DVD ソニーミュージックエンタテインメント 2002/03/20 ¥10,290
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この前チャンネルNECOでやっていたので録画しておいて、漸く今日見られた。
前に見たのは、一体何年前だったんだろうか。今見ると主演の大沢君若いなぁとか、香港で沢木に飲茶をご馳走してくれる青年の役でイーソン・チャンが出てるのに気付くとか、見直すと結構新たな発見も有ったりする。
小学生の頃「ベ平連」に憧れていたが、その中心人物がこの沢木耕太郎だったのを知ったのはかなり後になってからだ。
だから多分、リュックを背負って世界を放浪した人が沢木耕太郎だったという確実な記憶があった訳ではないのだが、高校一年の時に「リュック背負って世界中を歩くので学校辞めます」と言って担任を慌てさせたのも、頭のどこかに彼の存在がインプットされていたからなんだと思う。
その当時は病院と縁の切れない体質だったので、結局周りを混乱させただけで終わってしまったのだが、本当に行っていたらどうだったんだろうと、このドラマを見ると考えてしまう。
行って行けない事は無かったのかも知れないし、出来たかもしれない。
でもあの頃は、ただただ家から出たかっただけなのかも知れないとも思う。
旅に出て自分の可能性を見つけるのだというのはただの口実で、本当は単に嫌なしがらみからの逃避だったのかも知れないのだ。
それでも何となく「バックバッカーとして旅をしたい」という気持は捨てきれていなかった。
骨が弱くて思い荷物を背負えないとか、免疫力が弱くて直ぐ感染症に罹るとかのマイナス面をおしてもだ。
そしたら、その内何とはなしに周りにバックバッカー達が寄ってきた。
求めよ、さらば与えられん。だよね。
ただ座っているだけで、世界中のかなりディープな話が聞けるのは面白い。
その中でも、アメリカ人の男の子から聞いた話が、何となく人との縁の不思議を物語っていて興味深かった。
それは、こんな話だ。中国の秘境の町に行った時、白人が物凄く珍しくて4〜5人しか見当たらない時に知り合った白人の女の子の泊まっている宿が自分の向かいの宿で、オマケに出身地が同じで、家もほんの数ブロック離れて居るに過ぎなかったのだという。
地元で生まれ育って、年も近いのに、なんで今まで会わなくて、こんな中国の山の中で出会うのっ? って、2人で大笑いしたそうだ。
人との出会いなんて、ほんと全てが「縁」で繋がってるんだろうねぇと思いたくなる話。
長く旅をしていれば、それだけ出会いと別れの繰りかえしが増えて行く。
人の一生の、とても分り易いダイジェスト版だ。
そうやって旅をして来て私と知り合った人達が、同じような事を言うので、それもなんだか面白い。
この世界の中には、自分自身を見失って流離っている「流浪の民」が、本当に沢山いるんだそうだ。
自国の暮らしが嫌になって外国に出て来たくせに、何処の国にも馴染めずに、同国の旅行者にくっ付いては何となく先輩面してるような人達が。
帰ることも出来ない。かといって今居る国の人間になる事も出来ない。
私に面白い話を提供してくれた人達が、口を揃えて「何となく哀れな感じがする」と言ったのだ。
非日常で友達になった人と、日常生活は送れるんだろうか。
ヤッチンに言わせると、日常生活で友達になれないタイプは、非日常の旅という空間で多少の接点は有ったとしても、それまでなんだとか。
人との出会いは、本当に「神の采配」。
会えば必ず別れるのだから、出合った事に感謝して、その人達との日々を大切に繋げて生きたいものだ。
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この前チャンネルNECOでやっていたので録画しておいて、漸く今日見られた。
前に見たのは、一体何年前だったんだろうか。今見ると主演の大沢君若いなぁとか、香港で沢木に飲茶をご馳走してくれる青年の役でイーソン・チャンが出てるのに気付くとか、見直すと結構新たな発見も有ったりする。
小学生の頃「ベ平連」に憧れていたが、その中心人物がこの沢木耕太郎だったのを知ったのはかなり後になってからだ。
だから多分、リュックを背負って世界を放浪した人が沢木耕太郎だったという確実な記憶があった訳ではないのだが、高校一年の時に「リュック背負って世界中を歩くので学校辞めます」と言って担任を慌てさせたのも、頭のどこかに彼の存在がインプットされていたからなんだと思う。
その当時は病院と縁の切れない体質だったので、結局周りを混乱させただけで終わってしまったのだが、本当に行っていたらどうだったんだろうと、このドラマを見ると考えてしまう。
行って行けない事は無かったのかも知れないし、出来たかもしれない。
でもあの頃は、ただただ家から出たかっただけなのかも知れないとも思う。
旅に出て自分の可能性を見つけるのだというのはただの口実で、本当は単に嫌なしがらみからの逃避だったのかも知れないのだ。
それでも何となく「バックバッカーとして旅をしたい」という気持は捨てきれていなかった。
骨が弱くて思い荷物を背負えないとか、免疫力が弱くて直ぐ感染症に罹るとかのマイナス面をおしてもだ。
そしたら、その内何とはなしに周りにバックバッカー達が寄ってきた。
求めよ、さらば与えられん。だよね。
ただ座っているだけで、世界中のかなりディープな話が聞けるのは面白い。
その中でも、アメリカ人の男の子から聞いた話が、何となく人との縁の不思議を物語っていて興味深かった。
それは、こんな話だ。中国の秘境の町に行った時、白人が物凄く珍しくて4〜5人しか見当たらない時に知り合った白人の女の子の泊まっている宿が自分の向かいの宿で、オマケに出身地が同じで、家もほんの数ブロック離れて居るに過ぎなかったのだという。
地元で生まれ育って、年も近いのに、なんで今まで会わなくて、こんな中国の山の中で出会うのっ? って、2人で大笑いしたそうだ。
人との出会いなんて、ほんと全てが「縁」で繋がってるんだろうねぇと思いたくなる話。
長く旅をしていれば、それだけ出会いと別れの繰りかえしが増えて行く。
人の一生の、とても分り易いダイジェスト版だ。
そうやって旅をして来て私と知り合った人達が、同じような事を言うので、それもなんだか面白い。
この世界の中には、自分自身を見失って流離っている「流浪の民」が、本当に沢山いるんだそうだ。
自国の暮らしが嫌になって外国に出て来たくせに、何処の国にも馴染めずに、同国の旅行者にくっ付いては何となく先輩面してるような人達が。
帰ることも出来ない。かといって今居る国の人間になる事も出来ない。
私に面白い話を提供してくれた人達が、口を揃えて「何となく哀れな感じがする」と言ったのだ。
非日常で友達になった人と、日常生活は送れるんだろうか。
ヤッチンに言わせると、日常生活で友達になれないタイプは、非日常の旅という空間で多少の接点は有ったとしても、それまでなんだとか。
人との出会いは、本当に「神の采配」。
会えば必ず別れるのだから、出合った事に感謝して、その人達との日々を大切に繋げて生きたいものだ。
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