わしは英語の「Who」の使い方が良くワカラン。
本当に苦手で、なんでここに「誰」という言葉を使わなくてはならないのか、その意味が未だに理解出来てないので、悲しいかなキチンと使えない。多分一生使えない気がする・・・
そんな事を、この原題を観ながらフト思った。
ああ、物事にこだわってしまう学習障害児の悲しさよing。(現在進行形)
さて。
とても丁寧なアメリカ語の聴けるこの映画は、同時に俳優達の素晴らしい演技が見られる作品でもあり、また偏見に対する自分との対話が出来る本当の傑作だ。
親と子の対立、人種間の対立、男と女の対立、友達との対立。自分の考えと他人の考えとの対立。
世の中には、ありとあらゆる対立があるのに、普段は全くそれが無いかのように隠されている。
だけど、その対立がひとたび目の前に突きつけられた時、人はどういうリアクションを取るんだろうか。どういう態度で臨んだら良いんだろうか。
日頃から、自分の心を良く知っておくのは大切だよなぁと思う。不動の心は一日では作れないものだ。
この中で、自分の意に反して白人娘と結婚しようとする息子に対し黒人の父親が怒るシーンが有る。
「お前の為に重い鞄を提げて仕事を続け、母さんはお洒落一つもしないでお前を大学へ行かせたのに・・・」というくだりだ。
それに対しての息子シドニー・ポワチェのセリフがあまりに正論で、なんでこんな当たり前の事に、この父親は気付かないのかとオカシクなる。
「重い鞄を提げて仕事するのは、それがあなたの仕事だったからです。親が子供を育てるのは当たり前の義務で、それに対して僕がトヤカク言われる筋合いはない」
もう噴出したね。この親は、ただこう言いたかっただけなのだ。
「お父さんだって、大変だったんだよ〜。俺の苦労を労ってくれよ〜」と。
甘えなんだけどね。自分が思ったように甘えられないと、人は怒るもんだよな。
娘の方の父親も、何やかや言いながら、自分の心の中にある偏見「自分は常に、他者から一目置かれる人物なのだ」と言うこだわりと、黒人に対する蔑視ではなく、娘が蔑視される事の不安から態度が頑なになってしまう。
随分歳を取ってから出来た娘は、さぞかし掌中の玉だろう。心配なのだ。だから、自分の不安を、相手に押し付けてしまう。
だけど、先の事なんか誰にも判らない。
母親達の、ちょっとご都合の良過ぎる展開は、この際横に置いときましょう。この映画では、とりあえず男達の心がテーマになってて、女性達は常に明日を見つめて軽やかにステップを踏んでるという「希望」が込められているから。
・・・実際問題としては、もっとドロっと来るかもだが。
この作品はドキュメンタリーではない。演劇には、観終わって明日へ希望を持ちたくなるような作品があったっていい筈だ。
こんな感じに親子が話し合えたらいいね。夫婦が分かり合えたらいいねという希望が込められていて、わしゃ好きだ。
本当に苦手で、なんでここに「誰」という言葉を使わなくてはならないのか、その意味が未だに理解出来てないので、悲しいかなキチンと使えない。多分一生使えない気がする・・・
そんな事を、この原題を観ながらフト思った。
ああ、物事にこだわってしまう学習障害児の悲しさよing。(現在進行形)
さて。
とても丁寧なアメリカ語の聴けるこの映画は、同時に俳優達の素晴らしい演技が見られる作品でもあり、また偏見に対する自分との対話が出来る本当の傑作だ。
親と子の対立、人種間の対立、男と女の対立、友達との対立。自分の考えと他人の考えとの対立。
世の中には、ありとあらゆる対立があるのに、普段は全くそれが無いかのように隠されている。
だけど、その対立がひとたび目の前に突きつけられた時、人はどういうリアクションを取るんだろうか。どういう態度で臨んだら良いんだろうか。
日頃から、自分の心を良く知っておくのは大切だよなぁと思う。不動の心は一日では作れないものだ。
この中で、自分の意に反して白人娘と結婚しようとする息子に対し黒人の父親が怒るシーンが有る。
「お前の為に重い鞄を提げて仕事を続け、母さんはお洒落一つもしないでお前を大学へ行かせたのに・・・」というくだりだ。
それに対しての息子シドニー・ポワチェのセリフがあまりに正論で、なんでこんな当たり前の事に、この父親は気付かないのかとオカシクなる。
「重い鞄を提げて仕事するのは、それがあなたの仕事だったからです。親が子供を育てるのは当たり前の義務で、それに対して僕がトヤカク言われる筋合いはない」
もう噴出したね。この親は、ただこう言いたかっただけなのだ。
「お父さんだって、大変だったんだよ〜。俺の苦労を労ってくれよ〜」と。
甘えなんだけどね。自分が思ったように甘えられないと、人は怒るもんだよな。
娘の方の父親も、何やかや言いながら、自分の心の中にある偏見「自分は常に、他者から一目置かれる人物なのだ」と言うこだわりと、黒人に対する蔑視ではなく、娘が蔑視される事の不安から態度が頑なになってしまう。
随分歳を取ってから出来た娘は、さぞかし掌中の玉だろう。心配なのだ。だから、自分の不安を、相手に押し付けてしまう。
だけど、先の事なんか誰にも判らない。
母親達の、ちょっとご都合の良過ぎる展開は、この際横に置いときましょう。この映画では、とりあえず男達の心がテーマになってて、女性達は常に明日を見つめて軽やかにステップを踏んでるという「希望」が込められているから。
・・・実際問題としては、もっとドロっと来るかもだが。
この作品はドキュメンタリーではない。演劇には、観終わって明日へ希望を持ちたくなるような作品があったっていい筈だ。
こんな感じに親子が話し合えたらいいね。夫婦が分かり合えたらいいねという希望が込められていて、わしゃ好きだ。
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