商品価値

2004年3月17日 エッセイ
昭和30年代、少女のヌードはかなりの価値を持っていた。

ただの裸が、である。

肉体が売りに出ていたら、それこそ10万でも買うオヤジはゴロゴロいたらしい。

当時のエロ本などを見ると、そんな感じに書いてある。

売り手の少女達は、大抵貧乏でお金に困ってやっていたか、あんまりお馬鹿さんで、事の重大性が解らずやっていたか、どちらかだったみたいだ。

映画「エロ事師」の中にも、知的障害の娘を売りに出している実の父親が登場するが、昔からおばはんよりも少女の方が商品価値が高かったのは事実。

いつの時代でも、10代は性への関心が高い。

付き合い始めた彼氏と何処まで行ったかが、上下関係にまで発展するグループがあったりした。

昔の田舎の、中学高校の話だがの。

知ったばかりのセックスの話で盛り上がっている時、彼女達の頭の中は「何か特別な事を知ってしまった、特別な私達」位に勘違いの妄想があったのかも知れない。

そんな時、彼女達の横のあぜ道を、鍬なんか担いで通り過ぎるお婆さんだって知っている事なんだとは、考えもしてなかったろうに。


身体は売っても、心までは売らない。とは、よく聞くセリフ。

だけど、買い手側に言わせると、心なんか欲しくはないんだそうな。

なんといっても、少女の肉体は商品価値が高い。

それをのこのこ売りに出している。それも安価で。

そんな安売りの女の心なんか、はなから欲しくは無い。自分を大切に出来ないバカ女の心を極力無視して、高く売れる筈の肉体を安く買って使い捨てる。

それがたまらない快感なのだと、買い手のオヤジ達は言うのだ。

昨日、何気にネット・サーフィンしてたら、何故か出会い系の携帯画像に行ってしまった。

驚くほど溢れている、素人少女達の裸。

昔なら、一枚1万円でも買いたい人が居ただろう、その素人の裸の写真。

今はもう誰も、そんな裸にお金は出さない。

自分で自分の価値を下げてしまう者に対しては。

いくら心は売らないとはいっても、買い手がつかなければどうするんだろうか。

いつか心を売りたいと思う日が来たとしたら、その時初めて知るのかも知れないね。

それが、そもそも売り買いする物では無いという事を。

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