DVD PIASM 2002/03/22 ¥4,935 1936年のスペイン、ガリシア地方の小さな村。喘息のため遅れて小学校医入学した8歳の少年モンチョ(マヌエル・ロサノ)は、老教師グレゴリオ(フェルナンド・フェルナン・ゴメス)から勉強だけでなく自然界の神秘を教えてもらいながら成長していく。しかし、スペイン内戦が勃発し、彼らの平和な生活は一変してしまう…。
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地味な作品だが、お勧めだ。観たほうがいいよ。
これを観ていたら、本編とはまったく関係ないのだか、亡くなる何年か前の淀川長治氏の歩いてる姿を見た時に覚えた様な感動を、この老教師にも感じてしまった。
で、なんだか泣く回数が増えちまったのさ。
何だろか。年古びた細胞の持つ威厳か?
ワカラン。
カンヌで鈴木清順監督を見た観客が思わず立ち上がって拍手したくなった気持ちが判るよ。
長く生きてる人が自分の足で立って普通に歩いてるだけでも凄いなぁと、最近特に思うもの。
さてさて、本編の話。
この映画の中では、特に印象的に各世代の男が現されていく。
幼少期から少年期へ、青年期の入り口と出口附近、中年期、そして壮年期だ。
主人公の少年と、彼の恩師であり大好きな大人の男であるお爺さん先生との交流を通して、幼い真ッサラな感性はどう指導されるのが理想なのかなぁと、この監督は観客に問いたいようだ。
たとえ尊敬する父母の言葉にも、間違いはあるかも知れないよ。
年齢的には大人だからといって、この人の行動事態は本当に「大人」なのかな、どうかな、と。
どれが正しいとかを問うのではなく、あなたはどういう生き方をしたいのかと問われている感じがするのだ。
物事の本質なんて、じっくり自分の目で見て耳で聞いて確認しなければ解らない。人の意見を鵜呑みにしていたらダメだ。
だけど、人はつい安易な方に流れて行きやすいし、時には家族や自分自身を守る為に嘘だってつかなくてはならないかも知れない。友達だって裏切る覚悟で。
だけど、そんな時、あなたはどうしたいの?
今自分がどんな立場に居るのか、ちゃんと判っているの?
それらの事が解る為にも、きちんとした指導者は必要だと、この監督は言いたいみたい。
ラストに映される少年の複雑な表情が、その全てを答えているかの様だ。
いいのかな。自分、これでいいのかな、と。
タイトルは一見ヘンテコなんだけど、最後まで観ればその意味がハッキリして、ああこの題がピッタリなんだなぁと納得するよ。
しかしだ、スペインはさすがラテンの国らしく、恋愛至上主義とも言えるセリフがごく普通に交わされてて、そこら辺りにも面白さを感じてしまう。
たどたどしいサックスを吹く主人公の兄に「お前は女を抱いた事がないのか? 音楽は女を抱く様に奏でるのだ、いいか?」とか指導する先生だが、この兄は多分まだ16・7歳だよなぁ。
早熟なんだよな、ヨーロッパって。
んで、あんまり早く大人になっちまうと、身体ばかりで頭も心も回らない牛飼いの様な大人も出来上がると。
この牛飼いの男と主人公と腹違いの姉のエピソードは、中世以前のヨーロッパ人を彷彿とさせて、妻を亡くしてから愛が抜け殻状態の老先生との際立つ対比を見せていている。
理想の女性との悲しい恋に泣く兄の話もいい。
人は正しく指導されないと、只の家畜でその一生を終わってしまう可能性だってあるのだ。
だからこそ、きちんと、きちんと、自分の目で見て、確認しながら生きないとダメだ。
そうすれば二度と戦争は起こらないだろう。
右にも左にも偏らず、メッセージを押し付けもせず、ただ問う。
この姿勢と、バランス感覚に感動した。
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地味な作品だが、お勧めだ。観たほうがいいよ。
これを観ていたら、本編とはまったく関係ないのだか、亡くなる何年か前の淀川長治氏の歩いてる姿を見た時に覚えた様な感動を、この老教師にも感じてしまった。
で、なんだか泣く回数が増えちまったのさ。
何だろか。年古びた細胞の持つ威厳か?
ワカラン。
カンヌで鈴木清順監督を見た観客が思わず立ち上がって拍手したくなった気持ちが判るよ。
長く生きてる人が自分の足で立って普通に歩いてるだけでも凄いなぁと、最近特に思うもの。
さてさて、本編の話。
この映画の中では、特に印象的に各世代の男が現されていく。
幼少期から少年期へ、青年期の入り口と出口附近、中年期、そして壮年期だ。
主人公の少年と、彼の恩師であり大好きな大人の男であるお爺さん先生との交流を通して、幼い真ッサラな感性はどう指導されるのが理想なのかなぁと、この監督は観客に問いたいようだ。
たとえ尊敬する父母の言葉にも、間違いはあるかも知れないよ。
年齢的には大人だからといって、この人の行動事態は本当に「大人」なのかな、どうかな、と。
どれが正しいとかを問うのではなく、あなたはどういう生き方をしたいのかと問われている感じがするのだ。
物事の本質なんて、じっくり自分の目で見て耳で聞いて確認しなければ解らない。人の意見を鵜呑みにしていたらダメだ。
だけど、人はつい安易な方に流れて行きやすいし、時には家族や自分自身を守る為に嘘だってつかなくてはならないかも知れない。友達だって裏切る覚悟で。
だけど、そんな時、あなたはどうしたいの?
今自分がどんな立場に居るのか、ちゃんと判っているの?
それらの事が解る為にも、きちんとした指導者は必要だと、この監督は言いたいみたい。
ラストに映される少年の複雑な表情が、その全てを答えているかの様だ。
いいのかな。自分、これでいいのかな、と。
タイトルは一見ヘンテコなんだけど、最後まで観ればその意味がハッキリして、ああこの題がピッタリなんだなぁと納得するよ。
しかしだ、スペインはさすがラテンの国らしく、恋愛至上主義とも言えるセリフがごく普通に交わされてて、そこら辺りにも面白さを感じてしまう。
たどたどしいサックスを吹く主人公の兄に「お前は女を抱いた事がないのか? 音楽は女を抱く様に奏でるのだ、いいか?」とか指導する先生だが、この兄は多分まだ16・7歳だよなぁ。
早熟なんだよな、ヨーロッパって。
んで、あんまり早く大人になっちまうと、身体ばかりで頭も心も回らない牛飼いの様な大人も出来上がると。
この牛飼いの男と主人公と腹違いの姉のエピソードは、中世以前のヨーロッパ人を彷彿とさせて、妻を亡くしてから愛が抜け殻状態の老先生との際立つ対比を見せていている。
理想の女性との悲しい恋に泣く兄の話もいい。
人は正しく指導されないと、只の家畜でその一生を終わってしまう可能性だってあるのだ。
だからこそ、きちんと、きちんと、自分の目で見て、確認しながら生きないとダメだ。
そうすれば二度と戦争は起こらないだろう。
右にも左にも偏らず、メッセージを押し付けもせず、ただ問う。
この姿勢と、バランス感覚に感動した。
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