ポルノの女王 にっぽんSEX旅行
2005年11月5日 映画
注)写真はイメージ。
http://www1.ocn.ne.jp/~sniper/HP-13.html
♪真っ赤なドレスを君に〜の歌しか知らなかった荒木一郎氏は実は俳優でもあったのだね。それも結構アブナイ系列の作品に出ておられますし、わしもその中のかなりの物を見て居るんだが、この作品に出会うまで全くお顔を知る事が無かったから、出ている事すら知らない有様。
いゃぁ、興味が無いっていうのは、正にこれだわな。
いい声した歌手だし、いい俳優なのにねぇ。
タイプじゃないから印象にも残らなかったのだな、このカリスマ・シンガーが。失礼してました。
んでだ、この物凄く色んな妄想を想起させる題が付けられた作品の中でも、荒木氏はそれこそ「ミスター・オクレ」の様な貧乏臭いイジケタ男を好演(?)しておりますわ。
金にも女にも縁が無く、イジイジと鬱積しながら一人部屋で爆弾を手作りしている男が京都から東京まで女漁りに来て、何の成果もないままに羽田の駐車場にいたら、ふとした間違いからスウェーデンの女の子を乗せてしまい、これはシメタと自宅に連れ込んで監禁して強姦して・・・というお話なんだけど、借用した写真の様な事態には決してならないから、それだけを期待すると大変よん。
なんでこんな題が付いたのか知らないけど、この作品って世の男供に対する一種の啓蒙の書じゃないの?
題に釣られてスケベ根性で映画館に入ったはいいけど、己の馬鹿さ加減を暴露されて、別の意味で「抜かれて」シンミリと寂しくなって出て来た男達だっていたかもな。
折角お金払って入った成人指定映画で説教される気持ちって、どんなだろね。なんかいい気味な感じもするが。
わしだって観てる内に段々と頭の中で「♪男と女の間には〜深くて暗い川が有る〜」の歌がグルグルと回り出しちまったさ。
そう、この映画はエロでも何でもなく、単に男と女の間の会話や意思疎通が、まるでお互いが違う国の人間みたいにスムーズに通じなければ習慣も考えてる事も違うんだよ、だからお互いどうするのがベストかよ〜く考えよぅ。と言っているんだと、わしゃ考えた。
よく作ったなぁと思う。男ってホント馬鹿だよなぁと全編に渡って告発し続けている作品なんだもの。
脚本や監督は男性。とても勇気があると思う。
冷静に物事を捉える知性が感じられていいな。
この中で女の子がスウェーデンから来たと知るや否や男の頭の中でエロエロな妄想が駆け巡るシーンが有って、1970年代初頭の日本人の(特に男の)フリー・セックスに対する認識の低さを吐露するのだが、このフリーセックス=何時でも何処でも誰とでもという図式は、もしかしたらこの日本には今だにその間違った考えを持ち続けているばか者だっているかもだ。
スウェーデン人がスウェーデン語で「でもフリー・セックスとは言っても結局は愛し合った者同士が自由に寝ているってだけなのよ」と説明してるのに、日本人達には誰とでも寝る女という考えしか無いのだ。
哀れだ。SEXに対する知識も認識も浅はかだ。性教育の先進国スウェーデンからは確かに一世紀は遅れとるわ。
レイプされてる外国の女の子を撮影してる日本の女も「フリー・セックス革命を起こすのよ、闘いよっ」なんて言いながら、その意味すら理解せず「擬似男」に成り下がってるし、自分がレイプした女の子が呆然自失になってマッパで横たわってる姿を見て、まるで初夜の翌朝の若旦那みたいにニャ〜と笑いながら頭掻いてる男も男だ。
何時でも何処でも誰とでもSEXしたいのなら、それなりの責任と自覚を持って、誰にも迷惑を掛けないでやっていただきたいものだ。
自由とは、一番自己責任の重い行動だからね。
この中で女の子が英語で歌っているのを見て勝手にホームシックに掛かったのだと勘違いした男が、スウェーデン料理やらを買い込んで来る所のやり取りが、この映画の一番の見どころだろうね。
勝手に思い込む男があんまり馬鹿で気の毒になってくるのだ。
人間って、余程気をつけてないと、自分の想像出来る範囲でしか相手を見てないものなんだよね。
自分が好意で用意した物を受け付けない彼女に対して無理強いする男が逆ギレするのだが、それでも彼女はやさしい口調で「ごめんなさい。でもね、親切の押し売りも暴力だって事をわかって欲しいの。素直になって」と諭そうとする。
彼女にとって母国は退屈で逃げ出した程の場所。まだまだ恋しいとも思わない程彼女は若いのだ。
家が恋しいと思ってるのは、男の方だろが。自分がそう思うからといって、相手もそう思うとは限らないのだよ。
でも悲しいかな、男は彼女の言葉が判らない。
んで勝手に自分を非難しているのだと勘違いして「どうせわいは強姦魔や、クズや」とイジケル馬鹿男。
往々において、自分の事を馬鹿という人間は有る程度自分の事が見えているので、それ程馬鹿ではない。
馬鹿といわれて「馬鹿じゃないっっっっ」と怒るのが本物の馬鹿だ。
キチガイが「わしゃ狂ってないっ」と叫ぶのと同じだよねん。
この男も自分の事をクズと言ってるって事は、心のどこかでまだ救いは有ると思ってるのかもね。
だけどその方法が判らない。だからイジける。おまけにブライドとチンコばかりは一人前以上に高みを目指してるし。
んで、その鬱積した思いを一気に解消すべく日夜爆弾作りに励んだりしてる訳だ。
ボカーンと爆発させたら、さぞかしスッキリするべかなとな。
くら〜い。こわ〜い。
こういう団塊世代の男、もう要らないって感じ。何かあるとすぐ額に血管浮き上がらせて「君はどうしてそうなんだっ、そんな事が有りうるのかっ有りうるのかっ」と生徒の前で身体をブルブル震わせながら叫んでいた美術の小池ラーメン先生は、今何処でどうしているのやら。(とほい目
ああ、嫌い。
しかしだ、これは一応純愛映画と言われているらしいんだけど、果たして本当にそうなんだろうか・・・。
彼女は自分を強姦して監禁した男に対して、愛情を感じたのか?
哀れみからの同情は感じたかもしれんが、それが果たして男の求める様な愛情だろうか・・・
観終わってから、何故かわしは「羽衣伝説」を思い出してしまったよ。
天から舞い降りた天女の羽衣を隠して自分の女房にして(つまり拉致して)あまつさえ子供まで産ませて、自分の物だと安心していた男に対して、隠してあった羽衣が見付かったとたんに天女は子供も置いてとっとと天に帰っちまったあれだ。
子供は可愛い、でもハーフの子はこの国で暮した方が幸せだし、また会いにも来れる。でも自分を無理やり拉致してSEXした男なんか要らんわ。
これって、もしかしたら昔々日本の海岸の村で実際にあった事件を元にしてるのかもな。
一緒に住んでるからといって、子供を作ったからといって、それがどういう愛情なのか。
目の前の相手が何を考えているのか、相手の立場に立って考えると言うのは、ホンと難しいねぇ。
http://www1.ocn.ne.jp/~sniper/HP-13.html
♪真っ赤なドレスを君に〜の歌しか知らなかった荒木一郎氏は実は俳優でもあったのだね。それも結構アブナイ系列の作品に出ておられますし、わしもその中のかなりの物を見て居るんだが、この作品に出会うまで全くお顔を知る事が無かったから、出ている事すら知らない有様。
いゃぁ、興味が無いっていうのは、正にこれだわな。
いい声した歌手だし、いい俳優なのにねぇ。
タイプじゃないから印象にも残らなかったのだな、このカリスマ・シンガーが。失礼してました。
んでだ、この物凄く色んな妄想を想起させる題が付けられた作品の中でも、荒木氏はそれこそ「ミスター・オクレ」の様な貧乏臭いイジケタ男を好演(?)しておりますわ。
金にも女にも縁が無く、イジイジと鬱積しながら一人部屋で爆弾を手作りしている男が京都から東京まで女漁りに来て、何の成果もないままに羽田の駐車場にいたら、ふとした間違いからスウェーデンの女の子を乗せてしまい、これはシメタと自宅に連れ込んで監禁して強姦して・・・というお話なんだけど、借用した写真の様な事態には決してならないから、それだけを期待すると大変よん。
なんでこんな題が付いたのか知らないけど、この作品って世の男供に対する一種の啓蒙の書じゃないの?
題に釣られてスケベ根性で映画館に入ったはいいけど、己の馬鹿さ加減を暴露されて、別の意味で「抜かれて」シンミリと寂しくなって出て来た男達だっていたかもな。
折角お金払って入った成人指定映画で説教される気持ちって、どんなだろね。なんかいい気味な感じもするが。
わしだって観てる内に段々と頭の中で「♪男と女の間には〜深くて暗い川が有る〜」の歌がグルグルと回り出しちまったさ。
そう、この映画はエロでも何でもなく、単に男と女の間の会話や意思疎通が、まるでお互いが違う国の人間みたいにスムーズに通じなければ習慣も考えてる事も違うんだよ、だからお互いどうするのがベストかよ〜く考えよぅ。と言っているんだと、わしゃ考えた。
よく作ったなぁと思う。男ってホント馬鹿だよなぁと全編に渡って告発し続けている作品なんだもの。
脚本や監督は男性。とても勇気があると思う。
冷静に物事を捉える知性が感じられていいな。
この中で女の子がスウェーデンから来たと知るや否や男の頭の中でエロエロな妄想が駆け巡るシーンが有って、1970年代初頭の日本人の(特に男の)フリー・セックスに対する認識の低さを吐露するのだが、このフリーセックス=何時でも何処でも誰とでもという図式は、もしかしたらこの日本には今だにその間違った考えを持ち続けているばか者だっているかもだ。
スウェーデン人がスウェーデン語で「でもフリー・セックスとは言っても結局は愛し合った者同士が自由に寝ているってだけなのよ」と説明してるのに、日本人達には誰とでも寝る女という考えしか無いのだ。
哀れだ。SEXに対する知識も認識も浅はかだ。性教育の先進国スウェーデンからは確かに一世紀は遅れとるわ。
レイプされてる外国の女の子を撮影してる日本の女も「フリー・セックス革命を起こすのよ、闘いよっ」なんて言いながら、その意味すら理解せず「擬似男」に成り下がってるし、自分がレイプした女の子が呆然自失になってマッパで横たわってる姿を見て、まるで初夜の翌朝の若旦那みたいにニャ〜と笑いながら頭掻いてる男も男だ。
何時でも何処でも誰とでもSEXしたいのなら、それなりの責任と自覚を持って、誰にも迷惑を掛けないでやっていただきたいものだ。
自由とは、一番自己責任の重い行動だからね。
この中で女の子が英語で歌っているのを見て勝手にホームシックに掛かったのだと勘違いした男が、スウェーデン料理やらを買い込んで来る所のやり取りが、この映画の一番の見どころだろうね。
勝手に思い込む男があんまり馬鹿で気の毒になってくるのだ。
人間って、余程気をつけてないと、自分の想像出来る範囲でしか相手を見てないものなんだよね。
自分が好意で用意した物を受け付けない彼女に対して無理強いする男が逆ギレするのだが、それでも彼女はやさしい口調で「ごめんなさい。でもね、親切の押し売りも暴力だって事をわかって欲しいの。素直になって」と諭そうとする。
彼女にとって母国は退屈で逃げ出した程の場所。まだまだ恋しいとも思わない程彼女は若いのだ。
家が恋しいと思ってるのは、男の方だろが。自分がそう思うからといって、相手もそう思うとは限らないのだよ。
でも悲しいかな、男は彼女の言葉が判らない。
んで勝手に自分を非難しているのだと勘違いして「どうせわいは強姦魔や、クズや」とイジケル馬鹿男。
往々において、自分の事を馬鹿という人間は有る程度自分の事が見えているので、それ程馬鹿ではない。
馬鹿といわれて「馬鹿じゃないっっっっ」と怒るのが本物の馬鹿だ。
キチガイが「わしゃ狂ってないっ」と叫ぶのと同じだよねん。
この男も自分の事をクズと言ってるって事は、心のどこかでまだ救いは有ると思ってるのかもね。
だけどその方法が判らない。だからイジける。おまけにブライドとチンコばかりは一人前以上に高みを目指してるし。
んで、その鬱積した思いを一気に解消すべく日夜爆弾作りに励んだりしてる訳だ。
ボカーンと爆発させたら、さぞかしスッキリするべかなとな。
くら〜い。こわ〜い。
こういう団塊世代の男、もう要らないって感じ。何かあるとすぐ額に血管浮き上がらせて「君はどうしてそうなんだっ、そんな事が有りうるのかっ有りうるのかっ」と生徒の前で身体をブルブル震わせながら叫んでいた美術の小池ラーメン先生は、今何処でどうしているのやら。(とほい目
ああ、嫌い。
しかしだ、これは一応純愛映画と言われているらしいんだけど、果たして本当にそうなんだろうか・・・。
彼女は自分を強姦して監禁した男に対して、愛情を感じたのか?
哀れみからの同情は感じたかもしれんが、それが果たして男の求める様な愛情だろうか・・・
観終わってから、何故かわしは「羽衣伝説」を思い出してしまったよ。
天から舞い降りた天女の羽衣を隠して自分の女房にして(つまり拉致して)あまつさえ子供まで産ませて、自分の物だと安心していた男に対して、隠してあった羽衣が見付かったとたんに天女は子供も置いてとっとと天に帰っちまったあれだ。
子供は可愛い、でもハーフの子はこの国で暮した方が幸せだし、また会いにも来れる。でも自分を無理やり拉致してSEXした男なんか要らんわ。
これって、もしかしたら昔々日本の海岸の村で実際にあった事件を元にしてるのかもな。
一緒に住んでるからといって、子供を作ったからといって、それがどういう愛情なのか。
目の前の相手が何を考えているのか、相手の立場に立って考えると言うのは、ホンと難しいねぇ。
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