突発性難聴になる理由は色々だが・・・・・
2007年4月4日 エッセイ
ISBN:4901491512 単行本 會澤 重勝 ナナコーポレートコミュニケーション 2006/07 ¥1,260
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昨年末あたりから、義母が突発性難聴に罹ってしまったという。
耳鳴りに加えて激しい眩暈にも襲われるのだとか。
耳の病気か脳腫瘍か、または全然別の理由なのかはまだ解らないんだけど、取り合えず今までの主治医ではない病院に検査入院している。
今まで掛かっていた主治医が言うには、検査の結果肉体的な疾患は見付からなかったので精神的な面が強いんでしょうと言われ、本人が納得出来ずの今回の行動なのだ。
個人的には、この別の医師に診せるという行動が、義妹の時に出来ていればとも思うんだけど、まぁいい。
それにこの半年ばかり、何かと理由をつけては近くに住む義弟の家に泊まりこんでいるらしい。
おまけに仕事で疲れて寝ている義弟を真夜中にわざわざ叩き起こしては「脳腫瘍じゃないか心配だ」とオロオロ訴えるんだと。
だけど、もし本当に脳腫瘍だったらどうだって言うんだろう。
私達には、もうすでに脳腫瘍で亡くなった家族がいる。彼女は43歳だった。
どっちにせよ、実の娘より長生きが出来ているんだもの、そうそうガタツク事もない気がするんだけどねぇ。
・・・と、みんな本人に言わないけど、そう思ってる。
おまけに義弟の家にいると安心するので、お喋りも食事も進むらしい。だから先日お彼岸の時にも義弟家族に「おばあちゃんって、どこが悪いの?」とおおっぴらに皮肉られる始末だ。
心が病気を呼ぶというのが、こういう老人の行動を見ていると良く判る。
もし本当に腫瘍があったりしたら、それこそ義妹のように「立てず、話せず、食べられず 吐く」の状態になってしまうのだ。
だけど彼女は死ぬ直前まで、自分がいかに苦しいか辛いかを、一言も愚痴らなかった。
その点では、彼女の気高さを尊敬したい。このプライドの高さゆえについた嘘が、みんなを苦しめたとしても、結局それで長年積み重なっていたこの家の澱が掻き出せたのだと思えば、全てが否定されるものでもないし。
私はきっと、自分が死ぬ時彼女の最後のこの姿をお手本にすると思う。
それが私に残された、唯一のプライドでもあるからだ。
それに「痛い、苦しい、死ぬ」という言葉は、もうそれだけで刃の様に聴いている人の心をズタズタにする威力があるんだもの、周りにいる人達にはとても聴かせられない言葉だ。
まぁ、その時になってみないと解らないけどねぇ・・・。
そんなこんなで暫くは、このお騒がせお婆さんの面倒をみんなで見る事になるんだろうけど、よくしたもので、師父も義弟も一生懸命母親の面倒を見てくれているから助かるよ。
どこぞの神社にお参りに行きたいといえば、結構な山奥でも兄弟で何とか連れて行ってるし、病院にも付き添ったり、具合が悪けりゃ看病するし。
全く良く出来た子供に恵まれましたね、お義母さんは。
だけど、みんなクールだよ。
・・・だから落ち着いて看てられるのかもな。
「おふくろの症状なんて、のんびり遊んでれば治っちまうぜ」
と、口には出さず、暗黙の了解でやっているから可笑しい。
もしこれを本人の前で言ったなら、返って意固地に病状を悪化させるだけだ。
看病や介護の労力を減らすには、看ている方の努力や工夫が大切なキー・ポイントになって来るよね。
昔々、義母は病気で寝ている人の傍をドタドタ走り回り、ガチャガチャとうるさく喚き散らしては、聞いている人達に頭痛と眩暈を起こさせた。
自分が病気にならないと、本当の意味で他人の痛みを理解するのは難しい。
あんまり理解の無い態度を通していると、こんな風に身をもって体感させられてしまうのかもな。
ああ、怖い怖い。
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昨年末あたりから、義母が突発性難聴に罹ってしまったという。
耳鳴りに加えて激しい眩暈にも襲われるのだとか。
耳の病気か脳腫瘍か、または全然別の理由なのかはまだ解らないんだけど、取り合えず今までの主治医ではない病院に検査入院している。
今まで掛かっていた主治医が言うには、検査の結果肉体的な疾患は見付からなかったので精神的な面が強いんでしょうと言われ、本人が納得出来ずの今回の行動なのだ。
個人的には、この別の医師に診せるという行動が、義妹の時に出来ていればとも思うんだけど、まぁいい。
それにこの半年ばかり、何かと理由をつけては近くに住む義弟の家に泊まりこんでいるらしい。
おまけに仕事で疲れて寝ている義弟を真夜中にわざわざ叩き起こしては「脳腫瘍じゃないか心配だ」とオロオロ訴えるんだと。
だけど、もし本当に脳腫瘍だったらどうだって言うんだろう。
私達には、もうすでに脳腫瘍で亡くなった家族がいる。彼女は43歳だった。
どっちにせよ、実の娘より長生きが出来ているんだもの、そうそうガタツク事もない気がするんだけどねぇ。
・・・と、みんな本人に言わないけど、そう思ってる。
おまけに義弟の家にいると安心するので、お喋りも食事も進むらしい。だから先日お彼岸の時にも義弟家族に「おばあちゃんって、どこが悪いの?」とおおっぴらに皮肉られる始末だ。
心が病気を呼ぶというのが、こういう老人の行動を見ていると良く判る。
もし本当に腫瘍があったりしたら、それこそ義妹のように「立てず、話せず、食べられず 吐く」の状態になってしまうのだ。
だけど彼女は死ぬ直前まで、自分がいかに苦しいか辛いかを、一言も愚痴らなかった。
その点では、彼女の気高さを尊敬したい。このプライドの高さゆえについた嘘が、みんなを苦しめたとしても、結局それで長年積み重なっていたこの家の澱が掻き出せたのだと思えば、全てが否定されるものでもないし。
私はきっと、自分が死ぬ時彼女の最後のこの姿をお手本にすると思う。
それが私に残された、唯一のプライドでもあるからだ。
それに「痛い、苦しい、死ぬ」という言葉は、もうそれだけで刃の様に聴いている人の心をズタズタにする威力があるんだもの、周りにいる人達にはとても聴かせられない言葉だ。
まぁ、その時になってみないと解らないけどねぇ・・・。
そんなこんなで暫くは、このお騒がせお婆さんの面倒をみんなで見る事になるんだろうけど、よくしたもので、師父も義弟も一生懸命母親の面倒を見てくれているから助かるよ。
どこぞの神社にお参りに行きたいといえば、結構な山奥でも兄弟で何とか連れて行ってるし、病院にも付き添ったり、具合が悪けりゃ看病するし。
全く良く出来た子供に恵まれましたね、お義母さんは。
だけど、みんなクールだよ。
・・・だから落ち着いて看てられるのかもな。
「おふくろの症状なんて、のんびり遊んでれば治っちまうぜ」
と、口には出さず、暗黙の了解でやっているから可笑しい。
もしこれを本人の前で言ったなら、返って意固地に病状を悪化させるだけだ。
看病や介護の労力を減らすには、看ている方の努力や工夫が大切なキー・ポイントになって来るよね。
昔々、義母は病気で寝ている人の傍をドタドタ走り回り、ガチャガチャとうるさく喚き散らしては、聞いている人達に頭痛と眩暈を起こさせた。
自分が病気にならないと、本当の意味で他人の痛みを理解するのは難しい。
あんまり理解の無い態度を通していると、こんな風に身をもって体感させられてしまうのかもな。
ああ、怖い怖い。
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