それは何故か。


三日連ちゃんで、「コソコソ掃除」をしたのだよ。

大きな全体の掃除ではなく、部分的に集中してやる掃除を我が家ではこう呼んで多いに奨励しているのだが、この2年ばかりは2人して精神的に疲れてたんだろう、まったく出来ていなかった。

んで、埃が溜まりまくってエライ事になっていたのさ。

下手に窓を開けて風を入れようものなら、どこからとも無く落ちてくる物凄い綿埃の数々。

時々見かけるタンスの横や戸棚の隅の埃なんかは、「ミニミニ」と呼んでいるウェット・ティッシューでサササッと拭くかたちの掃除はしていたのだが、どうも「コソコソ」までには至らないで時間だけが過ぎていた。

だけど、この所暖かいので身体も動く。

で、ソソッとやってみたら、こりゃ大変。自分のライティング机の上を掃除するだけで、大きめなゴミ袋一杯分のゴミが出た。

なんでだ・・・・・

おまけにそこに溜まっていた綿埃の大きさと言ったら、もう、掃除機に吸い込まれる度に「ズボッガボッボコッ」という派手な音を立てて、あっという間に掃除機のゴミ袋が詰まりかけた程だ。


机の上はこの10年全く手付かずの状態だったので、箱の中身はなんじゃろかと一応捨てる前に調べたら、古い領収書だの書きかけの小説だの漫画だの、もう要らないものばかり。

頭の上にゴミを置いてたなんて・・・。運も傾くってもんだよな。

それに、良い空気を入れようとして窓を開けたのに、部屋の上の方に溜まってる荒んだ年代ものの埃を風に吹かせて、それを吸い込んでアレルギーが酷くなるなんて、笑うに笑えないよ。

なので、もうトットコ捨てる捨てる。こんな所に10年間も仕舞いこまれてた小説なんて、わしが死んでも日の目も見んわ。おまけに主人公のモデルったらジャン=クロード・バンダムだし・・・

キアヌ・リーブもどきの男の子と手に手を取って、銀河を又にかけたスペース・オペラか・・・。

当時34・5歳だったわしは、この小説を一体何処に持ち込む気だったんだろか。

多分「ジュネ」かそこらだな。

もう少し構想を練らねばね。(そういう問題か?)




しかし、机の上の物が無くなっただけで、サッパリしたわぁ〜。

そんなこんなで三日間、今まで手をつけずに居た箇所を重点的にやったら気分の良い事。

前回の「コソコソ掃除・本棚編」の日記を読んでくれて触発された何人かの友達からも、「今までなかなか出来なかった所を、漸く綺麗にしたわっ」という言葉を聞いた。

そして口々に「やっぱ、ゴミが溜まってると運が逃げていく感じがするのさ」との事。

そうなのよ。ホントその通り。

毎日使う物は丁寧に扱って長持ちさせるし、時々必要な物は綺麗にして仕舞っとくし、多分二度と使わない、もしくは借りて来る位で間に合う物は、人にやったり捨てたりして、身辺を身軽にしておいた方が、絶対運気が上がるって。

そんなわしの「コソコソ行動」を見た師父も漸く一念発起したのか、この間わしが遊びに行ってる最中に、少し机周りの物を処分したようだ。

ゴミではないんだけど不要なものを溜め込む行為というのは、やっぱりどこかで精神の均衡が崩れている証拠だと思う。

自分の身の回りを自分の「物」で埋めていないと不安なのは、つまり、自分の周りに誰も味方が居ないので怖いという不安な心の声を、肉体が行動で示しているに過ぎないと思うのだ。

そんな弱い自分の心をしっかりと見つめられるようになれれば、おのずと物を捨てたって平気になってくる。

誰も居ない訳じゃない。自分には自分が居る。一番の理解者で、一番の友達は、常に一緒に居てくれる。

こいつだけは、死ぬ時も一緒だ。

だから、出来るかぎり身軽にしてた方が、何かと楽に生きていける。

身も心もね。

ホント、そうだと思う。

シンプル・イズ・ベスト

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