先日の事、ボンヤリ歩きながら歩行者専用の散歩道に入ろうとしたとたん、出会いがしらに走って来た自転車の男性とぶつかりそうになりました。
歩行者専用の散歩道ではあるけれど、自転車も結構走っているので特別珍しくもないんだよね。だけどお互いにダラダラ続く猛暑のせいで注意が散漫になってたんだろね。寸での所でぶつかりはしなかったんだけど、走って来た方がかなり驚いたらしい。
はっきり言うと、わしは「ほへ~」ってな感じでいたですよ。距離的にも随分間が有ったしね。
でもわしの差していた日傘の端が彼のハンター・エリアに入り込んでたんでしょうな。動体視力がムダにいいのかもね。
んで、物凄く驚いて「うわぁぁぁぁ」とか言ってよけてました。
でもね、ぶつかる距離じゃなかったの、ホントに。
わしもボンヤリしてたので「あっ、すいません」という声も出ずにいたら、自転車の彼が遠くに走りながら「とまれよ!」と物凄い怒気をはらんだ声で下向いて言ってる。それもくぐもってて、誰に言ってるのか判らない方向に向かって。
なので「???????」という顔で見送ってたら、さらに遠くに走りながら後ろを振り向いて、片手を高く上げて「クルクルパ~」のゼスチャーをしてました。
おとななのに。それも本当にいい大人なのに。
いゃ~、懐かしいやらオカシイやら。今思い出しても、その姿が目に浮かんで来ます。身体格好が水木しげる先生の描くのへ~っとした色白の大男そのものなんだな、これが。
もしかしたら本当に妖怪だったのかも。ならばあの時代遅れの「クルクルパー」もうなずけるというものだ。
んだが、その姿を観た当時はね、実はムカッと来たんですよ、わしも。
んで、去りゆく後ろ姿に向かって「バカ者っ!事故ってしまえ」とか黒い呪いの言葉を掛けてみたりしたんですわ。
でもね、そんな風に誰かを呪うのって、自分の細胞を痛める結果になるだけ損だなぁって、有る時気が付いたんですわ。鍼を打ったり自律訓練をしたりしてる内に判って来た事の一つなんだけどね。
で、頭に来るような出来事が有った時に、心の中でストップ・ウオッチを押す事にしたんです。
自分はこの出来事に対して、どの位怒りを持続してるんだろうかって。
この度の自転車男のクルクルパー事件は、だいたい6~8分位で一旦ストップボタンが押せたけど、でも時々思い起こすとまた小さくカチカチと怒りが動きだしてはいましたよ。
でもその日はデイで歌う日だったし、その後久々にabc小姐とカラオケ&ランチ・デートしたので、何だかすっかり気分が良く成っちゃって、結局その日の内に笑い話に替える事が出来ました。
ああ、よかった。
第一、わしがクルクルパーってホントの事だしねぇ。
考えてみたら、あんな一瞬で良く判ったなぁって関心しちゃいますよ。
abc小姐と話してて、二人して思ったんだけど、大人になるのって自分で自分を育てない限りダメだよなぁって結論に達したんですわ。
他人に意見したり、あなたの為よとか言う人間なんて本当に胡散臭いし。
昔むかしに聞いた言葉で、いつも心の中にしっかりと刻んでいるものに「他人を批判する人の家はゴミの山」ってのが有って、いつも己を振り返る指針になってます。
自分の頭のハエがはらえないのに、人の頭のハエなんかはらってられないですわ。
批判するのは己自身にであって、決して他人にでは無い。
問題の有る人とは、付かず離れず、大人としての礼節をもって付き合っていればよし。
そして常に「ごめんなさい」と「ありがとう」の言える準備をしておくこと。
これは普段からやってないと、とっさには出にくいもんですからね。
そうしていれば、問題の有る人はだんだんと離れて行くか、または相手が変化してくるか。
あとは、逃げるが勝ちだよね。
昔、物凄い傲慢な物言いをして周りの人達を傷つけてばかりいる人がいて、わしもまだ若かったので「あんた、よそ様の娘に対して失礼じゃないのよっ! あやまんなさいよっ」とテーブルをバーンと叩いて大きな音を立てながら怒鳴り付けた事が有る。
相手はわしの姑なんですがの。
その時に姑が「あたしは何でもポンポン言うけど、腹には何も無いんだから気にする事ねえだよ」と言い返しやがった。
それが大人の言い分として通るとでも思ってるのか、このばばあっ!
と激怒した、わしも立派なお子様でしたし。
まぁ、似た者同士って訳だよね。
お互い発達障害だったんでしょうね。それからノロノロと亀の様に、自分のペースで成長させて頂きました。いえいえ、現在進行中です。
アスペルガーとはいえ、時間がかかるだけで成長出来ない訳では無い。だって知能は確かに有るんだから。
我慢するのでも、無視するのでもなく、自然に穏やかな心を持てるように、日々成長していきたし、そう言う人と付き合っていたいと思いますよ、ホント。
歩行者専用の散歩道ではあるけれど、自転車も結構走っているので特別珍しくもないんだよね。だけどお互いにダラダラ続く猛暑のせいで注意が散漫になってたんだろね。寸での所でぶつかりはしなかったんだけど、走って来た方がかなり驚いたらしい。
はっきり言うと、わしは「ほへ~」ってな感じでいたですよ。距離的にも随分間が有ったしね。
でもわしの差していた日傘の端が彼のハンター・エリアに入り込んでたんでしょうな。動体視力がムダにいいのかもね。
んで、物凄く驚いて「うわぁぁぁぁ」とか言ってよけてました。
でもね、ぶつかる距離じゃなかったの、ホントに。
わしもボンヤリしてたので「あっ、すいません」という声も出ずにいたら、自転車の彼が遠くに走りながら「とまれよ!」と物凄い怒気をはらんだ声で下向いて言ってる。それもくぐもってて、誰に言ってるのか判らない方向に向かって。
なので「???????」という顔で見送ってたら、さらに遠くに走りながら後ろを振り向いて、片手を高く上げて「クルクルパ~」のゼスチャーをしてました。
おとななのに。それも本当にいい大人なのに。
いゃ~、懐かしいやらオカシイやら。今思い出しても、その姿が目に浮かんで来ます。身体格好が水木しげる先生の描くのへ~っとした色白の大男そのものなんだな、これが。
もしかしたら本当に妖怪だったのかも。ならばあの時代遅れの「クルクルパー」もうなずけるというものだ。
んだが、その姿を観た当時はね、実はムカッと来たんですよ、わしも。
んで、去りゆく後ろ姿に向かって「バカ者っ!事故ってしまえ」とか黒い呪いの言葉を掛けてみたりしたんですわ。
でもね、そんな風に誰かを呪うのって、自分の細胞を痛める結果になるだけ損だなぁって、有る時気が付いたんですわ。鍼を打ったり自律訓練をしたりしてる内に判って来た事の一つなんだけどね。
で、頭に来るような出来事が有った時に、心の中でストップ・ウオッチを押す事にしたんです。
自分はこの出来事に対して、どの位怒りを持続してるんだろうかって。
この度の自転車男のクルクルパー事件は、だいたい6~8分位で一旦ストップボタンが押せたけど、でも時々思い起こすとまた小さくカチカチと怒りが動きだしてはいましたよ。
でもその日はデイで歌う日だったし、その後久々にabc小姐とカラオケ&ランチ・デートしたので、何だかすっかり気分が良く成っちゃって、結局その日の内に笑い話に替える事が出来ました。
ああ、よかった。
第一、わしがクルクルパーってホントの事だしねぇ。
考えてみたら、あんな一瞬で良く判ったなぁって関心しちゃいますよ。
abc小姐と話してて、二人して思ったんだけど、大人になるのって自分で自分を育てない限りダメだよなぁって結論に達したんですわ。
他人に意見したり、あなたの為よとか言う人間なんて本当に胡散臭いし。
昔むかしに聞いた言葉で、いつも心の中にしっかりと刻んでいるものに「他人を批判する人の家はゴミの山」ってのが有って、いつも己を振り返る指針になってます。
自分の頭のハエがはらえないのに、人の頭のハエなんかはらってられないですわ。
批判するのは己自身にであって、決して他人にでは無い。
問題の有る人とは、付かず離れず、大人としての礼節をもって付き合っていればよし。
そして常に「ごめんなさい」と「ありがとう」の言える準備をしておくこと。
これは普段からやってないと、とっさには出にくいもんですからね。
そうしていれば、問題の有る人はだんだんと離れて行くか、または相手が変化してくるか。
あとは、逃げるが勝ちだよね。
昔、物凄い傲慢な物言いをして周りの人達を傷つけてばかりいる人がいて、わしもまだ若かったので「あんた、よそ様の娘に対して失礼じゃないのよっ! あやまんなさいよっ」とテーブルをバーンと叩いて大きな音を立てながら怒鳴り付けた事が有る。
相手はわしの姑なんですがの。
その時に姑が「あたしは何でもポンポン言うけど、腹には何も無いんだから気にする事ねえだよ」と言い返しやがった。
それが大人の言い分として通るとでも思ってるのか、このばばあっ!
と激怒した、わしも立派なお子様でしたし。
まぁ、似た者同士って訳だよね。
お互い発達障害だったんでしょうね。それからノロノロと亀の様に、自分のペースで成長させて頂きました。いえいえ、現在進行中です。
アスペルガーとはいえ、時間がかかるだけで成長出来ない訳では無い。だって知能は確かに有るんだから。
我慢するのでも、無視するのでもなく、自然に穏やかな心を持てるように、日々成長していきたし、そう言う人と付き合っていたいと思いますよ、ホント。
コメント
娘らにも時々出がけに
「どこに怒りのスイッチがあるのかわかんない人がいるから気をつけるんだよ」と
言って送り出しますが、実は気をつけるにも気をつけようがないですよね…。
うーん、心配!
穏やかな着地点を目指して、娘らに姐さんの日記を読ませとこうと思います。
人とのかかわりを避けるようになってしまって、自分の心の平安のみを考える数年です。
会社にいてるときの自分の心の動きが幼かったのだなと痛感しています。
いてますもんねぇ。。。どこにでも。
教会の中でさえ、いてはります。
上手に距離をとりながら、マイペースですね。
ついつい逃げてしまってます。
ま、今はまだまだ休養時期なのかもしれません。
姐さんとこは娘さんばかりだから、本当に心配ですよね。まぁ、近頃は男の子だからいいって言う世の中でもないんだけれど・・・。私の日記が少しでもお役に立てばいいんですが。
しかし、最近は本当に怖いですよね。こちらに非があるならまだしも、相手の内部にくすぶっている問題に対しての八つ当たりの場合が多いですからね。
気の毒だけど、怒る相手を間違えている人に掛ける情けは有りません。そんな人に対して、いちいち自分の心をぐらつかせてたら疲れてしまうし。
今はただひたすらに、目指せ不動の心!です。それにはまず、自分の内部の問題点と向き合わねばですね。
必要な場所に必要な人々が集まる。そこで何を学ぶのかは、その一人ひとりが自分で決める事であって、誰かの指導を受けるものでも授けるものでもない。本当の指導者は目に見えず、ただ必要に応じたサインを送ってくれるのみ。それを受け取るか観過ごすかは、その人次第。
私自身はどこにも属してはいませんが、常にこのように思って生きております。
まっ、のんびりやりましょう。