DVD 角川エンタテインメント 2005/09/23 ¥4,725 大映首脳陣に「若尾文子を女にしてみせる」と言いきった川島雄三監督が、所期の目的を達成すべく選んだのは、富田常雄の小説「小えん日記」の映画化。本能の赴くままに生きる、天衣無縫の芸者・小えん(若尾文子)が、男たちとの情事を通じて、やがて真の幸福に目覚めていくという、小えんと若尾のキャラを微妙にダブらせた絶妙な素材。
***********
これ、ホント面白いです。
まだ20代前半だろう当時の若尾文子の可愛いこと。何となく深キョンを連想させて興味深かったよな。
こう見て見ると、今も昔も世に出て人気者になるには一つの決まったパターンがあるみたいね。
昔の映画を見直してると、今のスターと似ている人が多い事に気付く。顔や仕草や居佇まいが何処と無く似通っている人が、時代が変わっても次々に出てくるんだよね。
だけど「ソックリさん」ではいけない。似てるけど、別に真似した訳でも整形してわざと近づけているわけでも無い元々の素材が何となく似ている。
これが役柄や個人の性格などによって絶妙な化学変化を起こすと、ヒョイと世に出て人気者になるのかもね。
この所ケープルテレビで昔の映画を見る機会が増えて、特にそう思うようになったよ。
さて。
原作の「小えん日記」は読んだことが無いのでどう違うのか、どう同じなのかは解らないんだけど、この映画だけでも十分に面白く楽しめる作品だ。
芸者とは名ばかりの水引芸者(売春専門)の小えんが、様々な出来事の涯に、本当に自分の心が求めていたのは何かに気付くまでのお話で、ラスト・シーンも「これからどっちに行くのかな? でもいい方角だな。いい関係だな」という何となく幸せになりそうな余韻を残してプッツリと終わる。
面白い終わり方だった。
お妾さんにもなるのでそれなりの修羅場も有るのだが、彼女はとても冷静に男の性を見極める知性を持っている。
ろくに学校にも通えなかった貧しい農家の出なのだが、感情のコントロールが出来無い女学校出の本妻よりも、余程人間として上出来だ。
この「キチガイ・ババァ」の本妻を若かりし(?)頃の山岡久乃が好演しているのも見物。
セリフによると40がらみの女だという。わしだな?あの本妻の世代は、今のわしらの世代なのだな?
おーーーーー。ババァだわな、確かに。(^_^)v
最初夫の浮気は妻の不甲斐無さと男の肩を持っていた小えんが、最後には「でも、みんな無責任なお父さんのせいだわよ」と、キチンと行き着くあたりのシーンが秀悦。
優しいけれど無責任だった男の墓に詣でて、故人に話しかけるように1人ごち、最後に墓石に水をざばーーーっとぶっ掛けて、はいさようなら。
男が死ぬ間際まで気に掛けていた、まるで形見にもらった様な腕時計すら、あっさり人に上げてしまう。
そう、そんな不実な男のモノなどもう何一つ必要ないのだ。
生まれ変わった彼女には。
そしてもう一つ。彼女にとって男の怖さを思い知る出来事があった。
彼女が淡い思いを寄せ、彼も彼女を憎からず想い、確かに慕い合っていた学生の、残酷な態度だ。
真面目でいかにも誠実な感じの大学生だった彼が、自分の思いを遂げられなかった事を根に持ったのかどうなのか、商社マンとなった後に、彼女に自分の取引相手である外国人の相手をさせる場面はホントに悲しいし情けない。
彼女はかつて、彼がそっと彼女の後をつけていた事をしっている。芸者置屋の前まで来ても、声も掛けられずに帰った姿を観ている。
そして自分の初恋の人だとも言った。
その男が、自分に外国人の相手をしろと指名して来た。
これは、残酷な仕返しだ。思いを遂げられなかった相手を見下す事で、自分の高いばかりで薄っぺらなプライドを保とうとしているのだから。
あまりに執念深くて、よく蛇みたいと評される男の歪んだ愛情表現が解りやすく表現されていて実にお見事。
ああ、怖い。
そんなこんなで、彼女は殆どの男を見限った。
いやいや、見限る事が出来たと言う方がいいかな。
そんな彼女の前に現れる二人の男。
昔肉体関係を持ちながらも、いい距離を取ってくれた二人の男達。彼女を敬ってくれた人達だ。
沢山のくだらない人間に囲まれていても、数少ない良質の友人が居れば、人は孤独ではないと思う。
その思い出だけでも、人は生きていける。
その人達のお蔭で、何時でも人生の軌道を修正出来る。
そんな希望を感じさせる作品だった。
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これ、ホント面白いです。
まだ20代前半だろう当時の若尾文子の可愛いこと。何となく深キョンを連想させて興味深かったよな。
こう見て見ると、今も昔も世に出て人気者になるには一つの決まったパターンがあるみたいね。
昔の映画を見直してると、今のスターと似ている人が多い事に気付く。顔や仕草や居佇まいが何処と無く似通っている人が、時代が変わっても次々に出てくるんだよね。
だけど「ソックリさん」ではいけない。似てるけど、別に真似した訳でも整形してわざと近づけているわけでも無い元々の素材が何となく似ている。
これが役柄や個人の性格などによって絶妙な化学変化を起こすと、ヒョイと世に出て人気者になるのかもね。
この所ケープルテレビで昔の映画を見る機会が増えて、特にそう思うようになったよ。
さて。
原作の「小えん日記」は読んだことが無いのでどう違うのか、どう同じなのかは解らないんだけど、この映画だけでも十分に面白く楽しめる作品だ。
芸者とは名ばかりの水引芸者(売春専門)の小えんが、様々な出来事の涯に、本当に自分の心が求めていたのは何かに気付くまでのお話で、ラスト・シーンも「これからどっちに行くのかな? でもいい方角だな。いい関係だな」という何となく幸せになりそうな余韻を残してプッツリと終わる。
面白い終わり方だった。
お妾さんにもなるのでそれなりの修羅場も有るのだが、彼女はとても冷静に男の性を見極める知性を持っている。
ろくに学校にも通えなかった貧しい農家の出なのだが、感情のコントロールが出来無い女学校出の本妻よりも、余程人間として上出来だ。
この「キチガイ・ババァ」の本妻を若かりし(?)頃の山岡久乃が好演しているのも見物。
セリフによると40がらみの女だという。わしだな?あの本妻の世代は、今のわしらの世代なのだな?
おーーーーー。ババァだわな、確かに。(^_^)v
最初夫の浮気は妻の不甲斐無さと男の肩を持っていた小えんが、最後には「でも、みんな無責任なお父さんのせいだわよ」と、キチンと行き着くあたりのシーンが秀悦。
優しいけれど無責任だった男の墓に詣でて、故人に話しかけるように1人ごち、最後に墓石に水をざばーーーっとぶっ掛けて、はいさようなら。
男が死ぬ間際まで気に掛けていた、まるで形見にもらった様な腕時計すら、あっさり人に上げてしまう。
そう、そんな不実な男のモノなどもう何一つ必要ないのだ。
生まれ変わった彼女には。
そしてもう一つ。彼女にとって男の怖さを思い知る出来事があった。
彼女が淡い思いを寄せ、彼も彼女を憎からず想い、確かに慕い合っていた学生の、残酷な態度だ。
真面目でいかにも誠実な感じの大学生だった彼が、自分の思いを遂げられなかった事を根に持ったのかどうなのか、商社マンとなった後に、彼女に自分の取引相手である外国人の相手をさせる場面はホントに悲しいし情けない。
彼女はかつて、彼がそっと彼女の後をつけていた事をしっている。芸者置屋の前まで来ても、声も掛けられずに帰った姿を観ている。
そして自分の初恋の人だとも言った。
その男が、自分に外国人の相手をしろと指名して来た。
これは、残酷な仕返しだ。思いを遂げられなかった相手を見下す事で、自分の高いばかりで薄っぺらなプライドを保とうとしているのだから。
あまりに執念深くて、よく蛇みたいと評される男の歪んだ愛情表現が解りやすく表現されていて実にお見事。
ああ、怖い。
そんなこんなで、彼女は殆どの男を見限った。
いやいや、見限る事が出来たと言う方がいいかな。
そんな彼女の前に現れる二人の男。
昔肉体関係を持ちながらも、いい距離を取ってくれた二人の男達。彼女を敬ってくれた人達だ。
沢山のくだらない人間に囲まれていても、数少ない良質の友人が居れば、人は孤独ではないと思う。
その思い出だけでも、人は生きていける。
その人達のお蔭で、何時でも人生の軌道を修正出来る。
そんな希望を感じさせる作品だった。
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