先週の水曜日に観てから、何やかやと色々な考えが浮かんでは消えている。

だので、もう少し書いたりするよん。観るつもりだけど未だの人は読んじゃダメだぞ。


☆此処から本文 ↓





しかしだ、本当に良く出来た脚本だよなぁ。

原作者で脚本も手がけたパトリック・マーバーと言う人は、もともとはスタンダップ・コメディアンだったんだとか。周囲の人間や有名人を観察して鋭い突っ込みをして笑いを取るには、本当に「良く見て」いないと辛らつなネタは作れないだろう。

人間を観察するっていう事は、つまり自分の内面も良く観る事に繋がる。

この作品でびっくりするのは、2人の男性がみせる「愛する人に対する態度」の違いだ。

はっきりしていて、とても判りやすい。

一人は弱さを曝け出して甘える術を知って居る。

もう一人は、自分の感情を理性で封印してしまっている。

勿論どちらが良い悪いの問題ではない。ただ「出来るか出来無いか」で、君の愛する女性の態度はこんなにも違ってしまうんだよと作者は言っているのだ。

男性にとって自分の感情を相手に曝け出すのは、とてつもない覚悟が居るんだろう。人によっては一生石の様になって頑なに感情をブロックしてしまう人だっている。

人の人生の末期に関わる仕事をしているだけに、もっと早くにこの「頑固の縛り」が解けてたらこんな厄介な病気にならずに楽しく過ごせたのにネェというのを嫌という程見てるので、誰にも彼にも、あまつさえ自分にも感情をブロックしているのは、心身の健康に良くないのは明らか。

だけど、判っちゃいるけど、なんだろねぇ。

元々舞台劇で出演者は4人と少ない。それぞれがどんな育ち方をして来たのかは、それぞれの会話の中からしか図れないのだが、見ている側にそれとなくヒントを出してくれるセリフがポンポンと出てくるので判りやすい。

医師のラリーには労働者階級出身で、医者になった今でも何となく「俺がここに居ていいのか?」という不安を感じているっぽいセリフが有る。私にはこの出身階級による感情はよく判らないんだけど、場違いだなぁという感触で周囲の人と接している感覚は何となく理解出来る。

ラリーは話し方や態度があまり上品じゃないし、何となく大柄で傲慢な感じすらする時がある。ブライドも人一倍高そうだ。それは周囲にいる「代々医師の家系」とか「代々金持ちで元貴族の家系」の人達に対する彼なりの自己防衛とも見える。

だけど元々の彼はとても素直で純朴な人だ。チャットに匿名を使う事も無く、学会で行った先の宿泊ホテルが売春の巣だなんて事も知らない。たとえ相手が商売女でも、「買春してしまった、悪かった。俺が許せなかったら離婚されてもかまわない」と妻にわざわざ告白までする。

言わなくても良い事をわざわざ言う。嘘がつけない人だ。どちらかといえば愚直ともいえる。その素直さが返って人を傷つける事すら気付かない。

計算の上かといえば、そうなのかもしれないとも取れる。

驚いた妻は当然怒る。そこで「だって男ってそういう生き物なんだよ。許してくれよ〜、お前が居ないと俺はダメなんだよ〜」とか言って「まったく、あなたって人はしょうがないわねっ、これっきりにしてよっ」と妻は上手く丸め込まれてしまうかもだがの。

う〜ん、そうか、そういう意味からすると、このラリーって結構策士だなぁ。

それが何時もいつも続くとさすがに切られるだろうけど、この時だけなら、妻は夫のそんな弱さやダメな所がより近しく親しく感じられて、返って二人の親密さが増す事になると思う。

彼の父親がそう言う人で、母親は肝っ玉母さんだったのかなとも読める。愛する女性には甘えていいという事を本能的に知っている人だ。

所が、もう一人の男性ダンのほうは、20年前に母親を亡くして父と暮らしていた。母親が死んだのは年齢から言って彼が10歳頃の事だろう。

物語の最初の方で「母親の葬儀の後、父とこの公園に来た」というセリフが有る。その公園は人を助けて命を落とした国民を讃えた記念碑の有る公園だ。

ロンドンには他にも沢山有名な公園があるのに、なんで此処?

見ている側に、もしかしたら彼のお母さんはそんな人達と同じ様にして死んだのでは・・・、という思いを起こさせるシーンだ。

幼い息子を助けようとして死んだのではと。

本当の意味で甘えたりしたら、その女性も死んでしまうんじゃないだろうかと言う恐怖が、彼を感情の波の中に踏み込ませないのかな、とかね。

母親を喪失した感情があまりに辛くて、二度とこんな思いはしたくないと無意識に思っているとか。

色々に考えてしまった。

ダンはあまり自分を語らない。激しく感情が高ぶると一人で何とか処理しようとする。そんな所が一緒に暮らすアリスに「私は彼にとって何の価値もない存在?」と寂しい思いをさせている事も判らずに。

彼が夜中にうなされて夢の中の母親を呼ぶのは、何か悲しい思い出が隠されているからなのかもしれないのだが、彼が一番愛したアンナには、それが理解出来なかった。

その秘密をラリーに平気で話すアンナ。デリカシー足らな過ぎでイヤっ。

アンナってもう、大嫌いって感じだ。お前がそんなんだから最初の結婚がダメになったんだろうとか、いらぬお世話を焼きたくなる。

アリスはそんな事は人に話さない。それどころか、そんな弱い所を持つ彼を理解し支えようとさえした。20代前半ですでにストリッパーとしてのキャリアがあり、ろくな荷物も持たないで外国に来る彼女にも、そんな悲しい過去が沢山有りそうだ。

でもダンにはアンナの方が必要と思えた。何でだろう。大人の女って感じがしたのか? いやワカラン。人が恋に落ちるのは0.06秒とか、何か物凄い秒速なんだそうだ。理屈じゃないし。

アンナに去られたダンが泣きながらラリーに向かって最後の自尊心を振りかざし「お前はペットだっ」と叫ぶと、すでに勝利を確信しているラリーは平然と「甘える犬はかわいい」と言ってのける。

他人はおろか、自分にも愛する人にも本当の感情を曝け出す事の出来無いダンは、ここで本当の意味で敗北感を味わう。このシーンだけでも舞台を見たかったなぁと思う。勿論ダン役はオリジナルのクライブ・オーウェンで。

プライドがねぇ、大変だねぇ。どこの国の男も。

この2人に愛されるアンナという女性は、写真家だけどポートレイトしか写さない。そこに彼女の「他人と関わりたい」という欲求が透けて見える様だ。沢山の人の表情を捉えて、彼女自身が自分の感情に気付いていくのかな、と。

抑圧された心は、時に自分自身も気付かない方法で、自分を解放しようと模索する。

こんな風に日記で考えを公開したり、絵を書いたり、ダンスしたり、話したりして。

ポートレイト専門の写真家のアンナは素直な気持ちで人と関わりたくて、受け入れてもらいたくて、そんな切実な彼女の心が2人の孤独な男の琴線に触れたのかもしれない。

ジックリ見ていると、この2人の男は実は一人の男の中に有る性格なのではとも思えてくる。女性のほうもしかり。

たったの一回観ただけも、こんなに沢山の事を考えてしまうっていうのは、本当に良く出来た脚本なんだからだと思うよ。

4人の名前に全部アルファベッドの"A"が入ってるのも、なんかの意図が有るのかとか・・・ね。

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