ISBN:487728785X 文庫 沼 正三 幻冬舎 1999/07 ¥680
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昨日、歳三兄さんの所に車で遊びに行って来た。

年末に風邪ひいて忘年会も出来ずにいたので、ここいらで初喋り&初愚痴吐き大会しようぜと言う事になり大いに盛り上がった。

何処の家でもそうなんだけど、最初からみんながみんな仲良く楽しい家庭なんてありゃしない。

親と子は大体において話がかみ合わないというのが「初期設定」として存在してるみたいだし。

ホント中国の諺じゃないけど「何処の家にも、一冊は難しいお経の本が有る」その通りだよね。

あんまり禍々しくて、それを「世間体」とか「恥」とか捉えて隠そうとすると、いつの間にか家族のだれかが「人柱」に立たされての「浄化」が始まってしまう。

それはまるで、最初からゲームの中にプログラムされて居るイベントの様で気味が悪くなる。

その人柱は一人の場合もあれば一人を除く全員の場合もある。

病気や事故や精神錯乱や、その家庭の持っている「問題の重さ」で、出てくる事例は千差万別だが。

それでもなんとか、自分の姿をキチンと認めて他人を支配する事なく、責任転嫁する事なく生きて行きたいよね、なんて事を歳三兄さんと話してたら、そうやって自分自身を振り返らない奴らに対してムショウに腹が立って来た。

「家族」というグループの中にいるからこそ、余計に「判って欲しい」という気持ちがそうさせるんだけどね。

仕事関係やらだったら、心の中で切り離せるだけのスタンスは2人とも取れてきたんだけどさ。

どうして自分達はあんな責任の取れない、他人依存の、支配的で嫌味なセリフが大好きな母親やらに囲まれて育っちまったんだ。あいつらただの家畜じゃないかとかいう話になった。

「ヤプーだよな、囲われ家畜。柵の中でプーブー言うだけで外に出て来る事もしないでさ。餌もらって養ってもらって、それで文句ばっか言ってんの。絶対家畜、あいつら」

「奴らが家畜なら、じゃわしらは何だべ」

「・・・、放牧家畜 ?」

「囲われヤプーに放牧ヤプーねぇ。言えてるかも。あははははっ」

もっともここで「ヤプーって何?」とか言われるとテンションがガタ落ちになっちゃう。歳三兄さんとの打てば響くこのやり取りはまったくもってありがたい。知らない方は画像をクリックして見てくだされ。石森章太郎の漫画のほうが見やすいかもだが、どっちにしてもグロくてエグイ事に変わりは無い。私にとっては「O嬢の物語」と並ぶ不可解で御しがたい話ではあるんだけど。

どっちにしても囲いの中にいるか、放牧されているかの違いはあっても、私達は家畜な事に違いはない気がする。

全くの「一人」で生きられる人なんて、本当に存在するんだろうか。

野山で木の実を取って食べたとしても、その木の実を作るのは誰なんだ?

私達は、自分の思いも及ばない力の中で、確かに「生かされている」。それも「致死率100パーセント」っていう、世界中の誰もが逃げられない絶対の法則の中でだ。

それは、放牧されていても、常に羊飼いや牛飼いに見守られてる姿と、良く似てないか?

まぁ、でもね、囲いの中にいて、異性をあてがわれて「はい、この相手と交尾しなさいね」「ブィっ」とか応えるのはまっぴらゴメンだ。

たとえ首にカウベル付けられてるとしても、群れる仲間は自分で選ぶよ。

なんて話を2人で散々して、気がついたら夜の10時を過ぎている。師父が帰ってきて部屋が寒かったら気の毒だと急いで帰り支度をしていたら、色んな本が山積の兄さんの部屋の中から「山川純一」の復刻版を発見。↓

http://www.fukkan.com/group/?no=2372

早速借りますた。(^^ゞ

帰り道、香港から帰って暫くロレツの回らない日々が続いたのだが、やはり脳血管の何本かが切れてたんだろう。

道をまちがえてしまったよ。

通いなれた道なのに、どうやら手前の信号から曲がってしまったらしく、気がついたら知らない道を走っていた。

地図も持たないで来たのでどうなるかと思ったけど、なぜかそういう時に限って車を止めない癖がある。

適当に、何となく心の赴くままに走らせてしまう。

そんな時に見る景色や建物に、なんらかの「サイン」が潜んでいるような、そんな「一人遊び」に興じてしまうのだ。

ただ漠然と「大丈夫」という気持ちがあり、いつも不安にはならないのが不思議なんだけどね。

パニックの発作が酷かった時でさえ、この「一人遊び」はしていた。多分癖だ。方向音痴、万歳。(バカ)

そしたら、夜目にも大きな神社発見。こんなに長いことこの近くに住んでて、今まで全く知らなかった大きな神社だった。

そしてその間違った道は、兄さんの家に行く時に今まで私が知らなかっただけの「混雑する開かずの踏み切りを通らなくても良い」抜け道だったのだ。

ああ、今はこっちに風が向いているのか。

そんな気がして、今日はこの大きな神社に初詣に行って来た。

どっしりとした、大きな気配のする立派な神社だった。

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