何度か書こうと持ってやめていた話題がある。

例の「小学生殺人事件」だ。

あちこちの日記やブログ、新聞のコラムなどでも色んな人達が書いていて関心の高さが伺えるのだが、それぞれがどうしてもネットやメールでの関わりを重大視しすぎている感じがしてならない。

で、それ以前の問題が有るからだろうと思って色々考えていた。

というのも、10年程前私もあの事件の少女達ととてもよく似た関係に陥った経験があったからだ。

どちらか一方が、もう片方に猛烈に自分勝手な恋慕をする。

男女の恋愛感情とも微妙に違う。

それはもう「同化」そのものだ。

「あなたは私の親友」とその友人は私に言ったのだが、私にはそんなに大変な共通の経験をした仲でもない彼女に対して、そこまでの気持はなかった。

でも彼女の他の友人に言わせると「あなたは特別」だったらしい。

私の何がそんなに気に入っていたのかは判らない。

まぁ、彼女との関係はとても嫌な結末を迎えて終わったし、この日記のどこかでも書いた覚えがあるのだが、その頃図書館で妙に心引かれる記事を発見しその共時性に一寸ぞっとしたものだ。

1967年8月14日付の朝日新聞に載った「隣の主婦殺人事件」がそれだ。

たしか関西あたりで起こった事件だと思うが、隣同士の仲良し主婦が片方を殺したのだ。

一緒にお昼をラーメン屋で食べた後、分かれてすぐ他の人からその仲良しの主婦が自分の悪口を言っていたと聞かされた犯人が逆上して、被害者の家に乗り込んで台所でメッタ刺し。逃げた所をさらに追いかけて玄関で絶命させたというものだった。

犯人の女は被害者の3歳になる息子を連れて隣の自宅に帰り、被害者の夫が帰宅して事件に気づき通報するまで、死んだ彼女の息子と一緒に過ごしたという。

新聞記事を追って行くと、最初は「物音に気づかなかった」とシラを切っていた犯人が、だんだん追い詰められて逮捕に至り、取調べに対しても、あまりのもふてぶてしい態度で刑事がウンザリしたとか書いてある。

今から37年前に起こった事件の話だ。殺人を犯した女はヨヨヨと泣き崩れて懺悔するのが当たり前という前提が誰の胸にもあった時代に、「フンっ、それがどうしたのっ」というかの様な犯人の態度は、十分度肝を抜かれるものだったろう。

他からみれば、2人はとても仲が良く見えていたともいう。

でも2人の立場は微妙に違っていた。

片やまだまだ新婚気分の、可愛い息子のいる新米お母さん。

片や婚約中という触れ込みで団地に入居したものの、実状は別居中だった子無しの女。

被害者は31歳。犯人は32歳。もしかしたら同学年だったかも知れない。

夫の名前も漢字こそ違うが、同じ名前。

深くて、暗い淵が見えそうで見えない事件。

ほんの些細な感情の縺れが、メッタ刺しという残虐な事件を引き起こしたわけだが、本当の所犯人本人でさえ自分の心が解っていたとも思えない。

ネットやらメールやらの関係以前の問題として、この「自分勝手な相手に対する思い込み・自分勝手な支配感情」等の問題は、物凄く根が深くて怖い。

この事件の犯人Hがその後どうなったのかは知らない。死刑になったのか、長く刑に服して今は別の人生を歩んでいるのかも。

でも刑に服したからといって、罪が全てチャラになった訳ではないし、現在40歳になったろう被害者の息子と、彼を育てた夫にしてみれば、一生消えない傷を抱えている訳だし。

今回事件を引き起こした加害女児のお祖母さん達が若かった時代にも、同じような事件は起こっていたのだ。

「小学生殺人事件」ではどこかで誰かが「前世の因縁のからみで、この家族はお互いに「許す」事を学ぶ為にこの事件があった。」と書いていたが本当か ?

変にオカルト的な話に持っていくつもりは無い。

でも「魔」が差すというのは、自分の心に隙があるから差されるのだと、今では確信するよ。

その「隙」は、誰が作るのでもなく、自分が作るのだと。

だからこそ、己の心に潜む闇に対して、目を背けてはいけない。

我が家の義妹のように、生きている内に解らせて貰えるのは、ある種幸せなんだと思う。

多くの場合、何度も何度も輪廻を繰り返して、それでもまだ解らないで、同じ間違いを繰り返し続けるのかも知れないし・・・

もっとも、輪廻というものが有ると仮定しての話だがの。

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