おみくじの妙
2004年1月12日昨日の続き話。
結局、その売り場に楽器店からの派遣社員としてヒロがいた訳でもなく、今年に入ってから私が妄想していた「まるで映画のような」再会のイベントは何もなかったのだが、折角来たので、明治神宮にも寄る事にして行ってみた。
休日の中日で地方や外国からの観光客がわんさかいて、砂利を踏むとすごく埃があがるのだが、風邪予防と称してマスクをしていたので助かった。
デイで音楽クラブをするようになってからは、寒い時には風邪を引いていなくいもマスクをする様にした。冷たい空気と乾燥で喉と肺を痛めるからだ。まぁ、そんなに病弱ではないんだけど、一応声を使う仕事をしているだけに、用心にこした事はないと思っての。
花粉症対策として、最近は使い捨てのマスクが出回っていて助かるし。
東京に住んで長いが、明治神宮に来るのはこれが二回目で、一度はしげじと4年前に来た。
前は、なんでか、ここには来たくなかった。時代的にすぐ近くの人を祭ってあるからとか、軍国主義を作った元締めが祭神だとか、理由を考えればキリがないのだが、縁が無かったのが、多分一番の理由。
しげじと来たのも、ここで行われたコンサートを見に来たのがそもそもだ。
その頃頭の中も心の中も、身体の中もグラグラユラユラしていた私は、なにかにすがりたかったのか、自分で判断するのが難しかったのか、よく占いをしていた。
それは、レンタル店でふと心に引っかかった作品を観る「ビデオ占い」とか、本屋や図書館でなにげに光って見える気のする本を読む「本占い」とかの、いわゆる「霊感占い」の類なのだが、おみくじもよく引いていた。
「陰陽道占いの法」なる本に出てくる占いには物凄い種類があって、こんなのイチイチやってたら普通の生活出来なくなりそうだと思うのだが、自分に合っているものを上手に使えば明日への活力にもなるし、へんな心の「癖」を考えるきっかけにもなる。
で、その頃引いたおみくじが、またよく私の心を表すわけだ。
☆待ち人・連絡あり。来ません。
この後、Fからヒロの仕事についての情報を貰った。
☆待ち人・支障があり来ません。
ヒロに借りていた小冊子を大きめの封筒に入れて返したら、そっくりその上に紙張って、私の住所書いて送り返すという人でなしの行為をやりやがった。さすがに思う所があったのか、数日後Kちゃんに「1人になって考えたいから旅に出る」と言い残す電話が入ったが、さてその後はどうなったのか知らない。
☆旅行良し。西の方良し。行きなさい。病回復すべし。
これで大阪に行く元気が出て、結果的にぼんぼん先生に会う事が出来て、今の私がいる。
などなど、もうその時々の私の心境を良く汲んでくれる答えが書いてあって、もう涙なみだ。だからおみくじは長い間廃れないで皆に支持されて、今に残ってる訳だね。
しげじが言うには、ここのは変わっているとか。
で、引いてみた。
出てきたのは、明治天皇と皇太后のありがたいお言葉集の中から選ばれた言葉。
このおみくじは、いつから此処で売られる様になったんだろね。
昭和も初めの頃なら、このおみくじ自体に「捧げー銃っ!!!」ってなりそうな言葉じゃ。(笑)
戦後だろうね、たぶん。
その時出たのは昭憲皇太后の言葉で、こう書かれてあった。
「糸巻きを解こうとして、間違って糸口を見失うと、もつれもつれて、遂には解きほぐす方法が無くなるものですよ。難しい問題はお互いの立場をよく理解して、自分の立場や行く道を間違えぬように、よく研究して、解決の糸口を見出しましょうね。」
おかあさま〜〜っ!!!!!
何というか、あまりにジャスト・ミートなお言葉に、ひれ伏して泣きたい気持ちだった。
昭憲皇太后と言う人は、「貞女の鏡・日本の母」と慕われた人だとかで、今だに「お慕いもうしている」人達も多いとか。明治神宮を参拝する人の中には、カトリックが聖マリア教会に行くような気持ちで「お母様」に会いに行く人もいるらしい。
はぁぁぁぁ、ホントにね、良く考えないと。この4年間は、この言葉と向き合ってすごしていたと言っても過言ではない。
お互いの立場、行く道・・・・・。
で、今回も引いてみる。
此処の所、すっかり「霊感占い」の類からは遠のいていたのだが、今日のような事があった日には、やっぱり引きたくなる。
出たのは明治天皇の言葉でこう書かれていた。
「物事を成し遂げるまでには、人によって遅い早いの違いはあっても、誠実な心さえあれば、必ず成し遂げられます。誠実こそが、成功の鍵なのですよ。」
おとうさま〜〜。!!! (ToT)
一体、私はいつから、こんな素直に親の言うことを聞く子供になったんだ ?
結局、その売り場に楽器店からの派遣社員としてヒロがいた訳でもなく、今年に入ってから私が妄想していた「まるで映画のような」再会のイベントは何もなかったのだが、折角来たので、明治神宮にも寄る事にして行ってみた。
休日の中日で地方や外国からの観光客がわんさかいて、砂利を踏むとすごく埃があがるのだが、風邪予防と称してマスクをしていたので助かった。
デイで音楽クラブをするようになってからは、寒い時には風邪を引いていなくいもマスクをする様にした。冷たい空気と乾燥で喉と肺を痛めるからだ。まぁ、そんなに病弱ではないんだけど、一応声を使う仕事をしているだけに、用心にこした事はないと思っての。
花粉症対策として、最近は使い捨てのマスクが出回っていて助かるし。
東京に住んで長いが、明治神宮に来るのはこれが二回目で、一度はしげじと4年前に来た。
前は、なんでか、ここには来たくなかった。時代的にすぐ近くの人を祭ってあるからとか、軍国主義を作った元締めが祭神だとか、理由を考えればキリがないのだが、縁が無かったのが、多分一番の理由。
しげじと来たのも、ここで行われたコンサートを見に来たのがそもそもだ。
その頃頭の中も心の中も、身体の中もグラグラユラユラしていた私は、なにかにすがりたかったのか、自分で判断するのが難しかったのか、よく占いをしていた。
それは、レンタル店でふと心に引っかかった作品を観る「ビデオ占い」とか、本屋や図書館でなにげに光って見える気のする本を読む「本占い」とかの、いわゆる「霊感占い」の類なのだが、おみくじもよく引いていた。
「陰陽道占いの法」なる本に出てくる占いには物凄い種類があって、こんなのイチイチやってたら普通の生活出来なくなりそうだと思うのだが、自分に合っているものを上手に使えば明日への活力にもなるし、へんな心の「癖」を考えるきっかけにもなる。
で、その頃引いたおみくじが、またよく私の心を表すわけだ。
☆待ち人・連絡あり。来ません。
この後、Fからヒロの仕事についての情報を貰った。
☆待ち人・支障があり来ません。
ヒロに借りていた小冊子を大きめの封筒に入れて返したら、そっくりその上に紙張って、私の住所書いて送り返すという人でなしの行為をやりやがった。さすがに思う所があったのか、数日後Kちゃんに「1人になって考えたいから旅に出る」と言い残す電話が入ったが、さてその後はどうなったのか知らない。
☆旅行良し。西の方良し。行きなさい。病回復すべし。
これで大阪に行く元気が出て、結果的にぼんぼん先生に会う事が出来て、今の私がいる。
などなど、もうその時々の私の心境を良く汲んでくれる答えが書いてあって、もう涙なみだ。だからおみくじは長い間廃れないで皆に支持されて、今に残ってる訳だね。
しげじが言うには、ここのは変わっているとか。
で、引いてみた。
出てきたのは、明治天皇と皇太后のありがたいお言葉集の中から選ばれた言葉。
このおみくじは、いつから此処で売られる様になったんだろね。
昭和も初めの頃なら、このおみくじ自体に「捧げー銃っ!!!」ってなりそうな言葉じゃ。(笑)
戦後だろうね、たぶん。
その時出たのは昭憲皇太后の言葉で、こう書かれてあった。
「糸巻きを解こうとして、間違って糸口を見失うと、もつれもつれて、遂には解きほぐす方法が無くなるものですよ。難しい問題はお互いの立場をよく理解して、自分の立場や行く道を間違えぬように、よく研究して、解決の糸口を見出しましょうね。」
おかあさま〜〜っ!!!!!
何というか、あまりにジャスト・ミートなお言葉に、ひれ伏して泣きたい気持ちだった。
昭憲皇太后と言う人は、「貞女の鏡・日本の母」と慕われた人だとかで、今だに「お慕いもうしている」人達も多いとか。明治神宮を参拝する人の中には、カトリックが聖マリア教会に行くような気持ちで「お母様」に会いに行く人もいるらしい。
はぁぁぁぁ、ホントにね、良く考えないと。この4年間は、この言葉と向き合ってすごしていたと言っても過言ではない。
お互いの立場、行く道・・・・・。
で、今回も引いてみる。
此処の所、すっかり「霊感占い」の類からは遠のいていたのだが、今日のような事があった日には、やっぱり引きたくなる。
出たのは明治天皇の言葉でこう書かれていた。
「物事を成し遂げるまでには、人によって遅い早いの違いはあっても、誠実な心さえあれば、必ず成し遂げられます。誠実こそが、成功の鍵なのですよ。」
おとうさま〜〜。!!! (ToT)
一体、私はいつから、こんな素直に親の言うことを聞く子供になったんだ ?
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