風邪の効用

2004年12月10日 エッセイ
先週末から、風邪をぶり返して寝ていた。

折角しつこいのが治ったなぁと思った矢先にまた喉がヒリヒリし出して、「あれ?」と思っている内に激しい鼻詰まり状態に突入。

でも今回は所謂「普通の風邪」だったらしく、いつもの大人しく寝ていれば治るの自説通り、4日位で峠は越えてくれた。

丁度良いタイミングで読売新聞にもこんな特集が組まれてたので、風邪引くと直ぐ薬飲む癖の有る人一考です。


http://www.yomiuri.co.jp/iryou/renai/20041208sr11.htm

だけど、酷い鼻づまりは苦しい。先月の風邪の時には突然気管支炎を起こした割りに鼻の粘膜はさほど腫れなかったのだが、今回は鼻の粘膜を集中攻撃された感があって、3日ほど全く味を感じる事が出来なくなってしまった。

よく味が判らなくなって、どれを食べても砂を咬む様だなどと言う人がいるけど、あれはいくらなんでもオーバーだ。

それに、そんなら砂食べた事有るのかよって、突っ込みたくなるし。

私は有るぞ。食べたというか口に入った砂を咬んだ事が。大風の日にウッカリ外で大笑いした時や砂出し不足の貝食べた時に。

なんでもあんなにジャラザラしてたら吐くよ、普通。

でも、確かに微妙な違いが判らなくなるのは、「気持ちが辛い」と思う。

昔学生の頃に、味覚の感じる部位を書けとかテストに出た覚えがあるのだが、あれは舌の絵を描いて、前が苦味横が渋みとか書き込んでいく形になっていたと思う。

もしかして、今でもあんな絵描かせてテストに出してる教師が居たら、その時はクラス全員の前で吊るし上げでもしたらいい。

「そんな時代遅れの知識なんか教えて。あなたのレベルが知れる」とね。

あれは全くのデタラメでもないけれど、舌は味覚を感じるセンサーの一つに過ぎない。

もし舌だけで味が解かるとしたら、鼻が詰まった時になんで味が判らなくなるのかの説明が付かなくなるし。

舌にあるザラザラブツブツの突起と、鼻の中にあるセンサー機能を持った細胞が脳に信号を送って、脳が「この味ですっ」と決めるのだ。それもほんの一瞬で。

だから、味を決めるのは脳。舌の各部位じゃない。

凄いなぁ、人間の作りってホント神業。

だから、その舌のブツブツの突起の少ない人や、怪我や薬や煙草などの刺激で汚れて傷ついたり、ピアスで穴空けちゃったり、鼻の粘膜が腫れてたりすれば、当然味覚にも支障が出てしまう。

微妙なんだよねぇ。


なんてね。実はこれはこの間ディスカパリー・チャンネルの中の番組で仕入れたばかりの知識なんだがの。(^^ゞ

まぁ、なんともタイムリーでしたわい。

で、実際に味が全く判らないかというと、微妙に別の器官が敏感になるのか、少しは判るものもある。

それは「苦味」「渋み」「酸味」「塩味」だ。

悲しいかな、「旨み」の殆どの部分を占める「甘み」は全く解らなかった。

丁度喪中はがきの返事で、大阪のぼんぼん先生の家から「妹さんへ」とご丁寧にもお線香を送って頂いたのだが、その桐の箱に入った立派な線香の束にも、わしの鼻は反応しない。

この立派なお線香をあのバカ愚義弟にやるのもシャクなので、実家での供養に使おうと師父が提案し、そんならと箱を開けて線香を掴み、その束を鼻の穴に入れかけても、全く匂わない。

2人して「凄い腫れ具合だねぇ」と感心してしまった程だ。

舐めたら少しは解ったんだろうか・・・

おならも体臭も解らない。ガスの臭いも判らない。

・・・命の危機だわね。

でも口に入れたものなら、先の四つの味だけは何とか判ったのが救いと言っちゃあ救いかな。

紅茶は単なる白湯よりも渋いし苦いから、お湯がザラザラした感触があるし、刺激の少ないポーレー茶やエキナセア茶は、黴臭い臭いや野草の臭いがしない分、まったくの白湯状態だった。

でもただの白湯よりも柔らかくて飲みやすい。

最悪なのはバナナで、フレーバーな香りがないマッタリした食感の酸っぱい物でしかなかった。

バナナって、結構酸っぱいんだねぇ・・・、あの芯の所。

一番良く判ったのは塩味。塩味だけはどんなに鈍感になっても身体が常に必要としている養分なだけに、微量でも感じる事が出来るんだろうね。

でもこんな事が判ったからって、それがどうだっていうんだろか。

たしかに、一つの物に対して別の見方が出来たっていうのは、新しい発見でもあり、面白くもあったけど。


風邪が通り過ぎて漸く身体が平常な状態に戻りつつある今、匂いと食感と記憶が作り出す「味覚」を「味」として感じられる幸せを、つくづくいいなぁと、思う訳だ。

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