記憶

2005年3月22日 エッセイ
昨日、師父の実家のお墓参りに行って来た。

日曜日に他のメンバーは済ませてしまったので、私達長男夫婦と義母の三人で、お茶を飲みながら3時間ばかりのんびりと話をした。

義妹の葬儀から5ヶ月がたち、彼女の初彼岸でもある。

だけど、新盆とは言っても、あまり初彼岸とは言わない。なんでかな?

彼岸はもともと日本だけの行事で、春はその年の豊作を神に捧げ物をして祈願する行事と、農作業で忙しくなるとなかなか墓参りや花見に行けなくなるから今のうちにやっておこうという、庶民の都合が合致して出来上がったもの。

秋は収穫を感謝してまたまた神に捧げ物をし、冬の寒さの前にお墓の掃除をしたり、紅葉なんぞを愛でて辛かった農作業やらの労をねぎらった行事から始まった。

だから、どちらかといえば神道の行事に近い。

お寺の坊さんが「お彼岸にはご先祖様があの世から帰って来ますから」なんて言った所で、元々のインドには無い行事なんだし、まぁどうでもいいんじゃないの、とか思っちゃう。

この日は、つまり、家族や友達が親交を持って、お互いの存在や今住んでる星の自然に感謝しなさいよという日って感じもするけどね。

こういう、いかにも八百万の神の国らしい考え方って好きだ。

だが、最近、わしの実家と師父の実家が、相次いで神棚やお稲荷さんを神社に帰してしまった。

高齢でお奉り出来ないっていうのが、その理由。

いちいち神社に行っていられないから、わざわざ家まで来てもらってるだけなのにねぇ。なんか難しく考えすぎなんだが・・・

と言う訳で、師父の実家は、神棚が無くなった分、少しサッパリした感じだ。

しかしだ、義母はそれから腰が痛いとか言っている。

わしの家でも愚母が、お稲荷さんを帰したとたんに風邪ひいたし。

なんと言っても神道は仏教が来る前からこの国にあった信仰だからね。

マインド・コントロールも千年単位。なんといっても遺伝子が記憶しちゃってるんだからね。

「バチが当たる」という言葉は、自ら「神なんか信じない」と公言した所で、そうそう割り切れるものでもないんだろう。

だけど、まぁ、人んちの事だからどうでもいいんだがの。

さて、今回義母と話していて驚かされた事がある。

昨年の義妹入院時の話でだ。

義妹が少し良くなってリハビリ病棟に移されたのだが、暫くして容態が悪くなったので、また元の病棟に移らせたいんだけど、リハビリが出来ないという理由だと彼女もガッカリしてしまうだろうから、何か彼女が納得するもっともらしい理由をアドバイスして欲しいと担当医師から連絡が有った時の事。

考えの及ばない義母が、私達に電話で言ってきたので三人で医師と会い、少し長い距離を車椅子で移動するのもリハビリの一つだし、たまたま病棟の改装工事をしていたので、同じ人ばかりが工事の音を聞かされるのも気の毒だから、みんなで少しずつ病棟を移動しているんだよというのはどうだろうと、私と師父が医師に打診してみた。

義妹は本来が義侠心の有る人だったので、「同じ人ばかりが煩い部屋じゃ可哀想だよね」と快く、何も疑わず(本心ではどうだったのか解らないが)病棟を移って行った。

その時の話を義母が「あの時ハッキリ言わなくてよかったなぁ」と言いながら、なぜか自分が医師に提案した事になっているのだ。

その際、私と師父は同席すらしていなかったらしい。

・・・ヤパイです。義母のおつむ。

ちょっと、ザマァミロですが。

なんて人の事笑ってると、何時こちらにお鉢が回らないとも限らないので・・・

クワパラ・クワパラ・・・

それでもなんでも、私達が来るに当たって、お昼の用意をしていたなんて殊勝な事を言ってくれた。

いままでは「何か喰うのか?何もねぇだがな」とか言ってた人なんだけどねぇ。

本当に人って変わるもんなんだねぇ。いつまでも昔の義母を覚えているのは、わしもそろそろ止める事にするかのぅ。

なんて言いながら、昨夜から今日の午前中にかけては、「あのババァ、人の考えを都合よく自分の手柄にしやがってっ」とか頭に血ィ登らせて怒ってた、情けないわしなんだがの。(^^ゞ

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