病は気からのボーダーラインは・・・
2005年12月18日 エッセイ
12月に入ってから急に寒くなった事もあって、実は体調がガタついていた。
全く情けない。
所が肉体の方は以前よりもヨロケ度が浅いようで、思ったよりも体力があり、結構動けたりしたのだ。
が。
問題なのは気力の方だった。
確かに無理は禁物。無理して自分にムチ打ってまで頑張る必要なんかないんだけど、不必要な甘えも良くない。
心の甘えは肉体の堕落を招く。
ホント言うと、12月に入ったとたんに、キツイ出来事があったのさ。
二週間前に義弟の嫁さんのお母さんの容態が急変して病院にお見舞いに行ったんだけど、すでに意識は無く、可哀想だけどそろそろかなぁという状態に陥ってしまった。
彼女の家は昨年お父さんが重い癌で亡くなっているし、義妹の一件でも大変世話になってて、今年はのんびりして欲しいなぁと思っている時に今度はお母さんの病気が悪化。
続く時には続くんだよねぇなんて、慰めにもならない言葉で誤魔化している内にこの有様。
二年続けて両親を見取らなければならない彼女の心境なんて、誰も判るわけが無いし。
もし同じ経験をしたとしても、そっくり同じ痛みを感じるわけじゃなし、安易に同情したり励ましたり慰めたりするよりも、敢て少し距離を置いて、痛みを感じている人の言葉を聞くだけの係りに徹した方がいいと最近強く思う様になったので、敢て少し離れていた。
義兄夫婦に心配を掛けまいと、勤めて明るく振舞う彼女のプライドを汚してはいけないと。
人は誰の前でも泣けるわけじゃない。誰の前でも自分を晒せる訳じゃない。だから泣かずに気丈に振舞っているのなら、その心根は尊重しないとね。
彼女が目の前で感情を露わにして泣きたい人は、私達じゃないからだ。
そのお見舞いに行った次の日から、わしの鼻水が止まらなくなって、あわや風邪にっ!という事態になった。
だけどこの年末に来て風邪で寝込んでいる訳には行かないので、そっと自分にこう言い聞かせる事にした。
「風邪は今日治る」
大切なのは「治す」ではない事。強制が入ると心はそれに反発を感じてしまうという。
誰がなおってやるもんかっ、と、無意識のうちに抵抗したりするし、治さなければっというプレッシャーになって、かえって良くないらしい。
で、「治る」とだけ呪文の様に言い聞かせる。
そしたら不思議な事に、症状がそれより落ちて行かない事に気がついたのだ。
何時もなら、これだけ寒気がして鼻水が出ていたら次には喉が痛くなって即微熱のコースを取るのに、翌日にはすでに治りかけの症状になって居るじゃないの。
こんなの初めてだったので、自分でビツクリした。
寒気がして洟が垂れてても、翌日には回復出来るのかって。
これが気の力なんだなぁと、今更ながらに実感したよ。
勿論辛い修行を積んだ坊さんや行者じゃないので、火の上を歩ける訳じゃないんだけど、病気の症状を重い方へ落とすか落とさないかの瀬戸際でフラフラしている状態を、グググッと良い方に引き戻す事は誰にも出来るんだと思うのさ。
だけど、その時に必要なのは、ただ「うっ」とか言って気張ったり力を入れたり頑固に頑張ったりする事じゃない。
むしろ全く反対の事をしないといけない。
よく身体を緩めて、自分の内面と対話する事が重要だ。
どうして病気を重くしたいんだろう。誰に何を求めているんだろう。
とね。
とりあえずそれでなんとか凌げたかと思ってたら、やっばりお葬式になってしまい、葬儀には出る事が出来無いのでお通夜に行ったんだけど、そこでまた風邪の症状がぶり返してしまった。
翌日は横浜へ行く日で、これは外せないので何とか行ったんだけど、ああッホントにヤパイよこれは。
その次の日は浅草。行ったさ、行けたさ。自分でも信じられんがの。
なんとかなったのかすら、とか思ってたら今度は妙に精神面が不安定になって、あららと思う間に生理になってしまった。
寒いし、身体硬いし、久しぶりに大層な量だしで、いゃあ痛かったなぁ。
そうよね私ってば、子宮内膜症なのよ。
久しぶりに物凄く痛いよ〜と泣いていても、仕事の日は無情にやって来る。
数年前なら寝込んでる所だ。
だけど、どうした訳か、朝痛くて泣きながら出かけていっても、ちゃんと仕事は出来て居る。
本当に酷い症状の頃は立ち上がる事さえ無理だったんだから、肉体的にはかなり回復しているという事だ。
つまりは、ここからは気力の問題となって来る。
風邪の初期症状の時と同じだ。
んで、ゆっくり気張った。でも痛いから、泣きながらだがの。
そしたら休まず行けたんだよねぇ。ビックリビックリ。
お腹痛いよぅ、休めないよぅ、でも行けないよぅ。で休んで、その間物凄い自己嫌悪に陥ってダメな自分を責めて、そのマイナスの心理状態が病状を更に悪化させてしまうのにも気付かずに、気がついたら筋肉や内臓までがゴワゴワに強張ってしまっていた。
それが今までの自分だったんだよね。
病気は今日治るよ〜、だから安心しな〜
で、本当にすっかり良くなる訳じゃないんだけど、何よりも自分が安心するんだわ。
で、それ以上に悪くはなって行かない。
病気が重くなってしまうのには、沢山の理由があって、とても一つだけを挙げる訳には行かない。
食べ物もあるし、環境もあるし。
だけど何よりも大切なのは、心の持ち方だ。
辛くても楽しい事が一つでもあれば、人は生きていける。
どんなに痛くても、心配して傍に居てくれる人が居れば、痛みは軽減してしまう。
それを実感出来無いのは、自分の気持ちのどこかに、大きく自分自身を見誤っている箇所があるから。
病気が重くなってどんどん病人の出る家には、やっぱり精神的な重圧やらなにやらの、病気になる環境と、生きていても楽しくない要素が必ずセットで有るはずだ。
健康食品や怪しい医療器具や薬に手を出す前に、そんな所を見直すと、案外安く病気を治せるかもね。
自分を見つめるのは、時にとても辛い。
病気になってヨシヨシと可愛がって貰いたい欲求は、誰もがもってるし、それ自体は恥ずかしい事でもなんでもない。
だけど、そういう自分の姿を認められないのは浅ましいブライドで、弱い自分を認められない弱さはちょっと恥ずかしいかもなって、思ったりするこの頃だ。
全く情けない。
所が肉体の方は以前よりもヨロケ度が浅いようで、思ったよりも体力があり、結構動けたりしたのだ。
が。
問題なのは気力の方だった。
確かに無理は禁物。無理して自分にムチ打ってまで頑張る必要なんかないんだけど、不必要な甘えも良くない。
心の甘えは肉体の堕落を招く。
ホント言うと、12月に入ったとたんに、キツイ出来事があったのさ。
二週間前に義弟の嫁さんのお母さんの容態が急変して病院にお見舞いに行ったんだけど、すでに意識は無く、可哀想だけどそろそろかなぁという状態に陥ってしまった。
彼女の家は昨年お父さんが重い癌で亡くなっているし、義妹の一件でも大変世話になってて、今年はのんびりして欲しいなぁと思っている時に今度はお母さんの病気が悪化。
続く時には続くんだよねぇなんて、慰めにもならない言葉で誤魔化している内にこの有様。
二年続けて両親を見取らなければならない彼女の心境なんて、誰も判るわけが無いし。
もし同じ経験をしたとしても、そっくり同じ痛みを感じるわけじゃなし、安易に同情したり励ましたり慰めたりするよりも、敢て少し距離を置いて、痛みを感じている人の言葉を聞くだけの係りに徹した方がいいと最近強く思う様になったので、敢て少し離れていた。
義兄夫婦に心配を掛けまいと、勤めて明るく振舞う彼女のプライドを汚してはいけないと。
人は誰の前でも泣けるわけじゃない。誰の前でも自分を晒せる訳じゃない。だから泣かずに気丈に振舞っているのなら、その心根は尊重しないとね。
彼女が目の前で感情を露わにして泣きたい人は、私達じゃないからだ。
そのお見舞いに行った次の日から、わしの鼻水が止まらなくなって、あわや風邪にっ!という事態になった。
だけどこの年末に来て風邪で寝込んでいる訳には行かないので、そっと自分にこう言い聞かせる事にした。
「風邪は今日治る」
大切なのは「治す」ではない事。強制が入ると心はそれに反発を感じてしまうという。
誰がなおってやるもんかっ、と、無意識のうちに抵抗したりするし、治さなければっというプレッシャーになって、かえって良くないらしい。
で、「治る」とだけ呪文の様に言い聞かせる。
そしたら不思議な事に、症状がそれより落ちて行かない事に気がついたのだ。
何時もなら、これだけ寒気がして鼻水が出ていたら次には喉が痛くなって即微熱のコースを取るのに、翌日にはすでに治りかけの症状になって居るじゃないの。
こんなの初めてだったので、自分でビツクリした。
寒気がして洟が垂れてても、翌日には回復出来るのかって。
これが気の力なんだなぁと、今更ながらに実感したよ。
勿論辛い修行を積んだ坊さんや行者じゃないので、火の上を歩ける訳じゃないんだけど、病気の症状を重い方へ落とすか落とさないかの瀬戸際でフラフラしている状態を、グググッと良い方に引き戻す事は誰にも出来るんだと思うのさ。
だけど、その時に必要なのは、ただ「うっ」とか言って気張ったり力を入れたり頑固に頑張ったりする事じゃない。
むしろ全く反対の事をしないといけない。
よく身体を緩めて、自分の内面と対話する事が重要だ。
どうして病気を重くしたいんだろう。誰に何を求めているんだろう。
とね。
とりあえずそれでなんとか凌げたかと思ってたら、やっばりお葬式になってしまい、葬儀には出る事が出来無いのでお通夜に行ったんだけど、そこでまた風邪の症状がぶり返してしまった。
翌日は横浜へ行く日で、これは外せないので何とか行ったんだけど、ああッホントにヤパイよこれは。
その次の日は浅草。行ったさ、行けたさ。自分でも信じられんがの。
なんとかなったのかすら、とか思ってたら今度は妙に精神面が不安定になって、あららと思う間に生理になってしまった。
寒いし、身体硬いし、久しぶりに大層な量だしで、いゃあ痛かったなぁ。
そうよね私ってば、子宮内膜症なのよ。
久しぶりに物凄く痛いよ〜と泣いていても、仕事の日は無情にやって来る。
数年前なら寝込んでる所だ。
だけど、どうした訳か、朝痛くて泣きながら出かけていっても、ちゃんと仕事は出来て居る。
本当に酷い症状の頃は立ち上がる事さえ無理だったんだから、肉体的にはかなり回復しているという事だ。
つまりは、ここからは気力の問題となって来る。
風邪の初期症状の時と同じだ。
んで、ゆっくり気張った。でも痛いから、泣きながらだがの。
そしたら休まず行けたんだよねぇ。ビックリビックリ。
お腹痛いよぅ、休めないよぅ、でも行けないよぅ。で休んで、その間物凄い自己嫌悪に陥ってダメな自分を責めて、そのマイナスの心理状態が病状を更に悪化させてしまうのにも気付かずに、気がついたら筋肉や内臓までがゴワゴワに強張ってしまっていた。
それが今までの自分だったんだよね。
病気は今日治るよ〜、だから安心しな〜
で、本当にすっかり良くなる訳じゃないんだけど、何よりも自分が安心するんだわ。
で、それ以上に悪くはなって行かない。
病気が重くなってしまうのには、沢山の理由があって、とても一つだけを挙げる訳には行かない。
食べ物もあるし、環境もあるし。
だけど何よりも大切なのは、心の持ち方だ。
辛くても楽しい事が一つでもあれば、人は生きていける。
どんなに痛くても、心配して傍に居てくれる人が居れば、痛みは軽減してしまう。
それを実感出来無いのは、自分の気持ちのどこかに、大きく自分自身を見誤っている箇所があるから。
病気が重くなってどんどん病人の出る家には、やっぱり精神的な重圧やらなにやらの、病気になる環境と、生きていても楽しくない要素が必ずセットで有るはずだ。
健康食品や怪しい医療器具や薬に手を出す前に、そんな所を見直すと、案外安く病気を治せるかもね。
自分を見つめるのは、時にとても辛い。
病気になってヨシヨシと可愛がって貰いたい欲求は、誰もがもってるし、それ自体は恥ずかしい事でもなんでもない。
だけど、そういう自分の姿を認められないのは浅ましいブライドで、弱い自分を認められない弱さはちょっと恥ずかしいかもなって、思ったりするこの頃だ。
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