香港映画「見鬼」は、日本のレンタル店にも「アイ the EYE」という題であるらしいが・・・未確認でスンマセン。
わしはwowowで見ますた。
さて、
恐怖と言うものは、誰にも共通な物と、特定な人にしか解らないものとがあるという。
昔、ブードゥ教では呪われた人の体内から外に向かって針が生えて、その人は全内臓が針に刺されて激痛でのたうち回りながら、やがて出血死すると聞いた。
だけど、呪術師は呪いの祈祷を始める前に、必ず呪う相手の家のドアに、その印を下げておくのだそうだ。
「今からお前を呪うぞ」と宣言する為に。
それを見た人は、「ああ今自分は呪われている」と激しく自覚してしまう。それに「呪われると、身体の中から外に向かって針が生えて、それに刺されてのた打ち回って、必ず死ぬのだ」と子供の頃からしっかりと刷り込まれている記憶の中の暗示が暴れだして、結果的にそのような死に方をしてしまう。
と、いうのだが・・・。
個人的には、とってもありえる話だと思う。
中学生の頃に「エクソシスト」が公開されたが、不気味なミドリ・ゲロや首ぐるりの特撮や首の動脈からぴゅーっと飛び出る血なんかが気持ち悪いなぁとは思っても、「悪魔に自分が乗っ取られる」という設定には何にも感じられなかった。
まだ13歳位で、社会的な人間生活に不足があったのと、「悪魔」という表現が心の中でピンと来なかったせいだ。
我がアイドル、サディスチック・ロックの女王様スージー・クワトロ嬢が「あんまり怖くて、見た日はすぐベッドに飛び込んで丸くなって震えてた」とかいう記事を読んだ時など、「あらあら、スージーったら」と笑ったものだ。その時は彼女が敬虔なクリスチャンだったなんて知らなかったし。
あの内容は、キリスト教徒にとっては、心底恐ろしい物なんだろうなぁと、今では理解出来る。
さて、この映画の「鬼」というのは、日本的な地獄にいる鬼ではなくて、さまよって成仏していない悪霊の事。中国ではこういう不浄霊と、西洋人の別称に「鬼」という言葉を使うので、最初エッチ系新聞なんかの広告で「超級大波鬼妹」と言う文字を見た時は、どんな海洋ホラー物かと思ったものだ。
知ってみたら何の事は無い。ただ単なる「デカパイの白人オネエチャン」という意味だがの。
大波=大きいボール(音から来る英語の当て字)転じてデカパイの意。
幼い頃に失明したヒロインが、成長してから角膜を移植し光を取り戻すが、同時に人には見えない物が見えるようになってしまったというホラーで、突っ込み処はてんこ盛り。
でも、それなりに「ひーーーっ」と声を上げてしまう場面もあったり、しんみりしたりと、結構楽しく見る事が出来る。
それに、これ実話を元にしてるんだそうだ。
そうか、これは香港映画の中に脈々と受け継がれて居る「実録物シリーズ」の一つだったのか。
アンソニー・黄秋生の「人肉饅頭」もこの仲間だすよ/to abc小姐。
さてさて。
この中で、私が妙に納得してしまったのが、風水磁石を持ちながら彷徨える霊の事を憂う道士の存在と、彼の言う「何か言いたい事が有るから、成仏出来ないで彷徨っている」というのと、「自殺した人は、毎日その時間になると霊が自殺を繰り返している」というセリフ。
可哀想だし、嫌だなぁと。
義父も、張國栄も、古尾谷雅人もそうなんだろうかなんて、考えながら見てしまった。
移植された細胞は独自の記憶を持っていると言われたり、魂が着いて来ると言われたり、まぁ色々あるけれど、それで助かる命ならそれも又運命なんだろうと思う。
霊に対する考え方やらに変に納得するのも、私の中にそういう因子が組み込まれているからなんだろうなぁと。
見える人の所に寄ってくるというのも、「怖い」と感じる要素だ。
怖さというのは、なにもお化け屋敷的なビックリ要素ばかりを全面に出している子供だまし映画よりも、何気ない所に、居るはずの無いものが見えるって言う方に強く感じる。
その点では、日本の「ほの暗い水の・・・」や韓国の「ボイス」よりも、怖く感じたよ。
どっちにしろ、何となく面白い作品ではあったし。
******************
余談だけど、覚えとして。
「見鬼」には、「お化けを見る」という意味の他に、「不思議な事」とかいうのもあるんだって。「お化けに会う」という意味も有るし。こういった場合の中国語って曖昧だなぁっていうか、大雑把っていうか・・・。まぁ会ったんだから、見たのか。う〜む。
わしはwowowで見ますた。
さて、
恐怖と言うものは、誰にも共通な物と、特定な人にしか解らないものとがあるという。
昔、ブードゥ教では呪われた人の体内から外に向かって針が生えて、その人は全内臓が針に刺されて激痛でのたうち回りながら、やがて出血死すると聞いた。
だけど、呪術師は呪いの祈祷を始める前に、必ず呪う相手の家のドアに、その印を下げておくのだそうだ。
「今からお前を呪うぞ」と宣言する為に。
それを見た人は、「ああ今自分は呪われている」と激しく自覚してしまう。それに「呪われると、身体の中から外に向かって針が生えて、それに刺されてのた打ち回って、必ず死ぬのだ」と子供の頃からしっかりと刷り込まれている記憶の中の暗示が暴れだして、結果的にそのような死に方をしてしまう。
と、いうのだが・・・。
個人的には、とってもありえる話だと思う。
中学生の頃に「エクソシスト」が公開されたが、不気味なミドリ・ゲロや首ぐるりの特撮や首の動脈からぴゅーっと飛び出る血なんかが気持ち悪いなぁとは思っても、「悪魔に自分が乗っ取られる」という設定には何にも感じられなかった。
まだ13歳位で、社会的な人間生活に不足があったのと、「悪魔」という表現が心の中でピンと来なかったせいだ。
我がアイドル、サディスチック・ロックの女王様スージー・クワトロ嬢が「あんまり怖くて、見た日はすぐベッドに飛び込んで丸くなって震えてた」とかいう記事を読んだ時など、「あらあら、スージーったら」と笑ったものだ。その時は彼女が敬虔なクリスチャンだったなんて知らなかったし。
あの内容は、キリスト教徒にとっては、心底恐ろしい物なんだろうなぁと、今では理解出来る。
さて、この映画の「鬼」というのは、日本的な地獄にいる鬼ではなくて、さまよって成仏していない悪霊の事。中国ではこういう不浄霊と、西洋人の別称に「鬼」という言葉を使うので、最初エッチ系新聞なんかの広告で「超級大波鬼妹」と言う文字を見た時は、どんな海洋ホラー物かと思ったものだ。
知ってみたら何の事は無い。ただ単なる「デカパイの白人オネエチャン」という意味だがの。
大波=大きいボール(音から来る英語の当て字)転じてデカパイの意。
幼い頃に失明したヒロインが、成長してから角膜を移植し光を取り戻すが、同時に人には見えない物が見えるようになってしまったというホラーで、突っ込み処はてんこ盛り。
でも、それなりに「ひーーーっ」と声を上げてしまう場面もあったり、しんみりしたりと、結構楽しく見る事が出来る。
それに、これ実話を元にしてるんだそうだ。
そうか、これは香港映画の中に脈々と受け継がれて居る「実録物シリーズ」の一つだったのか。
アンソニー・黄秋生の「人肉饅頭」もこの仲間だすよ/to abc小姐。
さてさて。
この中で、私が妙に納得してしまったのが、風水磁石を持ちながら彷徨える霊の事を憂う道士の存在と、彼の言う「何か言いたい事が有るから、成仏出来ないで彷徨っている」というのと、「自殺した人は、毎日その時間になると霊が自殺を繰り返している」というセリフ。
可哀想だし、嫌だなぁと。
義父も、張國栄も、古尾谷雅人もそうなんだろうかなんて、考えながら見てしまった。
移植された細胞は独自の記憶を持っていると言われたり、魂が着いて来ると言われたり、まぁ色々あるけれど、それで助かる命ならそれも又運命なんだろうと思う。
霊に対する考え方やらに変に納得するのも、私の中にそういう因子が組み込まれているからなんだろうなぁと。
見える人の所に寄ってくるというのも、「怖い」と感じる要素だ。
怖さというのは、なにもお化け屋敷的なビックリ要素ばかりを全面に出している子供だまし映画よりも、何気ない所に、居るはずの無いものが見えるって言う方に強く感じる。
その点では、日本の「ほの暗い水の・・・」や韓国の「ボイス」よりも、怖く感じたよ。
どっちにしろ、何となく面白い作品ではあったし。
******************
余談だけど、覚えとして。
「見鬼」には、「お化けを見る」という意味の他に、「不思議な事」とかいうのもあるんだって。「お化けに会う」という意味も有るし。こういった場合の中国語って曖昧だなぁっていうか、大雑把っていうか・・・。まぁ会ったんだから、見たのか。う〜む。
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