掃除をしていて、どうしても捨てられない物があった。

それは、手紙。

幾つもの箱に年代別に放り込んであるんだけど、滅多に蓋を開ける事は無い。

先日の掃除の時にも、この箱をどうしょうか散々悩んで、やっぱり捨てずにまた仕舞いこんでしまった。

字を見るだけで送り主の判るものばかり。

いつの間にかメール全盛になってしまった今でも、やっぱり手書きの文字にこだわってしまう。

その中には義妹との刺々しいやり取りやら、ヒロとのこんがらがったやりとりやらも含まれている。

そんなつもりがなくても、言葉や文字に激しさが付きまとってしまうのか、私のその類の手紙は、たいてい誤解が誤解をよんでしまう。

むずかしいなぁ・・・

5年前、心身共に疲れ果てていっその事京都の藪の中で死んじまおうかとまで思いつめてた私に、「死んじゃダメっ」と言ってくれた友達に対して、私は励ましたつもりだったのに・・・。彼女がそれでいいのなら、私は応援するするよと言った筈なのに。

苦しい恋に悩んでいる彼女に対して、なんかキツイ物言いをしてしまったようだ。

掃除をしながら、彼女から貰った楽しい手紙の数々を眺めながら、どうしてだろうと考えた。

そして、どうしてヒロが「あなたがそれで良ければ、俺もそれで良い」と言った、既婚者としては都合の良い好条件を飲まず、あえて一線を引いたのかを。

この一週間の間、何となく湧き出てくる吐き気の原因を考えた。

やはり、私にはさけて通れない問題がある。その問題から目をそらしていたら、人格的に歪んで、他人に危害を及ぼしかねないんだろう。

それが漸く、昨日あたりから心の上の方に浮上してきた。浮上して来たという事は「もう見ても大丈夫、ちゃんと向き合えますよ」と心が信号を送って居るのだと、自律訓練の先生が仰っていた。

そう、今がその時期なんだろう。

それはその友達とも、どこの誰とも関係の無い、私自身の問題。それが形を変えて、こうやって見せてくれたに過ぎない。


それは小学生の時の、凄まじい母の姿だ。

父と父の仕事のパートナーである女性との関係を疑い、長距離電話で物凄い大喧嘩を繰り広げ、半狂乱で「今子供達を殺して私も死んでやるっ!私達の死体を見て自分のやった事を反省しろっ」と怒鳴って泣き喚いていた姿。

「そんなに私の事デブデブって言うんなら、何も食べないで餓死すればいいんだろっ」

それを聞いて姉は持病の喘息の発作を起こしてひっくり返ってしまった。

私はそのあまりの凄まじさに表に飛び出し、夜中の畑を走って家ぐるみで付き合いをしているおじさんの家まで助けを求めにいったのだ。

「おじさん助けて下さい、助けて下さい」足がガクガク震えていた。もう寝る準備をしていたおじさん達が慌てて駆けつけてくれて、その場を納めて呉れなければ、どうなってたんだろう・・・。

小学6年の時だった。涙も出ない程緊張していた。

今、その時の涙を流す時期なんだろう。だから彼女とは関係が無いんだけれど、どこかで彼女を批判しているような態度が見え隠れしてしまったんだと思う。


ごめんね。本当にごめんね。



人が人を好きになるのに理由なんて無い。

愛情を築き上げるにはかなりの忍耐と時間を必要とするけど、恋には一瞬で落ちる。

誰にも止められない。

だからこそ、自分達の態度や行動に責任を持って欲しいと、私は言いたかったのかも知れない。

裁判沙汰になってもいいっと言い張る彼女に対して「もしそれであちらが母子心中でもしたらどうする?」と言った時、「それでもいいっ」と精一杯強がった彼女の態度で、私の中の、ずっと見ないで隠していた記憶が出て来たんだろう。

うちは、現実にその母子心中一歩手前だったのだ。あの時おじさん達が来て母をなだめてくれなかったら、本当にあの手の包丁がどうなっていたのか、わからない。

でも、それを今の彼女に言った処で、私の言葉は棘を持っているから聞いては貰えない。

だけど、彼女は私にとっては長い年月にわたって築いてきた本当に大切な仲間なのだ。この手紙の束がその関係の楽しさを物語っている。出来るなら穏便に、幸せに生きてて欲しい。


だけど、今の私には、どうすることも出来無い。

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