通院日和
2004年1月18日義妹の通院に付き添って来た。
本当だったら今日はabc小姐と飲茶新年会の筈だったのにぃぃぃぃぃ。(T_T)
でもね、大好きなお姉ちゃんの事が心配で気の張り詰めた義弟の、奥さんの父親も癌でね。こっちの方が、もう今日か明日かってんだわ。
日曜日にそちらのお見舞いに行くから、一日だけ替わってくれないかって言われればねぇ。
「6年前、あんた達、寄ってたかって私を悪者にしたでしょっ」とは言えないよ。それに、そんな事もうどうでも良いし。
義妹は2年前、癌に罹った右乳房を全摘手術して取ってしまった。去年肺に転移してるのが判って再び抗がん剤の投与が始まり、ここの所落ち着いて来たばかりだったのだ。
先週脳への転移が判明した時、彼女にはそれとなく事実を伝えたとの事。
それでも余命何年なんていう、医師サイドのデータなんか知る必要も無いから、言わない。
人の細胞の可能性なんて、神のみぞ知るだ。
今日の通院は癌細胞に対する処置ではなく、脳の腫れを引かせる為のもの。
強いステロイド剤を点滴して腫れを落ち着かせるのだが、本人がヨロけて歩くのも大変なので、タクシーよりは付き添いが必要。
三日間続く点滴の、今日が最終日だった。
「すいません。すいません」
小さな声で恐縮している彼女の、一体何処にあの傲慢かましが潜んでいたんだろうか。
今もまだ彼女の中にいるんだろうか?
待合室に、同じように帽子を被ってマスクをしている初老の女性がいた。
「よく眉毛が抜けないわね、私なんか、書かなきゃのっぺらぼうよ」
「ホントにこんなになっちゃって、もう駄目よ、ダメ」
同じ病気の患者同士での励まし合いは、ピア・カウンセリングといって、とても有効とされている。
でも、往々にして、こういうマイナスの気を撒き散らしている人に出会うと、ガッカリすると共に、「修行だ〜」と思うのだ。
彼女にとっての修行が、まだまだつづくのかどうか判らない。
でも、人にはその人に合った修行が用意されているとしたら、逃げても逃げても、形を変えてやってくるだろう。
真正面で受け止めて、正々堂々と勝負が出来る時まで、しつこい程、何度も何度も。
その初老の女性は、師父の母に似ている。私の母にも似ている。abc小姐の母にも似ている。
会話している相手の言葉を聴いて飲み込むだけの余裕が無い。
「先ず私の話を、あなたは聞くのよっ」
という強いメッセージを秘めている口調。
その言葉の裏には、「私を可愛がってね」というメッセージも添えられているのだが、言っている本人には判らない。
義妹の様子は、少し落ち着いている様に見えた。でも、一生懸命に無理をして笑っているのかも知れない。
長女の頑張りは、時にとても痛々しい。
末っ子・我がまま・甘えん坊な私にとっては、何もそこまで頑張らなくてもと思うのだが、長女のそんな面を理解する事も、私の修行帳に記載されてるんだろうなぁ・・・。
義妹には娘が2人いる。上は高校生、下は中学生だ。
私達が病院から帰ると、長女がチャーハンを作って待っていてくれた。
彼女は彼女なりに、一生懸命母親の手助けをしていて健気だ。
次女はマイペース。この家のムード・メーカーだ。
師父の母は末っ子で、沢山の姉や兄に可愛がられて育った為に、とても自己中な人。
でも年を取り、自分を守ってくれていた人達が1人、また1人と亡くなり、自分の周りがとても「手薄」になってしまった事に、ようやく気づき始めた様だ。
友達でも家族でも、着かず離れずの「良い塩梅」な関係が大切だと思う。
私達の生きてる目的って、その事を学ぶ旅をする事なんじゃないのかなぁ・・・。
abc小姐にお詫びと報告の電話をしたら、彼女の母親もなんか具合が良くなくてお見舞いに行く事になったので、丁度よかったとの事。
今日は昨日の雪も殆ど残って居らず、暖かで過ごし易い日だったから、お見舞いや通院にはもって来いの日和だった。
ああ、日頃の行い侮れまじ。
そして、私達の旅は続く・・・・・。
本当だったら今日はabc小姐と飲茶新年会の筈だったのにぃぃぃぃぃ。(T_T)
でもね、大好きなお姉ちゃんの事が心配で気の張り詰めた義弟の、奥さんの父親も癌でね。こっちの方が、もう今日か明日かってんだわ。
日曜日にそちらのお見舞いに行くから、一日だけ替わってくれないかって言われればねぇ。
「6年前、あんた達、寄ってたかって私を悪者にしたでしょっ」とは言えないよ。それに、そんな事もうどうでも良いし。
義妹は2年前、癌に罹った右乳房を全摘手術して取ってしまった。去年肺に転移してるのが判って再び抗がん剤の投与が始まり、ここの所落ち着いて来たばかりだったのだ。
先週脳への転移が判明した時、彼女にはそれとなく事実を伝えたとの事。
それでも余命何年なんていう、医師サイドのデータなんか知る必要も無いから、言わない。
人の細胞の可能性なんて、神のみぞ知るだ。
今日の通院は癌細胞に対する処置ではなく、脳の腫れを引かせる為のもの。
強いステロイド剤を点滴して腫れを落ち着かせるのだが、本人がヨロけて歩くのも大変なので、タクシーよりは付き添いが必要。
三日間続く点滴の、今日が最終日だった。
「すいません。すいません」
小さな声で恐縮している彼女の、一体何処にあの傲慢かましが潜んでいたんだろうか。
今もまだ彼女の中にいるんだろうか?
待合室に、同じように帽子を被ってマスクをしている初老の女性がいた。
「よく眉毛が抜けないわね、私なんか、書かなきゃのっぺらぼうよ」
「ホントにこんなになっちゃって、もう駄目よ、ダメ」
同じ病気の患者同士での励まし合いは、ピア・カウンセリングといって、とても有効とされている。
でも、往々にして、こういうマイナスの気を撒き散らしている人に出会うと、ガッカリすると共に、「修行だ〜」と思うのだ。
彼女にとっての修行が、まだまだつづくのかどうか判らない。
でも、人にはその人に合った修行が用意されているとしたら、逃げても逃げても、形を変えてやってくるだろう。
真正面で受け止めて、正々堂々と勝負が出来る時まで、しつこい程、何度も何度も。
その初老の女性は、師父の母に似ている。私の母にも似ている。abc小姐の母にも似ている。
会話している相手の言葉を聴いて飲み込むだけの余裕が無い。
「先ず私の話を、あなたは聞くのよっ」
という強いメッセージを秘めている口調。
その言葉の裏には、「私を可愛がってね」というメッセージも添えられているのだが、言っている本人には判らない。
義妹の様子は、少し落ち着いている様に見えた。でも、一生懸命に無理をして笑っているのかも知れない。
長女の頑張りは、時にとても痛々しい。
末っ子・我がまま・甘えん坊な私にとっては、何もそこまで頑張らなくてもと思うのだが、長女のそんな面を理解する事も、私の修行帳に記載されてるんだろうなぁ・・・。
義妹には娘が2人いる。上は高校生、下は中学生だ。
私達が病院から帰ると、長女がチャーハンを作って待っていてくれた。
彼女は彼女なりに、一生懸命母親の手助けをしていて健気だ。
次女はマイペース。この家のムード・メーカーだ。
師父の母は末っ子で、沢山の姉や兄に可愛がられて育った為に、とても自己中な人。
でも年を取り、自分を守ってくれていた人達が1人、また1人と亡くなり、自分の周りがとても「手薄」になってしまった事に、ようやく気づき始めた様だ。
友達でも家族でも、着かず離れずの「良い塩梅」な関係が大切だと思う。
私達の生きてる目的って、その事を学ぶ旅をする事なんじゃないのかなぁ・・・。
abc小姐にお詫びと報告の電話をしたら、彼女の母親もなんか具合が良くなくてお見舞いに行く事になったので、丁度よかったとの事。
今日は昨日の雪も殆ど残って居らず、暖かで過ごし易い日だったから、お見舞いや通院にはもって来いの日和だった。
ああ、日頃の行い侮れまじ。
そして、私達の旅は続く・・・・・。
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