・

鈴の音が絶えると竹の棒は取り外されてしっかりと蓋がされ、それから1000日間放置。

そして、再び蓋が開けられた時、まったく腐っていないミイラになった上人の姿があったという。

この方法だと、脳や内臓、血管に到るまでがそのままの状態で干からびて仕舞うのだとか。

でも、腐敗してしまいミイラ化に失敗してしまったお坊さんも沢山いたらしい。

法力の強さとか言われるけど、この漆や砒素が呑めたかどうかでも、ちがってたんだろうなぁ。

強い精神力というか、強力な頑固さとでもいうのか。

執着を、煩悩を取り去る為の行為に執着していると考えてしまう私は、煩悩の申し子そのもの?

批判するなどとんでもないのだが、人はもう少し緩く、楽しく生きても良いのではと、つい思ってしまう。

こういうストイックな人を知る度に、どうしても日々瞑想し質素でつましい生活を身上としていたヒロの姿とダブってしまうからだ。

そんなに自分に厳しくしなくていいんじゃないかと、つい口出してしまいそうになる。

「あなたは人妻だから、俺は人の物に手を出す趣味は無い」とか言って、ゆる〜く仲良く友達付き合いをしてくれたヒロを、今は心から尊敬するよ。

う〜ん。わしゃ、やっぱり切り取られたホカホカの睾丸を手渡されるタイプだなぁ・・・。

とか何とか言いながら、即身仏を調べていたら、人柱に関する情報でこんなのを見つけてしまった。

北海道の常紋トンネルで昭和45年の今日、トンネル内の壁が壊れて、中から立ったままの人骨が出て来たんだと。

人柱なのか工事中の事故で亡くなった労務者の死体を遺棄したものなのか・・・

なんか話がドンドコ逸れるので、今日はこれまでっ!
そんな電波が来ていたのか。

変になる人続出って、やっぱそれが原因?

まぁ、わかんないけど、結構操作されちゃう人もいるかもね〜
今日は自律訓練があるので義妹の見舞い(ゴロ合わせ?)

♪義妹の見舞いでテンテコマイ♪・・ラップかぁ?

には行けなかったのだが、昨夜最後の見守り番をした義弟から、「姉ちゃん顔色いいよっ。朝飯完食しますた」と文字も踊るメールが届いて一安心。

午前中に大部屋に移動もして、家族としても漸く人心地がついたという所。

術師から、悪い気を吸い取るのには米焼酎を部屋に置くといいと聞いていたので、個室の隅に紙コップに入れておいたのだが、大部屋だとそうも行かない。

で、ベッドの下に、それと判らないように一つ置く事にして義弟に頼んでおいた。

以前は少し疑心暗鬼だった彼だが、今回の姉の回復ぶりを見て、何かこの世には人の預かり知らない事も有るんだろうと思ってくれたらしい。

おまじないだし、馬鹿らしいと一笑に臥すのも仕方無いのだが、やっといて気が治まるのなら、それに越した事もないしね。

自律訓練の方も、今日が今年前半の最後で、次回は9月になってから。暑い最中は夏休みとなる。

この訓練に出会ってから、本当にバニック発作の怖ろしさから開放された。

夜眠れなくてやたら不安になったり、外に出て人と会えなくなったり、やたらに涙が出てドキドキしたり。突発事態になす術をなくして途方にくれたり。ヘンに開き直って、周囲の人間関係を破壊してみたり。

症状はその時々で違っていても、根っこの部分はみんな同じ一つの事柄に起因している。

でも、これは人に答えを出してもらうものではない。

自分で、自分の心の暗部に分け入って、確かめてくるしか無い。

とても辛いし、特にブライドで生きている人には、恥ずべき事態になるかも知れない。

だけど、それを乗り越えないと、本当の自分に出会えない。

知らない内に大きな病気を抱え、自分の人生を他人に支配されて生きる様になってしまわないとも限らない。

本当に、この講座に出会えてよかった・・・

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