ISBN:4816706453 単行本 西日本新聞社「食 くらし」取材班 西日本新聞社 2005/07 ¥500
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先週義母が入院した。

その前日に腰があまりに痛み、隣に住む親戚の人を呼んでしまったと師父の携帯に連絡が入った。

義弟の家にも電話を入れたけど、家族全員が仕事で出払っていたらしく出なかったという。

義弟の嫁さんに聞いたら「着信あったのは知ってる」だと。もうみんなかなり逃げの構えなんだわな。

義妹が亡くなって一年が過ぎた頃から、義母の体調不良が始まり、あっちが良くなるとこっちが悪いと次々に自己申告。

その度に義弟夫婦は手を尽くして世話を焼いていたんだけど、検査の結果は全て問題なし。要するに「病気になりたい病」なんだろう。それとも本当にどこかに重篤な因子が隠されてんのかなぁ。

普段があまりに丈夫だったので、少しでも体調が崩れると不安でパニックに襲われてしまうらしいのだ。

真夜中に震える声で「どうしょう、どうしょう」と電話して来た事もあった。

確かに1人暮らしで心細いのは判る。

だけど、母親が末期癌で死に掛けていて不安で仕方なく、自分の布団周りをゴミだの衣類だので一杯にしてしまった当時中学生だった同居している孫に対して、理解しようとする前に「居候のクセにっ!(汚くして気に食わない)」となじった人だ。

この孫は好きで義母の家に住んでいた訳ではない。義妹の亭主が「妻の治療代に窮して」破産宣告をして自宅を競売に出し、おまけにサッサと自分1人だけが住むアパートを借りてしまったので、彼女と高校生だった姉は仕方なく母の実家に身を寄せていたに過ぎない。

義母は他人と協力する前に他人を自分の意に従わせたいタイプなんだわな。能力もないくせに司令官然としていたいらしい。まぁそれももう叶わぬ夢だと思うけどね。

それにこの人には、本当に結婚前から散々ビックリする目に遭わされて来た。

それは義弟の嫁さんも同じ。だけど彼女はよくやったよ。本当によく面倒を見てくれた。

んで、去年のSOSメールへと続く。だ。「もう、ばーちゃんの面倒見られないっ!何で私だけが見なけりゃならないのっ」である。

あの時もわしと師父は「目が回るのなら大人しく寝ていろ。どこも異常が無いんだから」と言って義弟の家には迷惑かけるなと言い聞かせていたにも関らず、義弟の家で甘え好き勝手したらしい。

その時からあれだけ無条件で母思いだった義弟がようやくその本性を見破り、随分と母親を「怖い」存在としていた師父も、いまやすっかり精神的に親離れ出来た感がある。

何か不思議。自分で自分の立場を悪くしてくれるなんて・・・

まぁ、そうとは言っても息子と母親の関係は、娘と父親との関係に似て愛情が捻れてて厄介だがの。

んで、先週。

寒さのせいもあるんだろうが、あんまりイタイイタイと大騒ぎするので、電話ですこしキツく言って泣かせてしまったのですた。へぇ、わてがどす。

病気の姑を泣かす鬼嫁なんどすえ、わてって女は。

そしたら次の日我慢出来無い痛みで、もう即入院となった訳だ。落ち着いて考えたら「ツラ当て」みたいなもんかもね。

パニックになってドンドン逆上すると痛みに痛みがかぶさって、ついには制御不能の事態になるなんざ、わしや義弟の嫁さんは宣告承知だ。

わしは長い事子宮内膜症を患ってて、全身に転移した子宮内膜からの出血とあまりの痛さに失神した事さえある。いまでは年も年なんで随分軽くなったんだけど、やっぱりまだ先月みたいに貧血で動けなくなったりするんだわ。

義弟の嫁さんに至っては出産時に内臓が裂けてしまい一応縫ったんだけど、後でそこが化膿してもう一度縫い直した経験が有る。やっぱり体調が悪い時には痛むし、考えれば切ない傷だよ。その時無事授かった娘に言ったら、かえって彼女を傷つけるかも知れないし。

だけど、義母はそれをやってしまってなんの後ろ暗さも感じないらしい。

彼女の腰痛の根本的な原因は義弟を生んだ時腰の関節が外れた事によるものだ。考えたら、父と娘は2人とも生まれる時母親の肉体に一生残る傷を付けてるのか・・・

・・・術師、どうなの。この人達の場合は。

で、それをいちいち言う訳だ。本人のいる前で。切ないよ。特に男の子にしたら、自分のせいで母親が苦しんでるのを見るのは、ホント辛いと思うよ。

だから一生懸命世話してるのに・・・・・

先週の内にMRIとレントゲンを撮って、結果は異常なし。

だから本人は「内臓かもしれねぇな」と言っている。そのわりに食欲旺盛なんですけどね。

ちょうどお見舞いに行った日、昼食がご飯と味噌汁と小袋に入った醤油だけだったとぼやいてたので、思わず「あらおカアサンたら、私が初めておウチにお邪魔した時あなたが出した夕ご飯と同じぢゃないの」と突っ込みそうになって、あわてて「沈黙の行」に入りますただ。

あの時は本当にビックラだったし、師父も唖然とした夕食だった。目の前には白いご飯とけんちん汁、そしてお新香。

食べ物の恨みは恐ろしい。それから約10年位思いだすと腹が立ってたもの。

だけど、だ。

もしかしたら、あの時義母は初めて会う息子の彼女に緊張してうっかり忘れたのかも知れないと、今日になって思うのだ。

あの時まだ元気で生きていた義父と義祖母とで、別の部屋で食べていた義母は、本当におかずを出すのを忘れたのだと。

当時はあまりの事に愕然としてショックのあまり頭に血が上ってしまい、帰ってから実家の家族に文句タレてただけのわしなんだけど、もしあの時普通に「おかーさん、オカズは?」と聞いていたら「あ゛ーーーっごめんね、忘れてたっ」で済んだかも知れないのだ。

もし本当に用意していなかったら、師父との関係も随分かわっていたかも知れない。そう、道は色々に分かれているのだ。

で、義母は病院の人に言ったらしい、オカズが無かったんですがと。そしたらやはり「うっかり忘れ」ただけだった。あとで留守電に夕飯は豪華だったと嬉しそうな声が残されてたよ。

今は上手く文章に出来無いんだけど、人の人生の分かれ道って、こんな風に面白いイベントが起きてる時に決まるんではないかと思うわしだ。

ムカついて喧嘩になるのもドン暗くなって死にたくなるのも、殺したくなるのも、誰にもある当たり前の感情だと思う。

だけど、それをどう乗り切るのかで、後に来るイベントの質とタイミングが変わって来るんじゃなかろうか、と。諸行無情、ただ木霊が返ってくるだけなら、いい木霊が帰ってきて欲しい。

今回の事も、実際に本人は痛みを感じてるんだろうから、まぁ電話でキツい言い方してゴメンねと本人の前で謝ったよ。こうなったら早いもん勝ちかもだ。手元に悪いカードを残しておくのは嫌だもの。

そしたら、なんだか嫌な気配がモヤモヤとわしから義母の方に移って行った気がした。勿論単なる「気のせい」だとは思うけど・・・

その時、義母は物凄くヘンテコな顔してたなぁ。思い切り想定外って表情浮かべてた。

言霊は必ず返って来る。気をつけよう。

帰りに病室の名前を何気に見たら、2人部屋のもう1人の人は義母と別の字をつかった同名なのに気付いた。

苗字の違う同じ名前の人と同室。

これは結構重要なイベントだった・・・かもな。

これについては、また今度。

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