DVD 東北新社 2003/08/22 ¥3,800 人気スター、ケヴィン・コスナーの第1回監督主演作品で、アカデミー賞作品、監督、脚本、音楽賞など7部門を制覇、またベルリン映画祭でも銀熊賞を受賞したスペクタクル西部史劇。


スー族の娘に「拳を握って立つ娘」という名前の女性が出てくる。主人公に愛される、気高く気丈で美しい人だ。誇り高きインディアンにとって、頑なに自分のスタイルを保持するのは、生きていく上で、とても重要な事だろう。それがどうこう言うつもりはないのだが、それは人間が自然と密接した関係の中で、生きるか死ぬかの苦しい生活をしていた頃の名残りだとも思うのだ。

寿命の短い時代の名残りだと。


昨日abc小姐と「他人の意向に沿ってしまいたいと思う自分の存在に苦しんだ」というのが話題になって、色々と考えてしまった。


「あなたはこういう人」と言う人がいる。

了見の狭い人に、良く見受けられる。

昔、私はこのタイプを友達にして、物凄く嫌な目に会ってしまった事があった。

他人に対してこういう評価を下す人というのは、つまり自分の理想を気にいった相手に押し付けているに過ぎないのだが、そこに先ほどの「他人の意向に〜」という自分が出て気安い人がハマってしまうと、それこそ悲劇的な展開になってしまうのだ。

知らず知らずの内に、本来とは違う自分に変化してしまって、そのことにすら気づけないまま、月日が立っていく。

「あれぇ、何かこの私、違う」と気がつけばいいが、もしかして気づかないで死んでしまう事だってあるかも知れない。


だからといって、「拳を握って立てっ」とは言わない。

それはそれで、やはり、やりすぎなのだから。


普段から高齢者と接する機会が多く、介護の必要な人に共通の生活・性格的傾向を知るにつれ、何事もほどほどにしていないとこの結果になるのだという症例を沢山見すぎたから。


若い頃からキチンとして、何事にもそつなくエリを正していた男性が、高齢になって脳梗塞で倒れて、同じように倒れた私の叔父と同室になった事がある。

付き添っていた奥さんも同じようにキチンとした人で、倒れた夫に対しての態度も「キチン」としていた。

男性は倒れた後、なにがどうなったのか、病室で奥さんの姿を見つけると「マチコさーんっ、おまんこすべーっ」と大声で叫ぶようになったのだ。

病室の住民一同固まったね、最初は。

奥さんには「あんなにキチンとしていた真面目な人が、あんな恥ずかしい言葉を口にするなんて・・・」と大泣きされるし、病室にいる女性みんなに声を掛け始めて、もう一時は大変な騒ぎ。

でも、その人は突然狂った訳ではないのだ。そもそも、そういう願望はあったろうし、根本的には、多分お茶目な人だったのかも知れない。

でも、「あなたは真面目な人」という周りの評価や願望の中に、自分自身を埋め込んで、本来の自分の心に寄り添ってやれなかったのだ。

気の毒としか言いようがない。彼がようやく自分らしくなれたのが、長い時間をかけて築いてきた自分がすっかり壊れてしまった後だったなんて・・・。



自律訓練をするようになってから、私は自分の中にこんなに無駄な力が入っていたのだという事を知った。

それまでの私は、何か事が起きるとすぐにギュッと両手を握り締めて、口を一文字にして固まってしまう癖があった。

そんな時、必ず息をしていなかった。

身体中が石の様に、文字通り「固まった」状態になってしまっていたのだ。

そんな時は涙も出ない。身体中の血という血、リンパ液、髄液の類が、ことごとく流れを止めてしまう。

辛うじて、浅い息をしながら立っているに過ぎない。

そうやって体液の流れをせき止めて立っていた私の心は、40を境に、遂に決壊してしまったのだった。

痛い・苦しい・悲しい・辛い。

この感情を、一番共感して欲しいのは、自分の肉体と共に共感して欲しいのは、自分の心だよ。

痛かったね自分。苦しかったね自分。悲しかったね自分。辛かったね自分。

よくがんばった、よくがんばった。いいこ、いいこ。

自分の心が認めてやらなければ肉体が悲しんで、判ってもらえるまで、しつこく自分に対してアタックを繰り返して来る。

そういう類の病気も、たくさん有るよ。そうやって、知らない内に「病気のデパート」になってしまうのさ。

拳を握って立つ姿は、気高く美しい。

力強く、気丈に立つ姿は、周りを圧倒するだろう。


その美しさが判るからこそ、その時代を過ぎてからの、力を思い切り抜いた姿に思いを馳せてみて欲しい。

拳で殴られれば痛い。でも拳も傷つく。

でも、所詮グーは、パーには敵わないんじゃないの?

力を抜いて、すぺてをさらけ出せる姿には、誰も敵わないよ。

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