この前読売新聞に「痴呆という言葉を別のものに変えよう」とかいう記事が出てて、代わりの言葉として「おボケ様」というのがあり、申し訳ないが失笑してしまった。

確かに可愛らしい響きがあるし、なんか全てを超越した人という感じに聞こえなくもないし。

「お武家様」的高級感もありそうだし・・・

ここん所「脳モレ注意報発令中」な自分にピッタシかなと思ったりして。

最近は癌などと同じように、自分で初期の痴呆である事を受け入れて日常生活をおくっている人達も多いので、その人達が自分の事を「私はおボケ様になりましたのよ。オホホホ」とでも言ってくれれば、周囲もさほど深刻にならないでいいのかも知れない。

でも、自分が痴呆なのだからとデタラメな生活をしていて「病気なんだから大目に見ろ。可愛がれ、大切にしろ」とか不届きにも開き直る人が出て来ないともかぎらないかなぁ。

そんな時、その人に自分の大切な人生の時間を使われてしまう人達は、どう対処したらいいものか・・・


今日久しぶりに、かつて二年に渡って訪問介護をしていたアルツハイマーの方に会ったのだが、その「落ち」振りはまったく酷いいものだった。


その方の周りに「憎らしい憎らしい。まったく憎らしい」というメッセージが溢れていて、初期の頃には辛うじて残っていた「いい人仮面」は完全に剥がれて、心の奥深に隠されていた感情がむき出しにされていたからだ。


「もうね、私は我慢しない。あんたなんか大嫌いだから。私はあんたが大嫌いだから」と、ダラダラよだれを垂らしながら、その人は言っているようだった。

大嫌いな自分自身に。長年いい人を無理やり演じてしまった自分自身に。

その施設にも時々歌を歌いに行ったりするのだが、かなり久しぶりだったにも関わらず、殆どの人が私が何をする人なのかを覚えていて、気がつくと周りに集まって一緒に歌を歌っていた。

そんな時、医師から痴呆と診断された人達の顔が、楽しさでニコニコ輝いているようだ。


でも、ただ一人、怒りに包まれていた「その方」だけがツカツカツカと廊下を歩いて来て、「そんな歌なんか歌うな」と怒ってみんなで叱られた子供みたいな顔をしたので、私が「じゃ、小さい声で歌おうか」と提案してみた。


すると、そこに居た全員が「そうだよね」と、まるでこれからイタズラをする子供みたいに目を光らせて笑い、それこそ小さい小さい声で歌ってから、大きな声で大笑いした。


もう長いこと「痴呆」と診断されて居る人達も、こんな楽しい行動を取る事が出来る。

幼児と同じでだいたい5分位で場面転換をしないといけないが、それでもその瞬間瞬間は、本当に楽しそうだ。

それでいいでしょう。

よく「アルツハイマーの人は」とか「脳血管性痴呆の人は」とか言うけれど、なんかそれ以前のその人となりの生活に、ボケてからのその人それぞれの違いが出てくるような気がしてならない。


確かにアルツハイマー性の痴呆と言われた人達を見ていると「プライドが高く負けず嫌い。人を見下す傾向が有り、批判精神旺盛でエエカッコしい。」とかの特徴がある感じがするし、脳血管性痴呆の人達に「我慢強く生真面目な人」が多い気もする。

そのミックスっていうのも有りそうだし。

でも、痴呆になったからと言って、全ての人が「強張った表情」をしている訳ではないし、また「ダラーっとよだれをたらして」いる訳でもない。


一つだけ言えるのは、家族や周囲が「痴呆だから、何を言っても解らない」と決め付けてキチンと相手をしなくなれば、そういった症状は強くなるだろうがの。

人は40歳までは、親から受け継いだ遺伝子で外見が保たれるのだそうだが、40を過ぎるとそれまでその人が培ってきた性質や考えが外見を作っていくのだとか。

だから「昔は性格はどうでも、とに角綺麗だったのにねぇ」とかいう美男美女が、中年以降まったく卑しい顔でうらぶれてしまうというのも、なるほどなぁと頷ける。

顔はその人の生き様そのものだものね。

だから痴呆と言われる人達の顔だって、ホント色々。

つまらない・辛いという感情は共通しているものの、まったく同じじゃないよなぁ。

おボケ様かぁ。やっぱなんか、可愛いかも。

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