風邪で寝ていても、なんだか「2046」のドツボから逃れられずに色々と考えていたのだが、その最たるものを一つ。

「弐零四六」この声調をずらすと違う意味になるのは以前書いたんだけど、その延長で、しつこいけどもう一つ。

「姨領死路(叔母さんの襟元にク〜ラクラ)」っていうのと、全部を逆さにして「64レン姨(64年、美しい叔母)」{レンの字は左が青で右が見の一文字}になったなぁと。


オマヌケな回文になりますたが、勿論声調ずれてます。いい加減でゴメンナサイ。


なんでこんなにドツボに嵌ったかと言うと、この64・5年辺りのチャイナの襟と叔母さんで大笑いの思い出が一つあったのを思い出したからだ。

この頃は日本中が香港ブームだったんだろうか。私は6・7歳頃だったので世の中の話題には疎い頃だったが、今考えて見ると宝田明の「香港3部作」があったり、映画「慕情」の熱がまだ覚めやらずだったり「スージー・ウォンの世界」が上映されたりしてた頃だった。

それにあの高倉健さんだって「ならず者」と「東京ギャング対香港ギャング」のニ作品で、それこそ野良犬の様に香港で客死するハード・ボイルドなギャング役をやっている。


蛇足だが、この時の健さんの広東語、なかなかキュートです。

さて、その時代のチャイナが、「花様年華」や「2046」に出てくる、まるで拷問の様な高い高い襟のチャイナ服。

多分歴代1・2を争う高さじゃなかろうかとさえ思う襟の高さだ。

マギー・チャンやチャン・ツィイーの様な「首長族」的美女でないととても着こなせないシロモノ。

見ているととても息苦しそうで可哀想にもなって来るが、その苦しさに耐える姿が、返って美しく見えたりする訳だ。

美って、本来は残酷なのかも。

だので、私の中での「チャイナ服」は、当然子供の頃に刷り込まれたこの襟の高いスタイルになってしまう。

私の母は6人姉妹の長女で、この時代幼い頃に病死した一人を除く5人がいつもつるんではオシャレ談義をしていた。当然それぞれの子供同伴で。その子供達もみな女。ホントに煩かったよ〜ん。

で、まだ独身の叔母達もいて、当時の話題の一つにこの襟の高いチャイナがあがっていた時があったのだ。

当時はチャイナの吊るしなんか売ってる店は無い。当然オーダー・メイドになるのだが、着道楽と言われる土地柄のせいか服飾関係の仕事が多く有り、全員がその関連の仕事をしていた叔母達にとって、服を作るのは朝飯前の事。

で、一番行動的な叔母が紳士服の襟芯を使って、見よう見まねでチャイナの襟を仕立ててみたのだ。

何を参考にしたのかは知らないが、とにかく物凄く襟幅の高い物だった。

横浜に祖父の兄弟がいたから、そこら辺に聞いたのかも知れないな。

とに角「最新流行の襟」との事だったのだが・・・

その襟だけの物を、みんなが集まった時に首にはめてみたのだが、もうその姿は「むち打ち患者のコルセット」そのもので、とてもファッションとは呼べない。

大笑いも大笑いで、暫くみんなが順番にはめて、転げまわって笑ってしまった。

真ん中の叔母と、私が辛うじてはめる事が出来たのだが、それにしても顎が持ち上がって苦しい。

その襟を作った本人はあまりの酷い姿に愕然として、自分の首が短いのをわざわざ母親にまで抗議に行く有様。

「何でこんなに短い首に産んだんだーー」と怒る30歳の娘の頭をなでながら「猪首は丈夫、猪首は丈夫」となだめる祖母も祖母だがの。

当時憧れのスタイルだったんだろうけど、あの頃の日本女性のスタイルでは、あまりに差が有りすぎて可哀想なくらいだったっけ。

叔母達は私に向かって「お前は首が長いから、チャイナが似合う」と言ってくれたけど、彼女達は大切なポイントを見逃していたのに気づかなかった。

首が長いだけじゃダメなのよ。スラリとした長い手足も無いと。

いい気になって香港のパーティでチャイナ服を着ていたら、手足の太くて短いのを見て「あなたは日本人ですね」と見抜かれたあの日を、わしは忘れない・・・。(T_T)

なんで同じアジア人で、こんなに体形がちがうかなぁと思う事しきり。

最近の日本女性の中には、本当にチャイナ服の似合う体形の子達も出始めたけど、全く羨ましいかぎりだよね。


「2046」の監督王家衛は私と同じ年だから、もしかしたら、彼の叔母さん達もこんな素敵なスタイルで街を闊歩してて、それが幼い彼の原体験になっているのかもね。なんて思った次第。

まぁ、出来るだけ無理のないように、異国の文化を楽しみましょうか、という事で。

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