DVD ポニーキャニオン 2001/05/16 ¥3,990
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最近、強く「やり直し」をしていると感じる。
本当に人生のリターン・マッチをしているんだと思う。
なぜかと言うと、特別意識しているのでも無いのに、妙に以前やった事が繰り返しやってくるからだ。
昔見た映画。昔熱中してた遊び。昔体験したイやな事、楽しい事。等々等々・・・
でもこれらはうっかりしていると「あら、懐かしい」程度で過ぎてしまう。そこから何も学ばないで。
繰り返し来るという事は、そこに学ぶべき「何か」があったのに、その時は気づく事が出来なかった、と言う事。
人がその一生のうちで、学ばなければならない事は、おそらくそんなに多くない。
大抵の人達にとって、学ばなければならない事とは、多分二つか三つ位のものだ。
でも、それが難しい。
それがとても受け入れ難い。
だからこそ、逃げる。そして繰り返す。
キチンと向き合えば、それまでの辛さが嘘の様に消えてしまうのに。
そう、呪いが解けるのに。
大抵の場合、その心境に行き着かない内に、嫌になって・・・
逃げる逃げる。
そして追われ続ける。やらなければならない事柄が未だ他に幾つか有るのに、一つの事だけに追われ続けて、結局その人生の中だけでは消化出来ず、来世に持ち越す。
こういう考え方を、私は誰か特定の人から教わった覚えが無い。
子供の頃から自然に、当たり前に受け入れていた。
でも実際に「腑に落ちて」考え行動が出来る様になったのは、ヒロと喧嘩別れして精神と肉体がすっかり奈落に落ちてしまって以降だ。
それまでは完全な頭でっかちでしかなかった。
それでも、その考え方が根底に有ったのは何よりだ。自然に受け入れられるに越した事は無い。
理解出来ない事柄を受け入れろと言ったって、その部分が越えられるまでに多くの時間を費やしてしまうのだから。
この映画「チャイニーズ・オデッセイ/西遊記その壱」は今まで見る機会が沢山有ったにも関わらず、縁が無くて見られなかったものの一つ。
でもこの映画をリアル・タイムで見たとしても、当時の私は何も学ばずに、「つまらん」の一言で片付けてしまった事だろう。
10年前は傲慢・我儘・ヤクザと繋がっているというイメージが先行してて嫌いな俳優の一人だった周星馳だが、今は何故かとてもイイと感じる。
飛ぶ鳥を落とす勢いだった10年前の彼の映画は、絵に描いた様なベタベタコテコテの香港ギャグ満載だ。
当時はこれを笑い飛ばす余裕が無かった。みんなの様にスクリーンに向かって「しつこいわっ」「早よ話を進めろっ」「くどいっ」「えぐいっ」と突っ込みを入れる事すら思い浮ばなかった。
当たり前に受け止めて、当たり前に返した。
これではイカン。
香港と大阪のノリが似ていると知っていたのに、そのノリを身体で心で感じるには、当時の私は余りに余裕が無かったと言う事だろう。
だから病気になったし、それが長引いてしまったのだね。
この映画「西遊記」は当たり前の西遊記とはチョット違っている。そう、「やり直し」の西遊記だ。
これを観ながら、ふと子供の頃の愛読書だった「西遊記」を思い出した。
大正生まれの父が、子供の頃に読んで好きだった本。本棚の中でひときわ古くてボロボロになっていた本だ。
それなのに、文章は不思議と簡単で読みやすかった。子供向けだったからだろうか。
そこに描いてある内容が、外見のボロボロに反比例して変に新しいのも変だった。水洗トイレの話とかが出てきたし。
今となっては誰の訳なのか全く判らないのだが、西遊記の様なエンターテイメント小説は、その時々で内容が多少変わっても伝わるものはしっかり伝わる。
もしかしたら、西遊記をベースにした全くの書き下ろしだったのかも知れない。この映画みたいに。
でも師弟愛や友情、悪事を働いた後の因果応報は不変だものね。
日々の生活の辛さや憂さを晴らす為に、人はアホらしい小説や映画を観て大笑いしたりする。
父も色々に辛い事が多かったんだろう。子供の頃私に買ってくれる本は、みんな子供が冒険旅行に出る内容だったもの。
英雄は大空を自在に飛び回り、何度でも生き返る。子供も大人もそんな英雄に熱狂する。彼に自分の人生の夢を乗せる。
中国の武侠映画を見て「ありえないっ、馬鹿みたい」と言うのは簡単だけど、その背後に有る人々の生活を知れば知るほど、「ガス抜き」としての馬鹿馬鹿しい娯楽の必要性を痛感するよ。
「なんだあれ〜、あははははっ」と大笑いして一時生活を離れ、元気になって劇場を後にする。
パンパンに膨らんだ緊張を、一旦抜いて、リセットするのだろう。
しかし、この頃の周星馳の映画って、ホントに馬鹿げで面白い。
CG処理された薄っぺらなアクションでは無く、全員が身体を張っているだけに迫力があるし。
自分がこの内容を笑って流せるようになれたと分っただけでも、観た価値はあったな。うん。
だけど、この「繰り返しやり直す」の基本は、そこからしっかりと学ぶ事だよなぁ。
てことは、諦めたり開き直ったり、すっかりしっかり忘れたりするのとは、チョット違うと思うよ。
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最近、強く「やり直し」をしていると感じる。
本当に人生のリターン・マッチをしているんだと思う。
なぜかと言うと、特別意識しているのでも無いのに、妙に以前やった事が繰り返しやってくるからだ。
昔見た映画。昔熱中してた遊び。昔体験したイやな事、楽しい事。等々等々・・・
でもこれらはうっかりしていると「あら、懐かしい」程度で過ぎてしまう。そこから何も学ばないで。
繰り返し来るという事は、そこに学ぶべき「何か」があったのに、その時は気づく事が出来なかった、と言う事。
人がその一生のうちで、学ばなければならない事は、おそらくそんなに多くない。
大抵の人達にとって、学ばなければならない事とは、多分二つか三つ位のものだ。
でも、それが難しい。
それがとても受け入れ難い。
だからこそ、逃げる。そして繰り返す。
キチンと向き合えば、それまでの辛さが嘘の様に消えてしまうのに。
そう、呪いが解けるのに。
大抵の場合、その心境に行き着かない内に、嫌になって・・・
逃げる逃げる。
そして追われ続ける。やらなければならない事柄が未だ他に幾つか有るのに、一つの事だけに追われ続けて、結局その人生の中だけでは消化出来ず、来世に持ち越す。
こういう考え方を、私は誰か特定の人から教わった覚えが無い。
子供の頃から自然に、当たり前に受け入れていた。
でも実際に「腑に落ちて」考え行動が出来る様になったのは、ヒロと喧嘩別れして精神と肉体がすっかり奈落に落ちてしまって以降だ。
それまでは完全な頭でっかちでしかなかった。
それでも、その考え方が根底に有ったのは何よりだ。自然に受け入れられるに越した事は無い。
理解出来ない事柄を受け入れろと言ったって、その部分が越えられるまでに多くの時間を費やしてしまうのだから。
この映画「チャイニーズ・オデッセイ/西遊記その壱」は今まで見る機会が沢山有ったにも関わらず、縁が無くて見られなかったものの一つ。
でもこの映画をリアル・タイムで見たとしても、当時の私は何も学ばずに、「つまらん」の一言で片付けてしまった事だろう。
10年前は傲慢・我儘・ヤクザと繋がっているというイメージが先行してて嫌いな俳優の一人だった周星馳だが、今は何故かとてもイイと感じる。
飛ぶ鳥を落とす勢いだった10年前の彼の映画は、絵に描いた様なベタベタコテコテの香港ギャグ満載だ。
当時はこれを笑い飛ばす余裕が無かった。みんなの様にスクリーンに向かって「しつこいわっ」「早よ話を進めろっ」「くどいっ」「えぐいっ」と突っ込みを入れる事すら思い浮ばなかった。
当たり前に受け止めて、当たり前に返した。
これではイカン。
香港と大阪のノリが似ていると知っていたのに、そのノリを身体で心で感じるには、当時の私は余りに余裕が無かったと言う事だろう。
だから病気になったし、それが長引いてしまったのだね。
この映画「西遊記」は当たり前の西遊記とはチョット違っている。そう、「やり直し」の西遊記だ。
これを観ながら、ふと子供の頃の愛読書だった「西遊記」を思い出した。
大正生まれの父が、子供の頃に読んで好きだった本。本棚の中でひときわ古くてボロボロになっていた本だ。
それなのに、文章は不思議と簡単で読みやすかった。子供向けだったからだろうか。
そこに描いてある内容が、外見のボロボロに反比例して変に新しいのも変だった。水洗トイレの話とかが出てきたし。
今となっては誰の訳なのか全く判らないのだが、西遊記の様なエンターテイメント小説は、その時々で内容が多少変わっても伝わるものはしっかり伝わる。
もしかしたら、西遊記をベースにした全くの書き下ろしだったのかも知れない。この映画みたいに。
でも師弟愛や友情、悪事を働いた後の因果応報は不変だものね。
日々の生活の辛さや憂さを晴らす為に、人はアホらしい小説や映画を観て大笑いしたりする。
父も色々に辛い事が多かったんだろう。子供の頃私に買ってくれる本は、みんな子供が冒険旅行に出る内容だったもの。
英雄は大空を自在に飛び回り、何度でも生き返る。子供も大人もそんな英雄に熱狂する。彼に自分の人生の夢を乗せる。
中国の武侠映画を見て「ありえないっ、馬鹿みたい」と言うのは簡単だけど、その背後に有る人々の生活を知れば知るほど、「ガス抜き」としての馬鹿馬鹿しい娯楽の必要性を痛感するよ。
「なんだあれ〜、あははははっ」と大笑いして一時生活を離れ、元気になって劇場を後にする。
パンパンに膨らんだ緊張を、一旦抜いて、リセットするのだろう。
しかし、この頃の周星馳の映画って、ホントに馬鹿げで面白い。
CG処理された薄っぺらなアクションでは無く、全員が身体を張っているだけに迫力があるし。
自分がこの内容を笑って流せるようになれたと分っただけでも、観た価値はあったな。うん。
だけど、この「繰り返しやり直す」の基本は、そこからしっかりと学ぶ事だよなぁ。
てことは、諦めたり開き直ったり、すっかりしっかり忘れたりするのとは、チョット違うと思うよ。
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