今日は「9.11」

そして夏目雅子の命日。

なんだか色々考えてしまう日に、久々横浜詣でをした。

自律訓練は無事楽しく終了し、無駄な力の抜けた所で何の気なしに帰り道に有るランドマークに寄ってみた。

実は初ランドマークなんだよなぁ。こんなに近くに有るくせに、今までまったく関心が無かったのは、どうせブランド店ばかりで詰まらなかろうという、単なる思い込みのせい。

行ったら行ったで、それなりに見て回れるし面白くも有るんだから、ブラブラとウインドゥ・ショッビングするだけでも脳みそが活性化するというのを自ら実践しているあたりに、さすが自律訓練の効果が出とるのぉと自画自賛。

気持が沈み加減の時には、多少無理をしてもデパートなどをうろついて目をキョロキョロさせるだけでも、良い脳内物質が活発に分泌されるんだと。

縁日なんかに行くと、何となくウキウキと楽しくなるあれだ。

だからどんな店がテナントで入って居るのかなんて、ほとんど関係ない。要するに目が自然にキョロキョロと動けばよろし。

ヘタに庶民的な店ばかりな場所より、多少は値の張る商品を扱っている店が多い方が、ハナから「買おう」という気持が無い分いいかもだ。


でも、横浜のランドマークは意に反して結構庶民派だったりして、少しお財布があぶなかったがの・・・


激しい鬱状態を経験した人なら誰でも解ると思うが、鬱の時って完全に視線が固まってしまうもんだ。うつむいて、ある一点をジット見つめているばかりっていうのは、もうほとんど精神崩壊一歩手前だよ。自分でも判ってはいるんだけど、どうしても動かす事が出来なくなってるんだよね、ああいう時は。

これは、ホントにヤバイのよ。視線が固まるのは脳も固まってるって事だからね。

まぁ、ここんとこ気の力も落ち気味で、心配してくれる人達の心に支えられてようやっと生きてたわしとしては、死期回帰って感じのランドマーク参りだったって訳。(チョットオーバーか?)

で、この地下の食堂街でお昼を食べたんだけど、その時ふとここがかつては港のドッグだったんだと気がついて、同時に昔の忘れていた記憶が蘇って来た。

「ああ、そういえぱ、ここが完成した時の記事読んで、行きたいなぁ、船を作ったり治したりしてたドッグに入りたいなぁ」とずーーっと思ってたのに、その時はどうやっても行けなかった事を。

なぜかドッグは「赤レンガ倉庫」の地下だと思い間違いをしていて、赤レンガに行ったのだが見付からなくて(当たり前)、なんかそれっきり忘れてしまっていたのだった。

トンチンカンな思い込みだ。どうして人はそんな馬鹿げな間違いをするんだろう。記事を読み直したり、横浜のガイド・ブックを読めば直ぐ解決する話なのに、何故か気がつきもしないで時が過ぎてしまった。

縁のない時はこんなもんだ。

でも、今はその「行きたかった場所」に、図らずも来ている。

そして、私はその場所に居る時、その事に気がついた。

たいした事ではないのかも知れないが、もしかしたら大した事なのかも知れないなと、ほのかに感じる。

日々の出来事の中に埋まって居る幸運に感謝するって、こういう時の事なのかもね。

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