DVD ワーナー・ホーム・ビデオ 2004/09/23 ¥1,575

テネシー・ウィリアムズの名戯曲を完全映像化した。この作品は、映画史上にも残る二大スターの共演だけあって、51年度アカデミー賞、主演女優賞、助演女優賞、助演男優賞、美術監督・装置の各賞を受賞した名作。

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あまりの名作に恐れをなしたのか、有名すぎて返って見る期を逸したのか、今の今まで全くご縁もなく来てしまったのを、昨日やっと見た。

ああ、本当に名作だった。いゃ、皮肉でなく。

だけど、なんか今まで読んできた数々の批評とは、何処と無く感じが違っている。

それとも、ただ単に私が文の読み違い、理解違いをしていただけなのかも知れないがの。

昔からこの話はなんやかやと「語る」人達が多くて、子供心にも「何やら知らんが子供には判らん難しい話らしい」と敬遠してしまってたのも事実だし、確かに今のこの年齢、この状況にならないと、トント理解する事が出来なかった人達についての話でもある。

だけど、ここに描かれている人達は、一人として特別な人はいない。みんなそこら辺で生きてる普通の人達ばかりだ。

マーロン・ブランド演じるスタンリーは確かに酷い性格の男。だけど、なんであんな性格になっちゃったのかって事は、今ならいろんな所でさんざっぱら論じられてる。

その妻のステラも、天下の美女ビビアン・リーが演じるステラの姉ブランチも、みんな繊細でピュアな心を時代の荒波に揉まれてボロボロにしてしまった人達ばかりだ。

誰でもが持っている「虚栄心」や「依存」「甘え」「支配」そんなマイナスな面が、「自分の事を解って欲しい」「ありのままの私を理解し、愛して、守って欲しい」という素直な心を歪めさせて、自分が作った混乱の渦の中で、グルグルと回り続けている。

むだな人生。他の人にはそんな風にしか映らないその姿は、だけど当の本人は必死なのだ。

この作品が作られた時代には、ラスト・シーンでステラが取る行動以外には解決策は無かったんだろう。

だけど、今はもっと選択枝があるはずだ。

特にスタンリーやブランチの様に、自分の感情に振り回されて流されているだけの「受身」な人達には。

人の悩みは不変だ。古びる事が無いし、個人個人でどうにかしない事には、進歩すら無い。

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