生まれて初めて、母親の居ない一カ月を過ごしました。
10代の頃からそれは激しくぶつかった相手ですが、その分仲が良かったんでしょうねと言われると、そうだったのかも知れません。
なんやかんや言っても、楽しかった想い出の方が勝ります。
亡くなる一週間前にはわしの夢枕に立ってくれたし。
北国に向かう列車の待合室で、往年のハリウッド大女優の如く着飾った姿でわしの名前を呼び「愛してるよ~」とおどけて見せたんだものねぇ。
その傍らに14年前に亡くなったおばあちゃんがニコニコしながら、同じように北国仕様のよそ行きを着て座ってるのを見た時には「これは・・・ヤバイ」と思いましたさ。
大晦日に実家で紅白を見ながら姉夫婦と師父とでこの話をして、「そろそろ心の準備を」とか言ってた矢先の出来事でした。
そのおばあちゃんが亡くなる時には、姉の夢枕に立って「あたしゃ、あのバスに乗って行くよ」と言ったんだよねぇ。
一度目は一人でいたので、姉が必至になって止めたんだって。そしたら思いとどまってくれたんだけど、二回目は「あの人と行くよ」と誰かを指差して、同じバス停で別れを告げたんだそうだ。
おばあちゃんはバスで、かーちゃんは汽車で行ったのね。
それぞれお迎えが来てくれて、迷わずに逝けたんだね。
わしは誰が迎えに来てくれるんだろう。そして、誰を迎えに行くんだろう。
師父の父は悲しいかな自殺だった。49日を前にして義母の夢枕に立ったのはいいんだが、何と鬼の形相で「迎えに来たからドアを開けろーーーっ!」と怒鳴ったそうだ。あの知的で優しかった義父がである。
で、義母は恐れおののき「まだ行かねーーーーーっ!」と叫びながらドアを必至で押さえてたって、なんだかなぁ・・・・。
笑っていいのか、怖がるべきなのか。
そんなこんな話も、ぼちぼちと。
コメント
この日記を読み、こいう不思議な事ってホントにあるんだなぁと思ってしまいました。ありきたりですが、証明できない事ってあるんですよね。
いや、ホントに。
そうそう、写真の件ですが。Facebookには何枚か友人が載せてくれてます。
式当日の写真はまだ出来上がってなく、もうしばらく時間が必要とカメラマンさんから連絡ありました。
1月の旧正月前は結婚式ブームですから・苦笑
もうしばしお待ちを!
心身ともお疲れになったことでしょうね。お母様も看取ってもらえるというのは、その人の生き方の最後だと思います。うちの義母は誰にも看取ってはもらえませんかったから。。。。
迎えに来はるんですね・・・・・
私は何度か死にかけましたが、誰も迎えにはこなかったなあ。。。。
死ぬ時期じゃなかったのかな。
中学時代のなくなった友人は何度か夢に出てきてくれたんですが、何も話さなくて、ニコニコしてるんですよね。。。。
死と言うのは生とセットで誰にでもあるものなんですものね。。。
お疲れがでませんように、お気をつけてくださいね。
ホントに判らない事の方が多いですよね。つーか知らなくてもいい事の方が多いと云うか。
FBの方もぼちぼち覗いてみますねっ!楽しみです。だけど、わしゃイマイチ使い方が判っていないですわ。トホホです。
カキコ多謝です。確かに亡くなった時の状況はその人の人生を表す感じがしますよね。母親がいなくなるという事実が、これ程自分の心に衝撃を与えるとは、反発していた「青臭かった」頃には思いもしませんでした。
お迎えがに来なかったという事は、まだ生きて、やる事が有るって事なんでしょうね。辛いけど生まれる前に出された宿題は、キチンと終わらせないとダメなのかもしれませんね。お互い無理せずユルユルと行きましょう。夢に出てくる亡くなった友達が、ずっと見守って下さってるんですよ、きっと。それって心強くて幸せな事だと思えませんか?