土用生まれ

2005年7月4日 エッセイ
人生って不思議だなぁと、最近つとに感じるようになったこの頃。

幼い頃から何故か感心が世界に向いていて、NHKで夕方の5時頃に放送していた「世界子供ニュース」が大好きだったりした。

で、将来はジャーナリストになって海外で活躍したいなどの野望を持っていたのだが、気がついたらそこまでオツムが良くない事が判明し、ならば一般人としてせめて世界中を旅行しようかと思ったら意外に身体が弱く、重い荷物を持って歩いて軟骨圧迫骨折などを経験するに至っては、これは余程の金持ちがするような旅行でないとダメかもと、かなり弱気になったり。


食べ物のアレルギーもあるので食事に苦労する国も多かろうと思ったり。

で、いつの間にか中央にいるのが心地よくなって来た。

つまり自分は動かずに、西の物を東に、南の物を北にと渡す橋渡しの役だ。

福助兄さんから紹介された今の仕事なんかモロにそのままで、自分はお店に立ってるだけで、日本中はもとより世界中から来た人と会い話の出来る場所に居る。

広東語の勉強にもなるし、戦後すぐのバンパン英語みたいな怪しい英語も段々と形が整って来る。



思い出すと、今まで関った仕事のポジションは全てそんな立場のものばかりだったのに気付く。

職種は違うのに、全てがそんな「橋渡し」の役職になっていた。

私は職人じゃない。かといってただ商品を売るだけの営業でもない。

受けるだけの人でもなれけば、出すだけの人でもない。

渡していく人だ。または巡らす人。回す人。

人には色々なタイブが有る。適材適所を間違えると大変な事になる。

よく「自分はダメな人間だ」と嘆く人がいるけれど、只単に其処が自分に合ってないだけなのかもしれないし。

だけどそんな事は、長く生きてみないと判らない事なのかもしれないな。


決まってる。人生は生まれる前に、すでに決まってる。

趣味で四柱推命をよくするけれど、大抵の人は間違いなく推命の通りの人生をあゆんでいるもの。

ただそこに助ける星や仲間があるか、その存在に気付くかどうかで、行く道に多少の誤差が出るけどね。


その点から言えば、私は土用生まれ。

やっぱり真ん中にいる人だ。

う〜む。

やっぱ渡さんといかんかチェーン・バトン・・・

なんか楽しいお祭り気分で友達の輪を広げながらも、パソ使った個人情報の収集と思ってしまうわしって、すでに懐疑的な老人気質になってしまったのかしらん。

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