gaining through losing
2007年2月6日 エッセイ
いつも自分の日記を書く前にリンクして下さっている方達の日記を読むんだが、時々その内容がツボにハマって大笑いしてしまい、何が書きたかったのかを忘れる事がある。
今日もみかやん。さんのトコであまりの可笑しさに足止め食って、危うく書く事すら忘れるトコだった。
似たような音を聞き間違う「そら耳」ならぬ「バカ耳」はわしの得意(?)とする所だが、みかやん。さんとこの婆さんもかなりキテますなぁ。
それにシャンプーのボトルが落ちた弾みで中身が飛び出し、顔にかかったのを「セルフ顔射」とは。
ああ、笑った笑った。いつも楽しい話題を多謝ですっ。
この所ちょっと凹んでたわしの心に、またポッと灯りが燈った気がしますぞぇ。
と言うのも、わしの大好きな若旦那が突然店をタタンでしまったからなのよ。
2月1日、久しぶりにお店の方に行ったら、もうすっかりキレイにカラの状態だったから、本当にびっくりしたさ。
その約1週間前、久しく見かけなかった若旦那がわしらの店の横を通りかかったんだけど、少し立ち止まってなにやら感慨深そうに、なんとなく声掛け難い姿でいるなぁと思ってたら、そのまま立ち去ってしまった事があったのね。
あの時はこちらから声掛ければ良かったのかなぁとも思ったけど、今はそれで良かったのだと思う。
背中から「声かけないでくれっ」オーラ出してたよなぁ、あの時の若旦那。
店をたたむ時の気持ちは、わしにも判る。abc小姐と店番してたお店をたたむ時のあの寂しさと残念無念な想いは、誰にぶつけられるものではないし。
なんでお店閉めちゃうの?なんて聞くほどヤボじゃないけど、若旦那にしてみたら「今は言いたくない。もし後で、またご縁があったら後々会った時にでも、その時の話をしましょう」位の感じだったのかもね。
彼とは、よくこんな類の話をした。
だから何となく漠然と、これでいいのだと思う。
なんらかの事情での撤退なのか、別の場所への勇退なのかは知るすべもないけれど、さよならも言わず、直ぐ傍まで来ながら言葉も掛けずに只立ち止まっていたのには、彼なりの理由があるんだろうから、言いたくなければ言わなくてもいいよ。
会えば別れる。別れれば、また出会いがある。
先週は随分悲しい気持ちがしてたけど、此処に来て落ち着いたらしい。
ひとつ悲しい出来事が起こると、それに類する、まだ心の中でキチンと昇華出来ていない古い記憶が奥底から浮び上がってきて、感情が乱される。
そうして、その感情を見つめていると、自分にはまだこんなに解決出来て居ない「悲しい出来事」が有ったんだと思い知る訳だ。
今自分自身に取り付いている「感情の乱れ」の根本の原因をキチンと見極めないと、人によっては精神や肉体まで蝕まれてしまうかも知れないね。
私の記憶の中には、何人もの「さよならを言わないで去っていった人達」がいる。
今回の若旦那の一件で心の中に浮び上がって来たのは、5歳の頃よく一緒にお茶飲みながら話相手になってくれた近所の駐在さんの奥さんの事だった。
自宅から歩いて2〜3分の所にあった駐在所に住んでた若い警官夫婦の奥さんがとても子供を可愛がってくれたので、わしゃいい気になってしょっちゅう遊びに行っていた。
ところがある日、その家に住む人達が突然別の家族に変わっていたのだ。
その日の事を今でもよく覚えている位だから、余程ショックだったんだと思う。
いつもの様に遊びに行ったら、見たことの無いデカイ小父さんがニコニコ笑いながら「今日からは、小父さん達とあそぼうなっ」とヌカしやがったのだ。
ビックリして固まって、泣いて、テメェなんか嫌いだっと叫んで逃げた。
・・・、その時の事を後々警察署長になってからも、酒飲むとグチった小父さんは、今もお元気かすら。随分前に定年退職なさったはずだが・・・
おメェは俺の顔見て泣いて喚いたんだぞ。判るか?その時の俺の切ない気持がよ。
確かに、確かに、切ないわな。
新しい人達は前任の夫婦から「毎日じゃないけど、ちょくちょく近所の小さい女の子が1人で遊びに来るから、遊んであげてね」と言われてたんだろう。
1人娘に友達が出来るねと、その家族も喜んで待っていてくれたんだろう。
それが、会ったとたんに「何だテメェはーーー」と喚かれ、大泣きされるとは・・・・
確かに、切ないわ。
その新しい家族の1人娘はわしのねーちゃんと同学年で、小父さんも父の麻雀仲間としてそれぞれ良いご近所付き合いをしてはいたんだが、幼いわしの心の中にはイマイチ下せないわだかまりが澱の様に沈殿していたのだわな。
その澱が、このたびの一件でフワリと剥がれて浮いて出たんだわ。ああ、あれから43年。
・・・・・長すぎだよ。
置いて行かれたとか、捨てられたとかいう悲しみは、元を正せば何となく対処可能になるものだ。
たとえ本当に捨てられたとしても、その後拾ってくれた人が必ずいる筈。だから今日の自分がいる訳で。
始まれば終わり、終われば又始まる。
人生なんて、そんな事の繰り返し。
イタズラにその事に縛られて、心身共に不調になって、何時までも病気で御座いなんてツマラナイ。
ご縁があればまた会える。サヨナラだけが人生さ。一期一会を大切に。
そういう心境になれるのも、歳相応って事かしらねぇ。
それにこの歳になると、何故別れの言葉を言わずに去ったのかが、少し理解出来る。
泣かれるのが辛かったのだよ、その人達は。
だけど、それだからこそ言いたい。幼くてもイベントはキチンと通過させないとダメだぞ、と。
大人になればなおさらだ。ケジメをつけないと、先に進み難くなるし。
まぁ、しょうがないっちゃ、しょうがないんだがの。相手のいる事だしね。
しかし、若旦那。あの声が聞けなくなるのは、ホント残念だ〜
今んとこジョン・レジェンドの声が一番似てるんだよなぁ・・・。CD買っちゃおうかすら。
ああ、ああ、ああ〜
なんとなく、まだ吹っ切れてないのが、ホンネ。
そうそう、フォルテ小姐情報多謝です。↓
http://www.youtube.com/watch?v=C0XHAJW-3_8
以前見逃してしまった堅ちゃん関連の「トレビの泉」が、まさかここで観られるとは思ってませんでした。感激ですっ。
しかし、「哀歌/エレジー」のビデオクリップは、観れば観るほどいかがわしいですわ。なんてったって「覗き窓」だもんね。
それにマスク被った男女二人が、何となくトヨエツとしのぶちゃんに似てるんだけど、それは気のせいだわな。
今日もみかやん。さんのトコであまりの可笑しさに足止め食って、危うく書く事すら忘れるトコだった。
似たような音を聞き間違う「そら耳」ならぬ「バカ耳」はわしの得意(?)とする所だが、みかやん。さんとこの婆さんもかなりキテますなぁ。
それにシャンプーのボトルが落ちた弾みで中身が飛び出し、顔にかかったのを「セルフ顔射」とは。
ああ、笑った笑った。いつも楽しい話題を多謝ですっ。
この所ちょっと凹んでたわしの心に、またポッと灯りが燈った気がしますぞぇ。
と言うのも、わしの大好きな若旦那が突然店をタタンでしまったからなのよ。
2月1日、久しぶりにお店の方に行ったら、もうすっかりキレイにカラの状態だったから、本当にびっくりしたさ。
その約1週間前、久しく見かけなかった若旦那がわしらの店の横を通りかかったんだけど、少し立ち止まってなにやら感慨深そうに、なんとなく声掛け難い姿でいるなぁと思ってたら、そのまま立ち去ってしまった事があったのね。
あの時はこちらから声掛ければ良かったのかなぁとも思ったけど、今はそれで良かったのだと思う。
背中から「声かけないでくれっ」オーラ出してたよなぁ、あの時の若旦那。
店をたたむ時の気持ちは、わしにも判る。abc小姐と店番してたお店をたたむ時のあの寂しさと残念無念な想いは、誰にぶつけられるものではないし。
なんでお店閉めちゃうの?なんて聞くほどヤボじゃないけど、若旦那にしてみたら「今は言いたくない。もし後で、またご縁があったら後々会った時にでも、その時の話をしましょう」位の感じだったのかもね。
彼とは、よくこんな類の話をした。
だから何となく漠然と、これでいいのだと思う。
なんらかの事情での撤退なのか、別の場所への勇退なのかは知るすべもないけれど、さよならも言わず、直ぐ傍まで来ながら言葉も掛けずに只立ち止まっていたのには、彼なりの理由があるんだろうから、言いたくなければ言わなくてもいいよ。
会えば別れる。別れれば、また出会いがある。
先週は随分悲しい気持ちがしてたけど、此処に来て落ち着いたらしい。
ひとつ悲しい出来事が起こると、それに類する、まだ心の中でキチンと昇華出来ていない古い記憶が奥底から浮び上がってきて、感情が乱される。
そうして、その感情を見つめていると、自分にはまだこんなに解決出来て居ない「悲しい出来事」が有ったんだと思い知る訳だ。
今自分自身に取り付いている「感情の乱れ」の根本の原因をキチンと見極めないと、人によっては精神や肉体まで蝕まれてしまうかも知れないね。
私の記憶の中には、何人もの「さよならを言わないで去っていった人達」がいる。
今回の若旦那の一件で心の中に浮び上がって来たのは、5歳の頃よく一緒にお茶飲みながら話相手になってくれた近所の駐在さんの奥さんの事だった。
自宅から歩いて2〜3分の所にあった駐在所に住んでた若い警官夫婦の奥さんがとても子供を可愛がってくれたので、わしゃいい気になってしょっちゅう遊びに行っていた。
ところがある日、その家に住む人達が突然別の家族に変わっていたのだ。
その日の事を今でもよく覚えている位だから、余程ショックだったんだと思う。
いつもの様に遊びに行ったら、見たことの無いデカイ小父さんがニコニコ笑いながら「今日からは、小父さん達とあそぼうなっ」とヌカしやがったのだ。
ビックリして固まって、泣いて、テメェなんか嫌いだっと叫んで逃げた。
・・・、その時の事を後々警察署長になってからも、酒飲むとグチった小父さんは、今もお元気かすら。随分前に定年退職なさったはずだが・・・
おメェは俺の顔見て泣いて喚いたんだぞ。判るか?その時の俺の切ない気持がよ。
確かに、確かに、切ないわな。
新しい人達は前任の夫婦から「毎日じゃないけど、ちょくちょく近所の小さい女の子が1人で遊びに来るから、遊んであげてね」と言われてたんだろう。
1人娘に友達が出来るねと、その家族も喜んで待っていてくれたんだろう。
それが、会ったとたんに「何だテメェはーーー」と喚かれ、大泣きされるとは・・・・
確かに、切ないわ。
その新しい家族の1人娘はわしのねーちゃんと同学年で、小父さんも父の麻雀仲間としてそれぞれ良いご近所付き合いをしてはいたんだが、幼いわしの心の中にはイマイチ下せないわだかまりが澱の様に沈殿していたのだわな。
その澱が、このたびの一件でフワリと剥がれて浮いて出たんだわ。ああ、あれから43年。
・・・・・長すぎだよ。
置いて行かれたとか、捨てられたとかいう悲しみは、元を正せば何となく対処可能になるものだ。
たとえ本当に捨てられたとしても、その後拾ってくれた人が必ずいる筈。だから今日の自分がいる訳で。
始まれば終わり、終われば又始まる。
人生なんて、そんな事の繰り返し。
イタズラにその事に縛られて、心身共に不調になって、何時までも病気で御座いなんてツマラナイ。
ご縁があればまた会える。サヨナラだけが人生さ。一期一会を大切に。
そういう心境になれるのも、歳相応って事かしらねぇ。
それにこの歳になると、何故別れの言葉を言わずに去ったのかが、少し理解出来る。
泣かれるのが辛かったのだよ、その人達は。
だけど、それだからこそ言いたい。幼くてもイベントはキチンと通過させないとダメだぞ、と。
大人になればなおさらだ。ケジメをつけないと、先に進み難くなるし。
まぁ、しょうがないっちゃ、しょうがないんだがの。相手のいる事だしね。
しかし、若旦那。あの声が聞けなくなるのは、ホント残念だ〜
今んとこジョン・レジェンドの声が一番似てるんだよなぁ・・・。CD買っちゃおうかすら。
ああ、ああ、ああ〜
なんとなく、まだ吹っ切れてないのが、ホンネ。
そうそう、フォルテ小姐情報多謝です。↓
http://www.youtube.com/watch?v=C0XHAJW-3_8
以前見逃してしまった堅ちゃん関連の「トレビの泉」が、まさかここで観られるとは思ってませんでした。感激ですっ。
しかし、「哀歌/エレジー」のビデオクリップは、観れば観るほどいかがわしいですわ。なんてったって「覗き窓」だもんね。
それにマスク被った男女二人が、何となくトヨエツとしのぶちゃんに似てるんだけど、それは気のせいだわな。
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