今日は自律訓練の日。

で、横浜に。

そしたら暑いじゃないのよ、やたら。

オマケに、丁度横浜辺りに車で来てた友達からメールで「何時に駅着くの? 自律訓練の場所まで乗せてあげる」と嬉しいメールを見たのが、横浜駅からの乗り換えの電車に乗ってから。

で、中華街に寄って帰るんだよんと伝えておいたら、親切にも「中華街に居るのなら、横浜駅まで乗っけていけるよん」という嬉しいメール呉れたのに、わしの超古携帯がそれを受信したのが、新宿駅に着いた時。(/_;)

会えないとなると、なんだか物凄く会いたくなって来るから不思議。おまけに会えないのは、なんらかの邪魔が入っているからよっと思うと、やけに戦闘態勢に入って運命と戦いたくなって来るこの悪い癖。

流す流す水の如くに。全ては吉祥如意なのさ〜

会える時には、嫌でも会えちゃうんだから、あきらめてゆるゆると時期をまちましょ。

なんて言いながら、密かに愛染かつらな気分に浸る人妻なのだった。(照

さて、今日の自律訓練で、面白い事を発見した。というか、自覚した。

ここでは先生が臨床心理の観点から自律訓練を進める中で起こる心理面での変化をデータとして集める目的も兼ねて、世間様に憚られる安価で講座を開いて下さっているのだが、最初が2000年の秋だったので、もうかれこれ4年も続いている。

身体の緊張が緩んでくるにしたがって、深層心理に押し込まれていた「感情」を感じられる様になって来る。そうすると、今まで理由も無く怒りっぽかった意味や、幸せの絶頂でやってしまう失言・失態の意味などを、自分で納得出来るようになる。

そうすると、不思議な事に、いままでヘンにこだわっていた事柄からの「離脱」が起きる。

つまり「執着」が無くなって来るのだ。

執着というものは、「執着するなっ」と言われれば言われるほど強くなるものだよね。

「私が機を織って居る間、この扉を開けないで下さいな」と言われたのに開けてしまったバカな夫の絶望の様を見ながら、「やっと覗いたかこのアホッ」と大手を振って天に逃げ帰る鶴女房・・・・

話が違う・・・。

要するに、何で執着という気持ちが起きるのか、その事を見つめる手段の一つとして、この自律訓練はとても有効だと思うのだ。

これはドイツの学者が、インドの古い瞑想法を誰にでもやりやすいように改良した「内観」のやり方の一つだ。

この所続けざまに「蛇娘と白髪鬼」「生きてみたいもう一度」という、共に人目に触れる場所の肌に大きな火傷や傷を持つ女の話を映画で見てしまい、それが引き金になって自分のアトピー肌のコンプレックスに苦しんでいた時の感情がプワッと湧き上がって来て、とても不安定だった。

こんな肌の汚い女なんか、誰にも愛してもらう資格なんてないのよ。

とか、

セックス出来ないのは、肌が汚いからよ。(いやいや、そればかりではないのだが・・・)

とか、

私は一生一人で生きるのよ。(20年も人妻してるって・・・)

という、自分では制御不能なみょうちくりんな感情の波に翻弄されて、理由もわからずバニクる訳だ。

もっとも、今ではこうやって自分に突っ込みを入れられる位になってきたけど、始める前までは「過呼吸の発作」「ヒステリーの爆発」「激鬱」「不整脈で心臓バクバク」とまるで精神科か心療内科に強制入院する騒ぎだったのだ。やれやれだ。

そこで先生にそれを包み隠さず話してみる。

すると先生は、決して分析などはしないんだけど、会話の最中にある種のヒントを呉れるのだ。

今日の場合だと

肌にこだわりのある人は、幼い頃の親とのスキンシップが不足しているというデータが有りますねぇ。そういう映画を続けて見てしまうという事にも、何か意味があるのかもしれませんねぇ。と。

決して分析はしない。自律訓練はそれが目的ではなく、「自分での、感情の気づき」に重点を置いているからだ。

そうかなぁ、そうかなぁと、ゆるゆると身体の緊張を取っていると、ある時突然、抱かれたかったのに抱いてもらえなかった時の「悲しい気持ち」が湧いて来る。

それをそっと受け止める。湧いて来たという事は、つまり「受け止める姿勢が出来たから」に他ならない。

もうダイジョウブ。悲しかったけど、今はその気持ちをその気持ちのままに受け入れられる。

ああ、そうかぁ。そうだよなぁ、悲しかったから、泣いたんだよなぁ。泣いて泣いて、疲れちゃって、もうどうでもよくなって、そのうち悲しいのに泣かなくなって、泣き方忘れちゃったんだよなあ。だから、変な所でおお泣きしたり、泣くべき所で泣けなかったりしたんだよなぁ。

身体は悲しがってるし、心も、魂も悲しがってるのに、その気持ちは無視されて、閉じ込められてしまったまま、長い年月がたってしまった。

だから、時間を掛けて自分を生き難くさせている感情の「縛り」を解いていくんだよ。

そうして今日も一つ、肩の荷を降ろすのだった。

でも気がつくと、一度降ろした筈の荷物をまた背負っていたりして・・・

そうやって、ゆるゆると、生きていくんだよなぁ。byみつお(偽)

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