DVD ワーナー・ホーム・ビデオ 2006/07/14 ¥980
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なかなか見る機会が無かったんだけど、やっとその時期が巡って来たのか、昨日観終わった。
少し前だったら、辛くて途中で観るのを止めたかもだが、今はとりあえず泣きながらでも、最後まで観終えたものねぇ・・・
やっぱり時と共に、人の心は変化していくもんだわなぁ。
だけどさすがに一度で観ることは出来なくて、捨てられる前とその後の前編後編に分けて観たのだわ。
万物全てに魂が宿るという土着の信仰を根っこに持つわしには、人形だからモノだからとゾンザイに扱う事は出来無いのだが、こんな風に一心に愛情を向けてくれる存在が作られたら、真っ先に買うんだろうか?
小学生の頃買って貰ったヌイグルミと一緒に上京したわしにとっては、人形もヌイグルミも置物も、みんな大切な身の一部。
だから失くすのは、とても辛い。
だけど、生きていくというのは、色々な変化を受け入れるという事でもある。
愛情を与え、与えられるという事。
それは物質的には、決して永遠では無いという事。
人口知能を持つ主人公の少年は、生きている人間でも受け入れるのが難しいその問題に直面し、2000年掛けて漸く学習する。
彼の存在は、何もロボットという近未来的な物に拘らなくても、養子や継子や里子などに置き換えて考えてもいい筈なのに、キュープリックは敢て「人口知能を持つ愛玩用子供型ロポット」と設定した。今から20数年前に、この物語の構想は出来ていたそうだ。
そういえば、その頃テレビドラマ「ナイト・ライダー」で、車に搭載された人口知能「キッド」が主人公と楽しく会話していたなぁ。
映画「未来警察」では、いかにも機械機械したボディの家事ロボットが、変にオバサン臭く主人公と会話してたっけ。
それらを観ながら、本気で「欲しい」と思ったもんだ。
有る程度の情報を組み込めば、機械だってそれこそそこいらの頭の悪い人以上に、楽しい話し相手になれるだろう。
だけど、機械には「あそび」が無い。そこがちょっと脳や心に障害を持つ人との対話に似たモノを感じるのかも知れないな。
よくよく見ると、この少年の動向はまるで物凄い拘りの中で生きている自閉症の子供のようにも見える。
アスペルガーやその他にもある、一見するとそれとは判らないんだけど、明らかに考え方に隔たりがあって他人から誤解をされてしまう軽度自閉症の子供のようだ。
それに、一心に愛情を求めるあまり自分の敵と感じた相手を攻撃する様は、求めた愛が得られないと、反対に殺してしまう可能性をも秘めている。心や考え方に「あそび」の部分が無い為に、融通が利かないのだ。
そこいら辺に、キュープリックやスピルバーグの思いが反映されているかなっとも思う。勿論映画の中では、少年が一心に母親を愛する姿のみ描かれているんだけど、盲目的に愛するっていうのは、こういう危険も有るよっていう警告にも思えるし。
愛情の裏には、常に同じ量の憎しみが有る。この切っても切れない陰陽の法則は、遺伝子を持たないロボットにも当てはまるのか、否か。
人口知能はどこまで必要なんだろか。考えてみれば、人間そのものが、もしかしたら人口知能を持った「作られし物」なのかも知れないんだけどね。
しかしだ、21世紀になってからの科学の発展は、もう誰にも止めようが無いほどの勢いで、そちらの方に向かっている。
お掃除ロボットはもう実用品として売られているし、子供や年寄り向け見守り対話用の可愛いデザインのロボットは、既に一般販売を視野に入れた開発の最終段階にある。
自動制御のロボット・カーの開発は、20年以上前からすでに始まっていたし。
撫でれば喜ぶ猫ロボットも犬ロボットも有るご時世だ。いかにも人形人形した赤ん坊ロボットは、お年寄りに受けがいい。
口答えしない、こずかいをせびらない、死なないが、その理由。
そんな感じで、子供型愛玩ロボットも、近い将来お目見えするかもだよなぁ。
それよりも、セックス・ロボットの開発の方が先か。かつてはダツチ・ワイフと呼ばれて半ば嘲笑の対象でも有ったセックス・ドールが、今は技術の開発でリアルな可愛い「女の子」になって売られている。中には風俗嬢としての営業をしているリアル・ドールも有る位だもの。
それらが皆で可愛らしくお喋りを始めたら、いい加減なわがまま女は一蹴されちゃうかも知れない。
映画の中でセックス・ロボットに扮するのはジュード・ロウ。もうどこから観てもロボットっすよっていう人間離れの美しさで、お見事っ!
現実的にはまだまだ開発の余地の残る男性リアル・ドールだけど、もし本当にこんなロボットが出来たアカツキには、ただの文無しロクデナシ、酒飲めばクダまいて暴れる問題の多い暴れチンコ野郎なんて、誰も相手にしなくなるかもな。
・・・・・、確かに人類の危機だ。
映画の中では、人類は絶滅する。その後を機械達が受け継ぐというのも、少し笑える設定なんだけど、その機械の一つが「魂」の存在をうらやむ場面は、何故か物悲しくて印象に残る。
人間の身体の中に、見えないけれど、確かに存在する「魂」とはなんぞや。
名前を失念してしまったんだけど、アメリカだったかどこか、確か白人の高名な脳外科の先生が、ずっとずっと魂の存在を否定してて、全ての事柄は脳の中で答えを出せると言ってたんだけど、晩年は考えが変わって、結局は「?」で答えを出せないまま亡くなったという話を聞いて思った。
自分の中に、答えはあるんだと。
魂が有るのか、無いのか。そんなもの、議論するまでも無い。
モノでも花でも何でも、大切にしていれば長持ちしてくれる。それは何故なんだろう。
なんでシルクロードの最終地点の国に、万物には全て魂が宿るという信仰が残るんだろう。
子供が一心に母親の愛情を求めるのは何故か。
ただ、お母さんが大好きだから。それだけだ。
物事は、本当は物凄くシンプルなのに、プライドやなにやらのメンドクサイ事柄をくっつけて、勝手に複雑にしてしまうのは、誰だ。
所有欲があれば、嫉妬に繋がる。
ヘタに知能が高いと、余計な事柄で苦しんでしまう。
聖書に書かれた「神は自分に似せて人間を作った」というくだりは、世界中に残る神話の中でも同じ様に書かれている、そこが面白い。
作られた素材は色々だがの。
高い知能を持って、人類は幸せになったんだろうか。
一心に求めて、そして諦める事を学ぶ。許すという事を学ぶ。その積み重ねが「魂」の素材を作るのならば、人工知能にも「魂」は生まれるだろう。
それならわしゃ、人口知能を持った子供型ロボットは要らないと思う。なんで僕、お母さんと同じ人間じゃないの?と思う、その最初の段階が可哀想でのぅ。
だけど、精巧なジュード・ロウみたいな性交ロボットなら・・・
有り金はたいても買う、かもな。
・・・、精巧な性交ロボットって・・オヤヂだ、俺。
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なかなか見る機会が無かったんだけど、やっとその時期が巡って来たのか、昨日観終わった。
少し前だったら、辛くて途中で観るのを止めたかもだが、今はとりあえず泣きながらでも、最後まで観終えたものねぇ・・・
やっぱり時と共に、人の心は変化していくもんだわなぁ。
だけどさすがに一度で観ることは出来なくて、捨てられる前とその後の前編後編に分けて観たのだわ。
万物全てに魂が宿るという土着の信仰を根っこに持つわしには、人形だからモノだからとゾンザイに扱う事は出来無いのだが、こんな風に一心に愛情を向けてくれる存在が作られたら、真っ先に買うんだろうか?
小学生の頃買って貰ったヌイグルミと一緒に上京したわしにとっては、人形もヌイグルミも置物も、みんな大切な身の一部。
だから失くすのは、とても辛い。
だけど、生きていくというのは、色々な変化を受け入れるという事でもある。
愛情を与え、与えられるという事。
それは物質的には、決して永遠では無いという事。
人口知能を持つ主人公の少年は、生きている人間でも受け入れるのが難しいその問題に直面し、2000年掛けて漸く学習する。
彼の存在は、何もロボットという近未来的な物に拘らなくても、養子や継子や里子などに置き換えて考えてもいい筈なのに、キュープリックは敢て「人口知能を持つ愛玩用子供型ロポット」と設定した。今から20数年前に、この物語の構想は出来ていたそうだ。
そういえば、その頃テレビドラマ「ナイト・ライダー」で、車に搭載された人口知能「キッド」が主人公と楽しく会話していたなぁ。
映画「未来警察」では、いかにも機械機械したボディの家事ロボットが、変にオバサン臭く主人公と会話してたっけ。
それらを観ながら、本気で「欲しい」と思ったもんだ。
有る程度の情報を組み込めば、機械だってそれこそそこいらの頭の悪い人以上に、楽しい話し相手になれるだろう。
だけど、機械には「あそび」が無い。そこがちょっと脳や心に障害を持つ人との対話に似たモノを感じるのかも知れないな。
よくよく見ると、この少年の動向はまるで物凄い拘りの中で生きている自閉症の子供のようにも見える。
アスペルガーやその他にもある、一見するとそれとは判らないんだけど、明らかに考え方に隔たりがあって他人から誤解をされてしまう軽度自閉症の子供のようだ。
それに、一心に愛情を求めるあまり自分の敵と感じた相手を攻撃する様は、求めた愛が得られないと、反対に殺してしまう可能性をも秘めている。心や考え方に「あそび」の部分が無い為に、融通が利かないのだ。
そこいら辺に、キュープリックやスピルバーグの思いが反映されているかなっとも思う。勿論映画の中では、少年が一心に母親を愛する姿のみ描かれているんだけど、盲目的に愛するっていうのは、こういう危険も有るよっていう警告にも思えるし。
愛情の裏には、常に同じ量の憎しみが有る。この切っても切れない陰陽の法則は、遺伝子を持たないロボットにも当てはまるのか、否か。
人口知能はどこまで必要なんだろか。考えてみれば、人間そのものが、もしかしたら人口知能を持った「作られし物」なのかも知れないんだけどね。
しかしだ、21世紀になってからの科学の発展は、もう誰にも止めようが無いほどの勢いで、そちらの方に向かっている。
お掃除ロボットはもう実用品として売られているし、子供や年寄り向け見守り対話用の可愛いデザインのロボットは、既に一般販売を視野に入れた開発の最終段階にある。
自動制御のロボット・カーの開発は、20年以上前からすでに始まっていたし。
撫でれば喜ぶ猫ロボットも犬ロボットも有るご時世だ。いかにも人形人形した赤ん坊ロボットは、お年寄りに受けがいい。
口答えしない、こずかいをせびらない、死なないが、その理由。
そんな感じで、子供型愛玩ロボットも、近い将来お目見えするかもだよなぁ。
それよりも、セックス・ロボットの開発の方が先か。かつてはダツチ・ワイフと呼ばれて半ば嘲笑の対象でも有ったセックス・ドールが、今は技術の開発でリアルな可愛い「女の子」になって売られている。中には風俗嬢としての営業をしているリアル・ドールも有る位だもの。
それらが皆で可愛らしくお喋りを始めたら、いい加減なわがまま女は一蹴されちゃうかも知れない。
映画の中でセックス・ロボットに扮するのはジュード・ロウ。もうどこから観てもロボットっすよっていう人間離れの美しさで、お見事っ!
現実的にはまだまだ開発の余地の残る男性リアル・ドールだけど、もし本当にこんなロボットが出来たアカツキには、ただの文無しロクデナシ、酒飲めばクダまいて暴れる問題の多い暴れチンコ野郎なんて、誰も相手にしなくなるかもな。
・・・・・、確かに人類の危機だ。
映画の中では、人類は絶滅する。その後を機械達が受け継ぐというのも、少し笑える設定なんだけど、その機械の一つが「魂」の存在をうらやむ場面は、何故か物悲しくて印象に残る。
人間の身体の中に、見えないけれど、確かに存在する「魂」とはなんぞや。
名前を失念してしまったんだけど、アメリカだったかどこか、確か白人の高名な脳外科の先生が、ずっとずっと魂の存在を否定してて、全ての事柄は脳の中で答えを出せると言ってたんだけど、晩年は考えが変わって、結局は「?」で答えを出せないまま亡くなったという話を聞いて思った。
自分の中に、答えはあるんだと。
魂が有るのか、無いのか。そんなもの、議論するまでも無い。
モノでも花でも何でも、大切にしていれば長持ちしてくれる。それは何故なんだろう。
なんでシルクロードの最終地点の国に、万物には全て魂が宿るという信仰が残るんだろう。
子供が一心に母親の愛情を求めるのは何故か。
ただ、お母さんが大好きだから。それだけだ。
物事は、本当は物凄くシンプルなのに、プライドやなにやらのメンドクサイ事柄をくっつけて、勝手に複雑にしてしまうのは、誰だ。
所有欲があれば、嫉妬に繋がる。
ヘタに知能が高いと、余計な事柄で苦しんでしまう。
聖書に書かれた「神は自分に似せて人間を作った」というくだりは、世界中に残る神話の中でも同じ様に書かれている、そこが面白い。
作られた素材は色々だがの。
高い知能を持って、人類は幸せになったんだろうか。
一心に求めて、そして諦める事を学ぶ。許すという事を学ぶ。その積み重ねが「魂」の素材を作るのならば、人工知能にも「魂」は生まれるだろう。
それならわしゃ、人口知能を持った子供型ロボットは要らないと思う。なんで僕、お母さんと同じ人間じゃないの?と思う、その最初の段階が可哀想でのぅ。
だけど、精巧なジュード・ロウみたいな性交ロボットなら・・・
有り金はたいても買う、かもな。
・・・、精巧な性交ロボットって・・オヤヂだ、俺。
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