DVD 東宝 2004/11/26 ¥4,725
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最初に観たのは高校生の時。

次が確か24歳位の時で、あの日はまだ大学生だったOZMAが、私と聞母の棲む中野の下宿に泊まりに来てた夜だったと思う。

そして今年、本当に久しぶりに観る機会があった。

一本の映画を、こうして時代を経て見直すと、次々に新たな発見があって面白い。

高校生の時には、観終った後ダーっと図書館に走って原作本を借り、家族や友達と皆で回しながら物凄い勢いで読んだっけ。

自分と同世代の少女達が、貧しさから娼婦にならざるを得なかった昔の日本の現実と、今目の前で展開されている友人達の奔放な「不純異性交遊(死語?)」のギャップが可笑しいというのもあって。

でも確かに、その当時も遊びでは無く「身を売っている」のは貧しい家に育った友達だけだった。中学の卒業文集に「金持ちになって、みんなを見返してやるっ」とか書いてキャバクラ嬢になったりした子もいたが、その子はいつの間にか連絡が取れなくなり、そのうちにヤクザの彼氏にシャブ中にされて東北の方に売り飛ばされてしまったという噂を聞いたきり、行方不明になってしまったり・・・

今も昔も、そんな所は変わってないのかなぁとか思いながら観たものだ。

この映画に出てくる少女は、私の友達の様に自分の意思で「仕事として身を売る人」になったけれど、なかには野良仕事の合間にさらわれてしまった娘達もいるという話や、密航船の中での悲惨な話などを読み、昔の、僅か100年前の日本が、本当に貧しい国だったのを知った。

ショックだった。それが僅か数十年前の話なんだから。

自分の意思ではどうにもならない辛い現実を生きなければならなかった人達、特に貧しい女達の人生の上に、今のこの国がある。

僅か100年前の日本は、今のフイリピンなどと変わらない国だったのだと、もっと学校でも家でも教えてやって欲しいと思う。

有り余る物に埋りこんで、それでも何かを「欲しい欲しい」と求めている自分のあさましい姿を良く観ろと。


その次に観た、24歳の頃はどうだったんだろう。

あの頃は自分の人生が登り調子真っ只中で、他人にまで気の回らなかった超傲慢な頃だ。

だからこの中で描かれる「貧しさ」に、逆にとても嫌な感じを受けたのを覚えている。

可哀想だなぁという気持ちと、貧乏なんだから仕方ないんじゃないのという冷めた感情が入り混じっていた。

その夜遊びに来ていたOZMAが「九州のおばあちゃんみたい〜」と、それだけの理由で泣けるのが不思議な感じもしていた。

他人に対して、一番態度が硬かった頃なんだよね。

そして、今。

今なら、製作者達がこの映画を通じて伝えたかったメッセージを、多分間違いなく受け止める事が出来ると思う。


ラスト近くでの、田中絹代演じる元からゆきさんの慟哭の意味も、今なら心に響いて理解出来る。


原作者が、なぜこれ程にまで、この物語を書きたかったのか、解る気がする。


辛い人生を生きなければならなかった主人公の女性は、散々悲しく惨めな思いをさせられたにもかかわらず、それでも他人に対する親切心を失わず、自分の運命の舵を取りながら、宿命を受け入れて生きて来た。

最初の、原作者と主人公の何気ない出会いの場面に、この女性の人格と人柄がしのばれる。

時々、新聞の「人生案内」なんかを読んでいると「苛められた仕返しに、私も嫌味の一つも言えばすっきりするのに」などと書いてくる年寄りがいる。だいたいが70を越えてる女性だったりして。

やられたから、やりかえす。やりかえしたい。

この人は、生まれ変わっても、多分同じ人生を歩む。そんな気がする。気がつくまで、何度も何度も。

最近の私には、人生において何かを学ぶ為に今こうやって生きているのだとしたら、この「誰かに何か嫌な事をされたら、あなた、どうします?」と聞かれている様な気がするのだ。

その答えのひとつが、この映画の中に有ると、少なくとも今の私にはそう思える。

人が本当に求めているのは、お金や物ではない。

その答えは、この映画の主人公の慟哭を観れば解る。

この歳になって、もう一度観直してよかった。

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