DVD アミューズソフト販売 2000/12/22 ¥5,040

1989年12月21日木曜日。暮れも押し詰まったった渋谷の街に「バチ当り修道院の最後」を見に行った。場所はかつて「繁華街の真ん中ラブホ」が立っていた跡地に出来た映画館ユーロ・スペース。

当時の映画鑑賞ノートを見ると、かなり期待はずれだったらしく怒りまくっている。

ジメジメしてる。コメディなのかもしれないが笑えない。まるで水アメの中を泳いでいる様だ。

この監督、なんでこんなに「女の、レズの」じめっとした質感が上手いんだ? (これは褒め言葉だな)

この監督はホモのネコだ。(・・・断言してるよ)

なのに、時間が経つごとに、この監督の作品がじわじわと心に引っかかるようになった事に気づき始めたのだ。

キカ アタメ マタドール 神経衰弱ギリギリの女達

今では、どれもが好きな作品として記憶の中にある。

ペドロ・アルモドバル監督の作る世界に出てくる女達はみんな強くて優しい。そして、誰もが、愛する人を裏切らない。勿論例外もあるのだが。

この監督の作る作品には、いつでも愛する人に対する熱い思いが溢れている。なんといっても、懐が広いのだ。

時に大雑把に展開してしまいがちなのだが、現実だってこんなものだ。悲しい事が続いたってお腹は空くし、お金を稼がなければ生活出来ない。

精神状態がオカシくたって、性欲はわくのだ。

その場所に留まっていたいとどんなに願っても、時間はどんどん流れて行ってしまう。

私達の人生は、まるで一つの大きな船に乗り合わせたかのように他者と出会い、しばらく同じ時間を共に過ごして、それぞれの港に着くと、また各々の違った目的に向かって降り別れていく。

そのつど、私達の心の中に、そうして出合った人々の面影が刻み込まれて残っていく。


それこそが、生きている事の証。

それこそが、生きている事の、一つの理由。

母になった女達が、母になった男達が、ヤク中でなんだかもう世も末な人達が、自分に正直に一生懸命生きている。


そろそろ、パパ・ママという言葉の他に、新しい言葉を作る必要がありそうな、そんな感じがするよ。


映画館に行かなくてよかったよ。また号泣しちまったゼ。

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