鏡の女たち

2004年12月4日 映画
DVD ジェネオン エンタテインメント 2004/12/22 ¥4,935
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残念、絵が出ません。主演・岡田茉莉子・田中好子他

24年前、一人の女の子を産んだ直後に失踪した娘を探し続ける年老いた母と、父も母も知らず人間不信のまま成長した孫娘の前に突然現れた、失踪した娘かも知れない「記憶喪失の女」。

失踪した娘が持っていった母子手帳を所持していたその女は、本当に自分の娘なのか。

その娘に関する事柄に触れる度に、母親が今まで隠していた事実が次々に明らかになって行く過程は、まるで今の夫の実家の状況を見るようだ。

見たく無い事をヒタ隠しに隠していると、必ずどこかに歪が出来て膿が溜まってしまう。

そうやって長い年月の間に溜まった膿は、やがてそれに関わった人の健康や関係を腐らせ始める。だから、何処かで腐った箇所を切ってその膿を出さなければならなくなる訳だ。

関係によっては殺し合いに発展するかもしれないし、二度と口を利かなくなる間柄になるかもしれない。

人によっては重い病気に罹るかも知れないし、多重人格や記憶喪失、理由の判らない突然の失踪という事態を招くかも知れない。

でもやり方次第では、双方が傷付きながらも新しい関係を作り上げる事だって可能な筈だ。

この母親は娘に隠し事ばかりをしてしまった為に、成長過程での彼女の心身の健康を損なってしまった。

それも娘にとってよかれと思ってした事だったから、余計に救われない。

それでも孫娘がその事実を受け入れられる程に成長し、自分を大事に出来る様になったのは、救いと言えば救いなんだろう。


この中で、折角見付かった娘かも知れない女に対して、「そうとも言えるし・・」と母親が戸惑うシーンが有る。

孫娘が恋しがるからという理由で、娘の写真を全部処分してしまった為に確認が出来ないというのだ。

24年前に失踪した娘が見分けられないのかと、疑問に思う人も居るかもしれない。

北朝鮮に拉致された、まだ子供だった横田さんの娘さんのように、あんなに成長してしまっては果たしてどうだろうかと思うけど、子供を産んだ24歳の娘が48歳になったからと言って見分けがつかなくなる物かと。

私は、それがこの映画の中で言いたかったテーマの一つじゃないだろうかと思うのだ。

この母親は、自分の考えばかりが優先していて、肝心な子供の心を見ていなかったんじゃないかと。子供の本当の姿すら見ていなかったんじゃなかろうかと。

子育てや夫婦関係の落とし穴は、大体そんな所から始まる。

あなたの為よと言いながらも、実は自分が辛い思いをしたく無い為の方便だったりする訳だ。

娘の写真を処分したのは、自分を捨てて行った娘に対しての「裏切りに対する復讐」でもあるかも知れない。本来ならその写真を元に捜索願いを出す筈なのに、それもしない。

この母親にも、とても大きな心の闇がある。

この映画では広島と原爆が大きなウエイトを占めて関わって来るが、アメリカが「戦争を止めさせる為に落とした」「結局は日本人の為になった」と言われる原爆の、その本当の「結果」を見れば、そんな事大儀名文に過ぎない事は一目瞭然だ。

それと同じように、事実を事実として認めないままに子供や自分に嘘をつき続ければ、必ずどこかに閉塞が起こり、この映画の中の娘がヒステリーをおこした時に取った行動と同じように、必ず何時かは誰かが「打破」しなければならなくなる訳だ。

自分の国が製造し、落とした原爆で亡くなった人の姿を直視出来ないアメリカ人の姿と、辛い事実を隠して娘の心を歪めた母親の姿が重なって来る。

どんなに幼くても、子供は親の言葉を理解しようと努力する。

だから恐れる事は無い。言ってしまえばいい。

そして一緒に考えていけばいいだけだ。

ヘタなヒロイズムが全ての関係に影を落としてしまうのに、多くの母親はそれに気付かない。

だから、辛い事から逃げ出したい欲求に闇雲に駆られた時、自分は何故それを辛く思うのかと、自問してみたらいい。

答えは意外に近くにあって、知ってしまえば結構乗り越えられる事かも知れないのだ。

だって、仕方なかった訳だし。

大抵の事は、まだ子供だった自分が悪い訳じゃないんだから。

そう思うと、このラストは随分と悲しいし、中途半端で不満が残る。

テレビドラマに作り直してリベンジして欲しい。

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