四年前、末期がんで医師に見離された義妹を自宅で介護していた義母は、あんまり「病人の世話」の焼き方を知らなかったのかも知れない。

赤ん坊の入浴の仕方すら知らなかった人だ。三人も産んでるのに。

お嬢様だったのか、他の理由なのかは知らん。

風邪を引いても寝れば治ると豪語していたっけ。

だもの、いざ自分の体調がオカシクなった時の慌てようと来たら。

今病院で手厚く看護されて、清潔なベッドに寝られる幸せを、彼女はどう考えるんだろう。

自分が面倒を見ていた愛娘が、汚れたシーツの上で、身体を垢塗れにして、文句一つ言わず痛いとも言わず、母に心配かけまいとして大人しく寝ていた姿を、どう考えるんだろう。

乳癌が肺と脳に転移してたんだもの。痛かったと思うよ、辛かったと。

もっともあの時はわしらにも問題があった筈。三人の子を産み育てた母と、中学高校の2人の娘がいるからと安心して、細かい身体介護に口出しするのを憚ったわしらにも問題がある。

痛い痛いと喚く人の声を聞いて、回りの人々がどんなに心を痛めるか、判っただろうか。

自分の都合で好き勝手に人を呼びつける姿を見て、それに自分の姿を重ねられただろうか。

今、義母の病室のおとなりさんに、彼女の雛形というにはあまりに強烈なお2人が入院していて、夜昼と無く「痛いよ〜痛いよ〜殺してくれよ〜」と喚く声や「ちょっと、ねぇ、ちょっと来て下さい」と誰彼なく呼ぶ声が聞こえている。

・・・どう考えるのかは、もう義母の問題。

あんなに威張って子供達の脅威になって、けっして自分からは何が有っても謝らなかった人だ。私はお腹に何も無いんだから、私の言う事なんか気にしてたらダメだ。とか勝手な屁理屈つけて、自分の暴言を正当化してた人。

今、長い人生の中で彼女が他人にしてきた全ての事柄が、体力気力共に弱った彼女の周りに返って来ている。

ああ、おそろしい。

本当に、この世に無駄はないね。わしらは自分の出来る事で協力するまでだ。

さて、今日はこれから都内の別の病院まで義母の薬を貰いに行って、届けるとするか。

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