殺人を犯すのは、圧倒的に男が多い。

どこの国でもそうなんだという。

今週のディスカバリー・チャンネルの特集を見ながら、なんかウンザリしていた。

http://japan.discovery.com/series/serintro.php?id=463


まぁ、たまには女も凶悪な事件を起こすけど、それは極めて稀な例で、大抵の殺人犯は男。

彼らの子供時代の悲惨さ、愛情不足さは可哀想な位共通しているんだけど、だからといって、それが事件を起こしていいという理由にはならない。

でも、圧倒的に、彼らの子供時代は悲惨。

凄惨を嘗め尽くすとか、絵に書いたような不幸とか、見ていると「何でここまで」と思う様な人生を歩んでいる。

思わず作り話かと、疑ってしまいたくなる。

愛情に恵まれない子供の脳内は、セロトニンという幸福を感じる物質の分泌が極端に少ないんだそうだ。

大人になってからも、絶対量が少ないまま。

だからほんの少しの幸せでは、それを幸せと感じる事すら難しいらしい。

アカゲザルの実験で、母親から離した授乳期の子ザルの檻に金属で形作った親ザルの模型と、フワフワの毛糸で作った模型の両方を置いた所、金属には見向きもせず毛糸の方にしがみついく結果が出たという。

フワフワとした手触りのいい、暖かい感触のものに抱かれている時期に、その機会を奪われるのは残酷。

人は常に、他者から触られて、見られて居ないとダメなんだそうだ。

自分以外の人の匂いやフェロモンを感じていないと、人としての感覚がオカシクなる生き物なんだとか。

それに頭を強く揺さぶって脳に傷をつけても、後々の生育に問題が出てしまう程、繊細な生き物なのだ。

それにしても、凶悪な事件を起こす圧倒的多数の男達は、どんな課題を、その人生に持ってきたんだろうか。

どうして殺したの? との問いに、殺人を犯した少年が感情を押さえ込んだ眼差しで「わからない」と答える。

脳内の物質に支配されてしまい、自分で自分がコントロール不可の状態の時に犯した犯行は、罪に問われるのか。

苦しい人生から逃げる為に知らずに分かれた多重人格の中の一人が殺人を犯しても、自分は知らなかったと言えるのか。

私達は感情のコントロールを学ぶ為に、生きている。

最近、そんな気がしてならない。

ゲームの様に、サバイバルに必要なアイテムの中に、必ずこの項目が有るはずだ。

そのアイテムを手に入れる前段階での、各キャラクターの標準装備はまちまち。

それは不公平でもなんでもない。

そのゲームを始める前に、すでに幾つかのゲームをクリアーしているから。その中で身につけたアイテムが有るか無いかの違いだから。

確かに、悲惨な人生からスタートしなければならなかったのは気の毒だとも思う。

でも、もしかしたら、みんながそうやってグルグルと持ちまわしてその役をやっているのかも知れないし。

その中で、いかに感情のコントロールを身に着けられるか。

なんか、最近そんな事を良く思う。

いい訳に走っている事にすら、気がつかない人達が多すぎて。

コメント

お気に入り日記の更新

この日記について

日記内を検索