亡き義妹の夫ぐっさんから「一周忌の法要は平服で結構です。坊さんは10時半には帰る予定ですので、その後11時頃までにおいで下さい。思春期の娘を抱え日々奮闘しております。当日は多いに飲んで食べて、語り合いましょう」
というメールが来た。
あのなぁ。である。
平服云々はありがたくて真に結構なんだが、親族のそれも実の兄弟達が坊さんと一緒に拝まんでどうするか。
んで、笑った。
昔なら皆で頭に血がドッカンドッカン上っていた場面で、驚くほど皆が笑っていた。
いゃあ、彼らしいね。と。
一生懸命考えて彼なりに気を使ってくれたんだとは思うんだけど、どうもピントが少しずれてる。
食事はいいのよ、どうでも。とりあえずは一周忌だし、坊さんを囲んで位牌を拝み、あの世の故人の魂が安らぐよう祈る日なんだから。
個人個人の考え方次第だから、皆で集まって故人を偲ぶだけが主旨だと言うなら別にただの食事会をするだけだってOKだ。でも坊さんを呼ぶのなら、わしらも一緒にお焼香したいじゃないの。
んで、その旨を義母からぐっさんに伝えてもらった。怒るのでなく、行きたいんだよと優しく伝えて貰った。
ホントにチョット前なら血を見たような話だ。
このバカ、親も兄弟もよばねぇのかってね。
あたしも変だなぁって思っただで、と義母もほっとした様子だったし、その連絡の役回りを彼女にやってもらった事で、彼女の気持ちも少しは治まったようだった。
その後すぐに「すみません。気を回し過ぎました」とぐっさんよりのメール。笑ったわい。普通にしてろやって。
んで、当日。
わしらは全員見事に平服。っつーか、まったくの普段着で行った。施主のご意向に従って。
つまり全員ジーンズ姿。えらいカジュアルな法事だ、それも一番近い親族なのに。
というのも「平服」なるシロモノを持ち合わせている様なタマじゃないのだ、わしらは。
昭和ヒトケタの人達からいわせると「平服」とはジーンズ以外の服という事になっている。これはまだ生き残っている昭和一桁の「世間様」では当たり前の事らしい。
そう、昭和ヒトケタでジーンズが着こなせるのって高倉健さんやらの少数派。ジーンズなる物が普段着のレパートリーにすら入ってない人が多い世での価値観だ。
この人達は普段家にいる時と、街に買い物に行くときの服すら違って当たり前の生活をしていた人達だ。
旅行に行くとき新しい服や靴を買って、靴擦れをおこして泣いたりした人達だ。
他人の家に行く時に、ジーンズで行ったら失礼だと本気で怒った人達だ。
これからの世代にはもはや通用しなくなるんだけどね、そんなクソ価値観なんか。
そんな親に洗脳され、ぎりぎり平服といわれて「ジーンズはイカンだろう」と頭では判って居るわしらだからこそ、少し申し訳ない気持ちを残しながら行ったんだけどね。
義弟なんか自分から「あいつ(ぐっさん)49日の法要の時一人だけ礼服着てこなかったから、今度は俺が着てやらねぇ」と、ちょっと君違うんぢゃない的な意地を張ってたんだけど、いざ当日となると、実は恐々だったんだと打ち明けてくれた。
で、アニキや私がジーンズなので安心したと笑っていたっけ。
礼服かジーンズか。デッド・オア・アライブ。悲しいかなわしらの世代はもうそんな感じなのよ。
その姿はまったく江戸時代の平民そのもので、今着てる泥のついた野良着と、とりあえずは洗ってサッパリして畳んである野良着と、そのどちらかしかないんだから。平服なんて。
あとは一生に数回しか着ない「礼服」よ。こちらはそれこそ靴からバックから下着やハンカチに至るまで、一生に一度か二度位しか買わないさ。だからいつでも綺麗で新品みたいよ。多少流行とズレてるかもしれないけど、そんなの知らんわ。
だけどこれからは、もし「平服で」と言われても、呼んだメンツを見て着る服を選ばないといけないね。
年寄りの多い場所では、とりあえず礼服を着ていったほうが無難だわ。それか前もって「ジーンズしかないの」と断るとかね。
他の気の利いた服を買えばいいのか ?
それこそ礼服より着ないかも知れないんだよん。まったくなぁ・・・
元々洋服の歴史の浅い日本で、多かだか150年位の間にもうこの崩れ方はいかがなものか。そも礼服とは何ぞや。
着物の場合、礼服とは貴族の儀式用。そりゃ勿論ヨーロッパでも同じ。
儀式の時、庶民は清潔でこざっぱりとした服を着た。特別にその日のための服をしつらえるような余裕はなかった。
あったんだろうか? 殆どは借り物だったと思うよ。
という事は、儀式用の衣服を持つことは一種のステータスともいえるはず。
ステータスとは、ある種の特権意識を生む。
特権意識は、ささいな違いからの差別意識を育てる。
差別意識は、それ以外の人間に対する排他的感情を生む。
排他的感情は、その他の閉鎖的感情を引き出して、人々の間の紛争をもたらすキッカケともなる。
・・・う〜む。飛躍しすぎ ?
とはいえ死者を弔う時、普段とは違う服装になる人々は世界中に沢山いるよなぁ。
なぜなんだろう。なんで特別な服に変えるんだろう。
大昔は儀式用の服に魔よけの意味を持つ色や形を用いたという。
つまりは霊魂と生きている物の区別をつける意味で。あと変な物の気に取り憑くかれないようにとかね。
その意味で言えば、お葬式や法事での礼服着用はいたし方ないかもだ。
この服はいつもの服じゃないから、あんたらが憑いて来てもすぐ洗っちゃうから、とかね。(笑
まぁ、今回はそれで済んだけど、気持ちの切り替えの意味も込めて、礼服があるならそれを着てもいいかもだ。
着なけりゃいけないっ、ではなく、儀式に臨む気持ちの表れとしてね。
そもそも「法事は平服で」と最初に言い出したのは、自分達の身体が厄介になって礼服着てるのが面倒になって来た年寄り連中なんじゃないの? ちがうの?
あの世があるのかどうかなんて知らないけど、生きてる人達がやりやすいやり方でやればいいさ。
去年一年の間に、何だかみんなすっかり緩くなって来たみたいで、「何なのっあんたはっ」とか頭に血が登って感情的になる人はいなかった。
気に入る、気に喰わないも、良いも悪いも、みんなそれを受けた個人個人の腹づもりで決まるもの。
腹が立つも立たないも、その人の力量で決まるもの。
とりあえず私達は、こんなささいな出来事に腹を立てて自分の血管を狭めたり、血の成分を汚すほどの狭い了見では無くなって来ているようだ。
少しずつだけど、前進してるんだろね。
しかしだ。
あんまり緩すぎて、誰一人故人の位牌や写真を持たずに料亭に向かっちまうのってどうよ。
途中でわしと義母が気付かなかったら、位牌は無いわ普段着だわで、それこそただの食事会になっちまうさ。
義妹があきれて化けて出るかもよって、もう失笑もいいとこ。
「ちゃんと娘達に言っておいたのに」ってね、ぐっさん。
その責任転嫁が、自分の人生の質落としてるんですからね。
って、先日来日したミッキー・ロークも言ってたわい。
そういえば、「イャー・オブ・ザ・ドラゴン」の時のミッキーは義妹のお気に入りだったっけ。
どこかで観てるかな、生まれ変わったミッキーを。
というメールが来た。
あのなぁ。である。
平服云々はありがたくて真に結構なんだが、親族のそれも実の兄弟達が坊さんと一緒に拝まんでどうするか。
んで、笑った。
昔なら皆で頭に血がドッカンドッカン上っていた場面で、驚くほど皆が笑っていた。
いゃあ、彼らしいね。と。
一生懸命考えて彼なりに気を使ってくれたんだとは思うんだけど、どうもピントが少しずれてる。
食事はいいのよ、どうでも。とりあえずは一周忌だし、坊さんを囲んで位牌を拝み、あの世の故人の魂が安らぐよう祈る日なんだから。
個人個人の考え方次第だから、皆で集まって故人を偲ぶだけが主旨だと言うなら別にただの食事会をするだけだってOKだ。でも坊さんを呼ぶのなら、わしらも一緒にお焼香したいじゃないの。
んで、その旨を義母からぐっさんに伝えてもらった。怒るのでなく、行きたいんだよと優しく伝えて貰った。
ホントにチョット前なら血を見たような話だ。
このバカ、親も兄弟もよばねぇのかってね。
あたしも変だなぁって思っただで、と義母もほっとした様子だったし、その連絡の役回りを彼女にやってもらった事で、彼女の気持ちも少しは治まったようだった。
その後すぐに「すみません。気を回し過ぎました」とぐっさんよりのメール。笑ったわい。普通にしてろやって。
んで、当日。
わしらは全員見事に平服。っつーか、まったくの普段着で行った。施主のご意向に従って。
つまり全員ジーンズ姿。えらいカジュアルな法事だ、それも一番近い親族なのに。
というのも「平服」なるシロモノを持ち合わせている様なタマじゃないのだ、わしらは。
昭和ヒトケタの人達からいわせると「平服」とはジーンズ以外の服という事になっている。これはまだ生き残っている昭和一桁の「世間様」では当たり前の事らしい。
そう、昭和ヒトケタでジーンズが着こなせるのって高倉健さんやらの少数派。ジーンズなる物が普段着のレパートリーにすら入ってない人が多い世での価値観だ。
この人達は普段家にいる時と、街に買い物に行くときの服すら違って当たり前の生活をしていた人達だ。
旅行に行くとき新しい服や靴を買って、靴擦れをおこして泣いたりした人達だ。
他人の家に行く時に、ジーンズで行ったら失礼だと本気で怒った人達だ。
これからの世代にはもはや通用しなくなるんだけどね、そんなクソ価値観なんか。
そんな親に洗脳され、ぎりぎり平服といわれて「ジーンズはイカンだろう」と頭では判って居るわしらだからこそ、少し申し訳ない気持ちを残しながら行ったんだけどね。
義弟なんか自分から「あいつ(ぐっさん)49日の法要の時一人だけ礼服着てこなかったから、今度は俺が着てやらねぇ」と、ちょっと君違うんぢゃない的な意地を張ってたんだけど、いざ当日となると、実は恐々だったんだと打ち明けてくれた。
で、アニキや私がジーンズなので安心したと笑っていたっけ。
礼服かジーンズか。デッド・オア・アライブ。悲しいかなわしらの世代はもうそんな感じなのよ。
その姿はまったく江戸時代の平民そのもので、今着てる泥のついた野良着と、とりあえずは洗ってサッパリして畳んである野良着と、そのどちらかしかないんだから。平服なんて。
あとは一生に数回しか着ない「礼服」よ。こちらはそれこそ靴からバックから下着やハンカチに至るまで、一生に一度か二度位しか買わないさ。だからいつでも綺麗で新品みたいよ。多少流行とズレてるかもしれないけど、そんなの知らんわ。
だけどこれからは、もし「平服で」と言われても、呼んだメンツを見て着る服を選ばないといけないね。
年寄りの多い場所では、とりあえず礼服を着ていったほうが無難だわ。それか前もって「ジーンズしかないの」と断るとかね。
他の気の利いた服を買えばいいのか ?
それこそ礼服より着ないかも知れないんだよん。まったくなぁ・・・
元々洋服の歴史の浅い日本で、多かだか150年位の間にもうこの崩れ方はいかがなものか。そも礼服とは何ぞや。
着物の場合、礼服とは貴族の儀式用。そりゃ勿論ヨーロッパでも同じ。
儀式の時、庶民は清潔でこざっぱりとした服を着た。特別にその日のための服をしつらえるような余裕はなかった。
あったんだろうか? 殆どは借り物だったと思うよ。
という事は、儀式用の衣服を持つことは一種のステータスともいえるはず。
ステータスとは、ある種の特権意識を生む。
特権意識は、ささいな違いからの差別意識を育てる。
差別意識は、それ以外の人間に対する排他的感情を生む。
排他的感情は、その他の閉鎖的感情を引き出して、人々の間の紛争をもたらすキッカケともなる。
・・・う〜む。飛躍しすぎ ?
とはいえ死者を弔う時、普段とは違う服装になる人々は世界中に沢山いるよなぁ。
なぜなんだろう。なんで特別な服に変えるんだろう。
大昔は儀式用の服に魔よけの意味を持つ色や形を用いたという。
つまりは霊魂と生きている物の区別をつける意味で。あと変な物の気に取り憑くかれないようにとかね。
その意味で言えば、お葬式や法事での礼服着用はいたし方ないかもだ。
この服はいつもの服じゃないから、あんたらが憑いて来てもすぐ洗っちゃうから、とかね。(笑
まぁ、今回はそれで済んだけど、気持ちの切り替えの意味も込めて、礼服があるならそれを着てもいいかもだ。
着なけりゃいけないっ、ではなく、儀式に臨む気持ちの表れとしてね。
そもそも「法事は平服で」と最初に言い出したのは、自分達の身体が厄介になって礼服着てるのが面倒になって来た年寄り連中なんじゃないの? ちがうの?
あの世があるのかどうかなんて知らないけど、生きてる人達がやりやすいやり方でやればいいさ。
去年一年の間に、何だかみんなすっかり緩くなって来たみたいで、「何なのっあんたはっ」とか頭に血が登って感情的になる人はいなかった。
気に入る、気に喰わないも、良いも悪いも、みんなそれを受けた個人個人の腹づもりで決まるもの。
腹が立つも立たないも、その人の力量で決まるもの。
とりあえず私達は、こんなささいな出来事に腹を立てて自分の血管を狭めたり、血の成分を汚すほどの狭い了見では無くなって来ているようだ。
少しずつだけど、前進してるんだろね。
しかしだ。
あんまり緩すぎて、誰一人故人の位牌や写真を持たずに料亭に向かっちまうのってどうよ。
途中でわしと義母が気付かなかったら、位牌は無いわ普段着だわで、それこそただの食事会になっちまうさ。
義妹があきれて化けて出るかもよって、もう失笑もいいとこ。
「ちゃんと娘達に言っておいたのに」ってね、ぐっさん。
その責任転嫁が、自分の人生の質落としてるんですからね。
って、先日来日したミッキー・ロークも言ってたわい。
そういえば、「イャー・オブ・ザ・ドラゴン」の時のミッキーは義妹のお気に入りだったっけ。
どこかで観てるかな、生まれ変わったミッキーを。
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