大正15年に、刑務所の中で首つり自殺した23歳のテロリスト。

こう書くと物凄く恐ろしい女のようだが、この自叙伝を読んでいくと、頭が良く純粋でやさしく、とても親切な女性だったのが解る。

人は親や時代や教育で育つのではなく、自分自身で育てていくという彼女の考えは私とまったく同じで、とても共感する。


自殺せずに頑張って生き抜いてくれていたら、かなりの影響力を持つ人物となって、戦後の日本に一つの道をつくったかも知れない。


でも、子供時代にその存在を無視され、全てを否定され続けた人は、成人してもその絶望感を持ち続けてしまう。


彼女の死が本当に自殺だったのか、何かの工作なのかはもう確かめるすべはない。

それに、この手記が書かれた時と全く同じ形で刑務所の外にいる仲間の元に払い下げられたのかも解らない。


着物を着て下駄をはいていた時代、夜の10過ぎに浅草の聖天様あたりから歩いて雷門を超え、上野まで歩かせた挙句に別れを切り出す男に対して、本当はどんな思いで居たんだろう。



私は私自身を生きたい。



この力強いメッセージを残して死んだ反政府活動家。


頭のいい人だから、戦争が終わった時に人間宣言をした天皇に対して、もっと違う考えをもったかも知れない。


やみくもに「ぼっちゃん(昭和天皇)をヤレばいい」などとは、もう思わなかったと思う。敵は別の所にいるのだと、解ったと思う。


残念だなぁ。



生まれ変わって、楽しい人生が送れているといいなぁ。




コメント

Mimi
2009年8月27日0:15

ありすさん

わたしも、「何が私をかうさせたか」、1972年に黒色戦線社から出た再販を持っているんですよ!!
これは、私の宝物で、バンコクに住んで居た時も一緒に行ったし、今は、この国に来ています。こちらの英国人の友人達(女性)に、金子ふみ子のような日本女性が居ること、彼女の信念、情熱、性を知って欲しくて、一部翻訳して渡したこともあります。

彼女、生まれ変わって、楽しい人生が送れているといいなぁって、私も思います。
「一度は捨てし世なれど文見れば胸に覚ゆる淡き執着」 金子ふみ子

それにしても、これが、普通の出版社から出ていることを知って、びっくりしたと同時にとてもうれしいです。彼女も喜んでいることでしょう。
ありすさん、これを書いてくれて、本当にどうもありがとう。長生きして良かったって思えるほど、すごい縁です!

ありす
2009年8月31日11:05

Mimiさん

カキコ多謝ですっ!Mimiさんは黒色戦線社版をお持ちですか。私の持っているのは写真と同じ物で、初版から僅か数ヶ月で出た第二版です。今から約10年前に生活クラブ生協の共同購入で買いました。何故買ったのかというと、本の紹介に有った彼女の人となりに興味を持ったからなんです。それまで彼女の事をまったく知らなかったので、ぜひ読みたいなと思って。

だけど当時は精神的に絶不調のどん底にいたので、朝鮮時代の過酷な内容が辛くて辛くて読み進む事が出来なくなったんですよ。それなら先に読むわよと借りていった母も姉も「一晩で読んだわっ!!!」と言うほど勢いの有る内容なんですが、10年前の私には非常に重くて辛かったんですね。それで本棚に突っ込んで丸10年間、まったく忘れられてたんです。


それがついこの前、掃除をしていて気がついて「ああ、これまだ途中だったよなぁ」って思ったら急に読みたくなって、浅草仕事に行く途中電車の中で読み始めたら止まらなくなってしまったんです。


時間と体力気力が有れば、確かに一晩で読破出来る凄さでした。こんな女性が日本にもいたんですよね。ネットを探すと彼女の故郷の村を訪ねる程魅せられた方たちがいる事を知り、沢山の人達が彼女の生き方や人となりに大きなインパクトを感じているんですね。私もMimiさんも、そんな中の一人なんですね。そろそろ映画になってもいい頃ではと思いませんか?


夜更けに彼女と伊藤が話ながらそぞろ歩いた浅草聖天様から雷門への道を、お昼休みに気軽に歩ける今だからこそ、私にとっての「読む時期」が来たのだと思います。そして伊藤がふみ子に告げた別れの理由が、私が時々日記に書く通称ヒロが私に言った内容ととても似かよっている。彼の性格も。10年前なら辛すぎて、死ぬ理由の決定打になったかもです。

今だからこそ、どうしてそんなことを伊藤が言ったのかが解る気がします。

こちらこそカキコして下さってありがとうございます。本当に縁は異なもの味なものですねっ!

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