最近の義妹はコロコロしている。
この二ヶ月半の間に、文字通り生死の境をくぐり抜けて、とりあえずの小康状態が、もう二週間にもなって来た。
一時はげっそりとコケた頬も、今では丸々ツヤツヤで、以前の元気だった頃のようだ。
術師が「あの母ちゃんに会いたくない」と駄々をこねて休んだ一週間の間にブワッと太ったのだ。
その間一度のめまいや吐き気も起こさず、良く食べ良く出し、筋力が落ちると困ると言って軽いストレッチ運動まで出来る迄に回復して来た。
むくみが出たのかとも思ったが、訪問診療してくれている医師の話では問題なしとの事。
大学病院で「手遅れです。これ以上悪くはなっても、良くはなりません」と言われた人が、二ヶ月後にはダイエットの心配をするまでに立ち直った。
本当に、人間の可能性なんて、誰にもわからない。
彼女が元気になるに連れて、術師が言うには「中のモノが出て気安い環境になって来た」らしい。
「なんだかね、彼女の祖父だって言う人が出て来ましたよ。でもね、おじいさんって格好じゃないの。若いのよ。でね、彼女に仏壇に線香上げるように言って下さいって言って、とっとこ帰って行っちゃったけど、誰?あれ」
誰ってだれよ?
その場に居合わせた一同、一瞬考えてから、いっせいに声を上げたね。父方の祖父が若くして亡くなっていてた事に気づいて。
義母曰く、彼女だけが何故かお線香を上げてなかったのだそうだ。母や娘達は欠かさず上げるのに。
プライドの高い彼女も、さすがに苦笑して「気にはなってたんだけど」といい訳している。
それから毎朝上げているのかどうか知らないが、今日はその祖父の月命日だった。
過去帳を見直したら42歳で亡くなっている。お腹の中に居る時からの年齢を戒名に書くから、実際は今の義妹と同じ年だ。
こんな若くして、三人の幼い息子達を残して病気で逝かなくてはならなかった父方の祖父は、どんな気持ちで自分の死を受け入れたんだろうか。
術師は言う。
大きな声で経を唱える必要は無いと。
対岸の世界は穏やかな安らぎに包まれた静寂の世。こちら側の大声は、却って届かない。
ただ心の中で、先祖さんに感謝して手を合わせるだけでいいんだよ、と。
今ここに自分があるのは、先祖達が様々な困難を乗り越えて「血」を繋げて来てくれたが為。
私達の命は、長い年月を何代も何代も、血と魂を紡いで来た結果。
だから、ただそれだけの感謝の為に、仏壇に手を合わせて感謝する。
ただそれだけ。高いお符だも、高価な仏具も必要ない。
必要なのは感謝の心それだけ。
私が心身共にオカシクなって、死に取り憑かれていたのも41歳の頃だった。師父が絶不調だったのも39歳から41歳にかけてだった。
青年期から中年期に差し掛かる頃には、誰でも体調や運勢に変化が起こりやすくなる。だからこそ、今までの自分を振り返る為に色々な出来事が起こるのかも知れないよね。
死者は自分の話をしてもらい、生きている人達が自分を忘れないでいてくれる、それだけで安らかになれるのだと言う。
父方の祖父の話は、17年前に祖母が亡くなって以来、殆ど話された事はなかった。
長男だった義父の12歳の誕生日に亡くなった祖父。
関係者が殆ど亡くなっている今、色んな事が曖昧なままになってしまっている師父の家の事柄。あんまり深く物事を考えないで生きてきたこの家族達。
いつも私だけがキーキー言って煩がられていた。
術師の言う「あなたは、この家のジョイント」の意味がだんだん解って来たよ。だから本来の「丁稚」ヒロとの縁もすんなり修復して欲しいよ、じいちゃんよ。
こうやって、亡くなった人を話題にして、みんなが仲良く笑って過ごす。こういう何気ない日々がとても大切なんだと思う。
今日は彼岸の2日目だ。
彼岸の習慣も、佛教国多しと言えども、日本独自の習慣なんだけどねぇ。
帰って来てるよ、大挙して。(笑)
この二ヶ月半の間に、文字通り生死の境をくぐり抜けて、とりあえずの小康状態が、もう二週間にもなって来た。
一時はげっそりとコケた頬も、今では丸々ツヤツヤで、以前の元気だった頃のようだ。
術師が「あの母ちゃんに会いたくない」と駄々をこねて休んだ一週間の間にブワッと太ったのだ。
その間一度のめまいや吐き気も起こさず、良く食べ良く出し、筋力が落ちると困ると言って軽いストレッチ運動まで出来る迄に回復して来た。
むくみが出たのかとも思ったが、訪問診療してくれている医師の話では問題なしとの事。
大学病院で「手遅れです。これ以上悪くはなっても、良くはなりません」と言われた人が、二ヶ月後にはダイエットの心配をするまでに立ち直った。
本当に、人間の可能性なんて、誰にもわからない。
彼女が元気になるに連れて、術師が言うには「中のモノが出て気安い環境になって来た」らしい。
「なんだかね、彼女の祖父だって言う人が出て来ましたよ。でもね、おじいさんって格好じゃないの。若いのよ。でね、彼女に仏壇に線香上げるように言って下さいって言って、とっとこ帰って行っちゃったけど、誰?あれ」
誰ってだれよ?
その場に居合わせた一同、一瞬考えてから、いっせいに声を上げたね。父方の祖父が若くして亡くなっていてた事に気づいて。
義母曰く、彼女だけが何故かお線香を上げてなかったのだそうだ。母や娘達は欠かさず上げるのに。
プライドの高い彼女も、さすがに苦笑して「気にはなってたんだけど」といい訳している。
それから毎朝上げているのかどうか知らないが、今日はその祖父の月命日だった。
過去帳を見直したら42歳で亡くなっている。お腹の中に居る時からの年齢を戒名に書くから、実際は今の義妹と同じ年だ。
こんな若くして、三人の幼い息子達を残して病気で逝かなくてはならなかった父方の祖父は、どんな気持ちで自分の死を受け入れたんだろうか。
術師は言う。
大きな声で経を唱える必要は無いと。
対岸の世界は穏やかな安らぎに包まれた静寂の世。こちら側の大声は、却って届かない。
ただ心の中で、先祖さんに感謝して手を合わせるだけでいいんだよ、と。
今ここに自分があるのは、先祖達が様々な困難を乗り越えて「血」を繋げて来てくれたが為。
私達の命は、長い年月を何代も何代も、血と魂を紡いで来た結果。
だから、ただそれだけの感謝の為に、仏壇に手を合わせて感謝する。
ただそれだけ。高いお符だも、高価な仏具も必要ない。
必要なのは感謝の心それだけ。
私が心身共にオカシクなって、死に取り憑かれていたのも41歳の頃だった。師父が絶不調だったのも39歳から41歳にかけてだった。
青年期から中年期に差し掛かる頃には、誰でも体調や運勢に変化が起こりやすくなる。だからこそ、今までの自分を振り返る為に色々な出来事が起こるのかも知れないよね。
死者は自分の話をしてもらい、生きている人達が自分を忘れないでいてくれる、それだけで安らかになれるのだと言う。
父方の祖父の話は、17年前に祖母が亡くなって以来、殆ど話された事はなかった。
長男だった義父の12歳の誕生日に亡くなった祖父。
関係者が殆ど亡くなっている今、色んな事が曖昧なままになってしまっている師父の家の事柄。あんまり深く物事を考えないで生きてきたこの家族達。
いつも私だけがキーキー言って煩がられていた。
術師の言う「あなたは、この家のジョイント」の意味がだんだん解って来たよ。だから本来の「丁稚」ヒロとの縁もすんなり修復して欲しいよ、じいちゃんよ。
こうやって、亡くなった人を話題にして、みんなが仲良く笑って過ごす。こういう何気ない日々がとても大切なんだと思う。
今日は彼岸の2日目だ。
彼岸の習慣も、佛教国多しと言えども、日本独自の習慣なんだけどねぇ。
帰って来てるよ、大挙して。(笑)
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