義妹の最後の頃のこと
2021年5月11日 エッセイ乳がんで亡くなった義妹について書いた物を読み直しています。
今読むと、感慨深い。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆
○最後通告
2004年1月25日
義妹はもう秒読み段階に入ったそうだ。
これ以上悪くなる事はあっても、良くは成りません。
家族にこの事実を伝えなければならない医師の心も、さぞかし重い事だろう。
若くて、思いやり深い言葉使いをする男性医師だ。一つ一つ言葉を選び、高飛車だったり突き放したり冷たかったりする事もなく、判り易く状況を説明し、治療の方法を説明し、そして、言った。
「寝た状態で吐き気やめまいが出たら、二週間以内と思って下さい」
でも希望は捨てられない、最後まで。人間の再生の可能性に賭けるしかないから。
彼女の癌は、全身に広がる性質の悪いタイプだと、初めて聞かされた。
それでも、最初の手術から一年半持ったのだ。
この一年半の間に、色々な事を考える余裕を与えてもらえたのだ。
彼女と関わった回りの人も同様に、色々と考え、自分自身を振り返ったのだ。
これも、幸せの一つの形だと思う。
とにかく我慢強くて、頑張り屋で、親思いの人だった。
それに親が甘えてしまっていた。
自分を甘えさせてくれる人に対して、どういう態度を取るのが正解なのか試されている感じがしてならない。
たしかに全ての人に当てはまる形での「正解」は無いのかも知れない。
でも、明らかに「やってはいけない」事というのは、共通してあるのではないだろうか。
優しく接してくれる相手に対して、「何でもいう事聞いてくれる便利な人」とか、「この人だったら、なにしても大丈夫」などとタカをくくって接っした事はないだろうか。
彼女と師父の母親、私の姑は、そういう人だ。
何でも自分中心になって居ないと気の済まない人で、義妹はそのツケを全部背負い込んでしまったのだった。
賢い人だったから、自分の母親がどんな風に周りから見られているかを、一番良く知っていただろう。
彼女の高飛車な態度や、数々の嘘や、虚栄の態度は、その事に端を発するコンブレックスの裏返しの様な気もする。
医師から聞かされた、診察時に彼女が言った病状に関する言葉は、家族の誰もが知らない事ばかりだった。
身体の痛み、頭痛、吐き気、悪寒、痺れ。
リンパ線を切除して、胸に大きな傷を持ち、肺と脳にも腫瘍があるのだから、それらの事は当たり前といえば当たり前で、弟夫婦や私と師父も気をつけていた事だった。
でも、母親だけが「気がつかなかった」と言ったのだ。
同居してたのに。
医師の言葉を聞いてから、「そんな事一言も言わなかっただよ。だから判らなかっただよ」と泣き崩れたのだ。
他人の事柄を、察する。気づかってやる。
多分これが義母の持っている「人生の宿題」の一つだったんだろうと思う。
かつて同居していた父方の祖母も、「あれ(義母)は気がきかねぇ」と嘆いていた。
この話を始めると止まらなくなるのでやめます。
とにかく、彼女を取り巻く全てのゴタゴタが、この「気がきかねぇ」に一点集中だったのだ。
他に良い所が沢山あるのに、この事で全てが帳消しになるほど、性質の悪い「気の利かなさ」だったのだ。
他人の病状を気使えない、他人の状況を把握できない。
でも、それは仕方がない場合だってある。
だけど、大抵の人は、そんな時「ああっ、ごめんなさい。気づかなかったごめんね、わるかったね」と、すぐ詫びる事が出来る。本当に申し訳ないと思うから。
でも、義母は違った。
「そんな事言われなきゃ判らねぇだよ」「そう思う方が悪いだよ」「あたしゃ悪くねぇだよ」
凄かった、本当に。
どんなに自分が悪くても、絶対に自分から真っ先に「ごめんなさい」を言う事が無い人だった。
彼女はそうやって、周りに毒を撒き散らして、自分は胸を張って生きていた。
彼女と同居せざるを得なかった祖母は、ずっと体調不良で、最後は脳梗塞で亡くなった。
祖母はちょくちょく義父の弟夫婦の家に避難していたのだが、その妻も、胃癌に罹り手術した。
この弟の嫁さんが、義母の最大の犠牲者とも言える。彼女は祖母についで父が亡くなった今、義理の姉を訪ねて来る事は無い。余程の事が無い限り。
今夜、義母は、どう過ごすのか。最近座禅をしていると言っていた。今朝もしたのだと言う。
自分の内面と、じっくり対話して下さい。
師父も義弟も、言葉も出ない。
義弟の嫁さんの父親も、末期の癌で入院している。
「お義姉さんが、心穏やかに過ごせるようにしょう」と言ってくれた。
そうそう、それしかないよ。
楽しく笑って、免疫力が増えれば、医者もビックリの回復をする可能性だって無きにしもあらずなんだから。
義母はこの後、愛娘を前になんと言うのだろう。
義父や祖母の時同様に、「なんで教えてくれねぇだよ。言わなきゃわからねぇんだから、言わないほうが悪いだよ」と病人を責めるだろうか。
それとも「悪かった、お母さんが気がつかなくて悪かった。こめんね」と言うのだろうか。
それは彼女の宿題だ。
この20年の間に、私は得がたいテキストで、大変な勉強をさせてもらった。
宿題からは、逃げないできちんとこなさないと、後が面倒になる。
全ての出来事には意味がある。無駄はない。
今読むと、感慨深い。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆
○最後通告
2004年1月25日
義妹はもう秒読み段階に入ったそうだ。
これ以上悪くなる事はあっても、良くは成りません。
家族にこの事実を伝えなければならない医師の心も、さぞかし重い事だろう。
若くて、思いやり深い言葉使いをする男性医師だ。一つ一つ言葉を選び、高飛車だったり突き放したり冷たかったりする事もなく、判り易く状況を説明し、治療の方法を説明し、そして、言った。
「寝た状態で吐き気やめまいが出たら、二週間以内と思って下さい」
でも希望は捨てられない、最後まで。人間の再生の可能性に賭けるしかないから。
彼女の癌は、全身に広がる性質の悪いタイプだと、初めて聞かされた。
それでも、最初の手術から一年半持ったのだ。
この一年半の間に、色々な事を考える余裕を与えてもらえたのだ。
彼女と関わった回りの人も同様に、色々と考え、自分自身を振り返ったのだ。
これも、幸せの一つの形だと思う。
とにかく我慢強くて、頑張り屋で、親思いの人だった。
それに親が甘えてしまっていた。
自分を甘えさせてくれる人に対して、どういう態度を取るのが正解なのか試されている感じがしてならない。
たしかに全ての人に当てはまる形での「正解」は無いのかも知れない。
でも、明らかに「やってはいけない」事というのは、共通してあるのではないだろうか。
優しく接してくれる相手に対して、「何でもいう事聞いてくれる便利な人」とか、「この人だったら、なにしても大丈夫」などとタカをくくって接っした事はないだろうか。
彼女と師父の母親、私の姑は、そういう人だ。
何でも自分中心になって居ないと気の済まない人で、義妹はそのツケを全部背負い込んでしまったのだった。
賢い人だったから、自分の母親がどんな風に周りから見られているかを、一番良く知っていただろう。
彼女の高飛車な態度や、数々の嘘や、虚栄の態度は、その事に端を発するコンブレックスの裏返しの様な気もする。
医師から聞かされた、診察時に彼女が言った病状に関する言葉は、家族の誰もが知らない事ばかりだった。
身体の痛み、頭痛、吐き気、悪寒、痺れ。
リンパ線を切除して、胸に大きな傷を持ち、肺と脳にも腫瘍があるのだから、それらの事は当たり前といえば当たり前で、弟夫婦や私と師父も気をつけていた事だった。
でも、母親だけが「気がつかなかった」と言ったのだ。
同居してたのに。
医師の言葉を聞いてから、「そんな事一言も言わなかっただよ。だから判らなかっただよ」と泣き崩れたのだ。
他人の事柄を、察する。気づかってやる。
多分これが義母の持っている「人生の宿題」の一つだったんだろうと思う。
かつて同居していた父方の祖母も、「あれ(義母)は気がきかねぇ」と嘆いていた。
この話を始めると止まらなくなるのでやめます。
とにかく、彼女を取り巻く全てのゴタゴタが、この「気がきかねぇ」に一点集中だったのだ。
他に良い所が沢山あるのに、この事で全てが帳消しになるほど、性質の悪い「気の利かなさ」だったのだ。
他人の病状を気使えない、他人の状況を把握できない。
でも、それは仕方がない場合だってある。
だけど、大抵の人は、そんな時「ああっ、ごめんなさい。気づかなかったごめんね、わるかったね」と、すぐ詫びる事が出来る。本当に申し訳ないと思うから。
でも、義母は違った。
「そんな事言われなきゃ判らねぇだよ」「そう思う方が悪いだよ」「あたしゃ悪くねぇだよ」
凄かった、本当に。
どんなに自分が悪くても、絶対に自分から真っ先に「ごめんなさい」を言う事が無い人だった。
彼女はそうやって、周りに毒を撒き散らして、自分は胸を張って生きていた。
彼女と同居せざるを得なかった祖母は、ずっと体調不良で、最後は脳梗塞で亡くなった。
祖母はちょくちょく義父の弟夫婦の家に避難していたのだが、その妻も、胃癌に罹り手術した。
この弟の嫁さんが、義母の最大の犠牲者とも言える。彼女は祖母についで父が亡くなった今、義理の姉を訪ねて来る事は無い。余程の事が無い限り。
今夜、義母は、どう過ごすのか。最近座禅をしていると言っていた。今朝もしたのだと言う。
自分の内面と、じっくり対話して下さい。
師父も義弟も、言葉も出ない。
義弟の嫁さんの父親も、末期の癌で入院している。
「お義姉さんが、心穏やかに過ごせるようにしょう」と言ってくれた。
そうそう、それしかないよ。
楽しく笑って、免疫力が増えれば、医者もビックリの回復をする可能性だって無きにしもあらずなんだから。
義母はこの後、愛娘を前になんと言うのだろう。
義父や祖母の時同様に、「なんで教えてくれねぇだよ。言わなきゃわからねぇんだから、言わないほうが悪いだよ」と病人を責めるだろうか。
それとも「悪かった、お母さんが気がつかなくて悪かった。こめんね」と言うのだろうか。
それは彼女の宿題だ。
この20年の間に、私は得がたいテキストで、大変な勉強をさせてもらった。
宿題からは、逃げないできちんとこなさないと、後が面倒になる。
全ての出来事には意味がある。無駄はない。
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