クイーン CD 東芝EMI 2004/02/11 ¥2,600

タイ・ユア・マザー・ダウン
テイク・マイ・ブレス・アウェイ
ロング・アウェイ
ミリオネア・ワルツ
ユー・アンド・アイ
愛にすべてを
ホワイト・マン
懐かしのラヴァー・ボーイ
さまよい
手をとりあって
          1976年作
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このアルバムを持って、第一期クイーンは終了した。

イギリスのマニアと日本の女学生や、一部の感性の研ぎ澄まされた男性位しか評価しなかった一枚目と二枚目、「キラー・クイーン」というようやく大きなヒットに繋がった三枚目に続いて出した、ボヘミアン・ラプソティを含む「オペラ座の夜」とカップリングの様な形を取ったこのアルバムで、彼らの「最初のメッセージ」は終了。

この後からは彼らの野望である世界を見据えた活動が展開されて行き、私達第一期クイーン・ファンは見事に置き去りにされてしまったのだ。

なんだか親離れに似た感覚を覚えたものだ。

当時はあまりに自分の住んでいる世界が小さくて狭くて、相手が好きなようにする事すら許せなかった私達だった。

フレディは言った。「僕は何時までも爪に黒いマニキュアをして粋がってる子供じゃないんだよ。人は成長するものだ」と。

裏切られたというか、捨てられたというか、とに角悲しかった。何度も何度もその記事を読み返しては、泣いた。

でも、結局正しいのはフレディの方で、あの時の私は本当に何も知らない、狭い世界に住んでる10代の女の子でしかなかった訳だ。

続くアルバム「世界に捧ぐ」からのクイーンは、アメリカを始めとして、本当に「世界」の中で知らぬ人の居ない大物ロック・バンドに成長していく。

その中で見せるメンバー達の姿は、最初にクイーンを熱狂的に歓迎した私達「日本の女学生」にとっては、もう見るに耐えない姿ばかり。

それも彼らであり、これも彼らであったはず。変わったのではなく、もともとあったものを、素直に他人に晒せるだけの自信がついたとでも言うべきなんだと思う。

でもクイーンのメンバー達は、日本で最初に認められてとても嬉しかったと言っていた。その気持ちが、このアルバムには込められていると、今でも私は信じている。

初期クイーンの最後に、日本のファンに大切な置き土産を呉れたのだと。

先日読売新聞の夕刊に、「オペラ座の夜」をレコーディングした時使用した、イギリスの片田舎に有る農場を改造したスタジオが紹介されていた。

ああ、ここだ。「音楽専科」でも特集組んでたスタジオだ懐かしいなあと読んでいたら、ラジオからフイに「手を取り合ってこのまま行こう、愛する人よ。静かな宵に光を燈し、愛しき教えを抱き」と「手を取り合って」が流れて来るではないか。

ナイスだなぁ〜と喜んでたら、ポロっと涙が落ちた。

頭ではなく、身体が勝手に反応して、嬉しくて涙が落ちた。

フレディが、まだそんなに上手ではなかった頃の日本語で、優しく歌い掛けてくれている。

最初に聞いた頃は、「なにこれ、媚ちゃって」と結構批判的だったのに、今聞くとたまらなく愛しいナンバーだ。

最近またクイーンが活動を再開したというニュースを聞く。ボーカルはバッド・カンパニーでボーカルしてたポール・ロジャースだとか。彼の奥さんは日本人(今も別れてなければの話だがの)。さぞかし「手を取り合って」の日本語は上手かろう。

世界ツァーをするとかいうけど、ベースのジョンはなんかもう隠居生活が長くて復帰出来るかどうか解らないんだとか。

出来ればクイーンの名前では来ないで欲しい。ユニットでいいよ。

そうすれば、ポール・ロジャースが余興で「夜明けの刑事」の主題歌やバド・カンやフリーの頃の曲も演るかもしれないし。お得感あるでしょ、その方が。

どんなに上手な歌手でも、クイーンとしては歌って欲しくない。

それぞれのアレンジで歌うのは一向に構わないし、大いに結構なんだけどね。

こういう所で、変に頑固なんだよな、わしってば。

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