自分で自分にする仕事
2004年1月10日昨日、物凄いサイレンが一方方向に集まっているのを聞いた。
去年の火事騒ぎ以来、サイレンの音に敏感になっている。
おまけに午前中は時折物凄い突風が吹いていて、もし火事だったらエライ事になりそうな日だったし、友達の家の方角だったので急いで携帯メールをしてみた。
でもサイレンはそれっきり収まってしまったのでそのままにしていたら、午後お昼を食べている時に、その友達から返事が届いた。読んでびっくり、飛び込み自殺の救助のサイレンだったのだ。
最近救急車と消防車の違いも判らなくなっている・・・。カラオケでも原曲と違う風に勝手に曲作って歌ってるし・・・。
飛び込んだのは爺さんだが、ナント電車の真下に入ってしまい(?)無傷だったとか。
はぁ〜、自分で死にたいと思っても、本当にやる事が終わらないと死ねないもんだなぁ。
ぼんぼん先生の事を思う時、本当にその思いを強くする。
私は2000年の春と2002年の春の二回、先生の鍼治療を受けた。
最初の時は「三回打てばいいやろな」と先生が当たりをつけて打ち、四回目は駄目押しの為、そして五回目は、調子の良くなった私が調子に乗りすぎて深夜バスに乗り遅れ、あまりの元気でマヌケな姿を笑ってもらおうと、翌日ティダさんにくっ付いて行き、オマケで打ってもらった。
鍼を打つ前の、よどんだ、絵に書いたような「イカレた人」が嘘みたいだったっけ。
そして、後は東京でやってもらいなさいと言われたので、師父の兄弟弟子の中で鍼灸院を開業している人の所に一ヶ月に一回から二回の割合で、一年半通った。
そして2001年も暮れるという頃になって、何となく身体が「もういいでしょう」とまるで水戸黄門の8時45分みたいな事を言うので、東京の先生にその事を伝えると、彼はにこにこしながら「身体がそう言うのなら、それが正解ですよ。また必要になったらいらっしゃい」とおっしゃって下さり、私の鍼通いは終わった。
そういうもんかなぁ、と思いながらも、2002年に又ぼんぼん先生の鍼を打ってもらおうと思って訪ねると、先生から「もう、僕の役目は終わりました」と言われてしまったのだった。
「そんな事言わないで、折角はるばる来たんだから、なんかして下さい」と頼んで打ってもらったのだが、その時先生は「前と同じに一度打ってみるから、自分で確認してみ」と言う。
確かに、きつかった。なにがキツイかというと、本来鍼を打つと身体の緊張がゆるんでズーンと沈んでいく感覚がするのだ。これは身体中で頑張っていた力が抜けて自分の肉体の重さを感じ始める為だ。
でも、この鍼では軽くなってしまっている。
「上に、上にいっとります・・ってば・・」
身体の中から震えが来て抜け出そうで、チョツトやばい感じがする。
「なっ、飛びそうやろ。浅くしますよ。ほれ、どないだす?」
少し鍼の深さを調節してもらうと、す〜っと身体の感覚が戻ってきた。
「なっ、基本的にはもう鍼の助けはいらんのよ。身体はよう知ってはるで。あとは自分で治してください。僕にはもっと重症の人がまってますから」
だって・・・。(T_T)
でもその時に、まだ胸に何かが残っている気がして訴えると、先生はにっこり笑って「そりゃここじゃ。ようやく来たでぇ、狙い撃ちっ」と言いながら胸の真ん中あたりのツボにブッと刺して他の患者の所に行ってしまった。
たしかに、そこだけは鍼を拒否していて、中から押し出そうとしている感じだったのだ。そこは今まで打った事のないツボでもあった。でも、その時に打ってもらってからは、ゆるゆると開いていくのを感じる。現在進行中だ。
ゆるゆるとだが、確かに。
OPEN YOUR HEART
胸を開く 腹を割る
胸大男人大丈夫
胸が大きく開くというのは、多くの国でも褒め言葉としてあるらしい。
恋をして、胸がキュンと痛くなる、あのあたりに心のツボがあるらしい。
薬でも鍼でも、一生やり続けなければならないものなど、ないんじゃなかろうか。
よく「漢方薬だから副作用はない」などと言う人がいるけど、ありゃ大きな間違いで、良く効く薬は良く効く毒でもある訳だし。
バランスの問題だ。さじ加減で生にも死にもなる。
師父は繊細な人で、潰瘍性大腸炎という持病を持っている。これは以前国の難病指定にされていたのだが、師父がこの病気を告知された月に難病指定からはずされてしまった。
患者数が多くなりすぎた事と、それに伴って治療薬等が増えた為なんだろか。とにかく病院でその告知ポスターを見た時には、「難病指定からはずされると治療費が大変だ・・・」と思った覚えがある。
この病気は、一度罹ると一生薬を飲み続けなければならないといわれた病気だ。膠原病や糖尿病と同じく。
実際に、とても重篤な症状で入退院を繰り返す様になる人も多い。
でも師父の診断をした胃腸内科の専門医は、毅然とした態度でこう言い切ったのだ。
「この病気は、薬と縁の切れる病気です。現に今の時点で5人、縁が切れてます。あなたを6人目にしたい。出来ますか?」
師父も日頃から己の心の闇と戦っている男だ、それに元々格闘魂が旺盛なので、主治医の言葉にガシッと受けて立ったのだった。
「やりますよっ」
何事もそうなのだか、どんな人に出会うかで、その先の人生がガラリと変わってしまう。
その医師の話では、師父の病状は、内視鏡で見た時点で即入院、点滴、絶食して栄養剤注入、という状態だったのだという。もともと筋肉質でスラリと細身の人が三ヶ月で10キロ近く体重が落ちたのだから、当たり前だったろう。
「今すぐは入院の準備が出来ないので、一週間この薬を飲んで様子をみましょう。一番良く効く薬ですから、しっかり飲んで、安静にしていてください」
次に行く時は入院だ、と腹をくくって一週間を過ごした。
で、一週間後。
病院にいく前に体重を量ったら3キロ増えていたので、それを報告すると、医師は笑いながらこう言ったのだ。
「実は、あの薬は一番軽い薬なんです。本来あれだけの症状にはとても間に合わない薬なんですよ。でも実際は効いてて、体重も戻ってきている。大丈夫、治りますよ。私にしても賭けでしたが、師父なら出来ると思いました。よかったですね」
病は気から。
気が全てを支配している。
でもなかなか、自分で自由に出来ないのも、この「気」なんだよなぁ、これが。
よくよく、自分と対話して、自分に正直に、自分の気を汚さないようにしましょうね。
師父は、おかげさまで、本当に薬を飲まなくても元気で暮せている。
身体の中に暴れ者のペットを飼っていると思って、無理をしないように注意しながら、毎日を送っている。
自分を治せるのは、本当に自分しかいないんだよ。
でも、その道のりが長い人、短い人、色々、だから焦らないが一番だね。
去年の火事騒ぎ以来、サイレンの音に敏感になっている。
おまけに午前中は時折物凄い突風が吹いていて、もし火事だったらエライ事になりそうな日だったし、友達の家の方角だったので急いで携帯メールをしてみた。
でもサイレンはそれっきり収まってしまったのでそのままにしていたら、午後お昼を食べている時に、その友達から返事が届いた。読んでびっくり、飛び込み自殺の救助のサイレンだったのだ。
最近救急車と消防車の違いも判らなくなっている・・・。カラオケでも原曲と違う風に勝手に曲作って歌ってるし・・・。
飛び込んだのは爺さんだが、ナント電車の真下に入ってしまい(?)無傷だったとか。
はぁ〜、自分で死にたいと思っても、本当にやる事が終わらないと死ねないもんだなぁ。
ぼんぼん先生の事を思う時、本当にその思いを強くする。
私は2000年の春と2002年の春の二回、先生の鍼治療を受けた。
最初の時は「三回打てばいいやろな」と先生が当たりをつけて打ち、四回目は駄目押しの為、そして五回目は、調子の良くなった私が調子に乗りすぎて深夜バスに乗り遅れ、あまりの元気でマヌケな姿を笑ってもらおうと、翌日ティダさんにくっ付いて行き、オマケで打ってもらった。
鍼を打つ前の、よどんだ、絵に書いたような「イカレた人」が嘘みたいだったっけ。
そして、後は東京でやってもらいなさいと言われたので、師父の兄弟弟子の中で鍼灸院を開業している人の所に一ヶ月に一回から二回の割合で、一年半通った。
そして2001年も暮れるという頃になって、何となく身体が「もういいでしょう」とまるで水戸黄門の8時45分みたいな事を言うので、東京の先生にその事を伝えると、彼はにこにこしながら「身体がそう言うのなら、それが正解ですよ。また必要になったらいらっしゃい」とおっしゃって下さり、私の鍼通いは終わった。
そういうもんかなぁ、と思いながらも、2002年に又ぼんぼん先生の鍼を打ってもらおうと思って訪ねると、先生から「もう、僕の役目は終わりました」と言われてしまったのだった。
「そんな事言わないで、折角はるばる来たんだから、なんかして下さい」と頼んで打ってもらったのだが、その時先生は「前と同じに一度打ってみるから、自分で確認してみ」と言う。
確かに、きつかった。なにがキツイかというと、本来鍼を打つと身体の緊張がゆるんでズーンと沈んでいく感覚がするのだ。これは身体中で頑張っていた力が抜けて自分の肉体の重さを感じ始める為だ。
でも、この鍼では軽くなってしまっている。
「上に、上にいっとります・・ってば・・」
身体の中から震えが来て抜け出そうで、チョツトやばい感じがする。
「なっ、飛びそうやろ。浅くしますよ。ほれ、どないだす?」
少し鍼の深さを調節してもらうと、す〜っと身体の感覚が戻ってきた。
「なっ、基本的にはもう鍼の助けはいらんのよ。身体はよう知ってはるで。あとは自分で治してください。僕にはもっと重症の人がまってますから」
だって・・・。(T_T)
でもその時に、まだ胸に何かが残っている気がして訴えると、先生はにっこり笑って「そりゃここじゃ。ようやく来たでぇ、狙い撃ちっ」と言いながら胸の真ん中あたりのツボにブッと刺して他の患者の所に行ってしまった。
たしかに、そこだけは鍼を拒否していて、中から押し出そうとしている感じだったのだ。そこは今まで打った事のないツボでもあった。でも、その時に打ってもらってからは、ゆるゆると開いていくのを感じる。現在進行中だ。
ゆるゆるとだが、確かに。
OPEN YOUR HEART
胸を開く 腹を割る
胸大男人大丈夫
胸が大きく開くというのは、多くの国でも褒め言葉としてあるらしい。
恋をして、胸がキュンと痛くなる、あのあたりに心のツボがあるらしい。
薬でも鍼でも、一生やり続けなければならないものなど、ないんじゃなかろうか。
よく「漢方薬だから副作用はない」などと言う人がいるけど、ありゃ大きな間違いで、良く効く薬は良く効く毒でもある訳だし。
バランスの問題だ。さじ加減で生にも死にもなる。
師父は繊細な人で、潰瘍性大腸炎という持病を持っている。これは以前国の難病指定にされていたのだが、師父がこの病気を告知された月に難病指定からはずされてしまった。
患者数が多くなりすぎた事と、それに伴って治療薬等が増えた為なんだろか。とにかく病院でその告知ポスターを見た時には、「難病指定からはずされると治療費が大変だ・・・」と思った覚えがある。
この病気は、一度罹ると一生薬を飲み続けなければならないといわれた病気だ。膠原病や糖尿病と同じく。
実際に、とても重篤な症状で入退院を繰り返す様になる人も多い。
でも師父の診断をした胃腸内科の専門医は、毅然とした態度でこう言い切ったのだ。
「この病気は、薬と縁の切れる病気です。現に今の時点で5人、縁が切れてます。あなたを6人目にしたい。出来ますか?」
師父も日頃から己の心の闇と戦っている男だ、それに元々格闘魂が旺盛なので、主治医の言葉にガシッと受けて立ったのだった。
「やりますよっ」
何事もそうなのだか、どんな人に出会うかで、その先の人生がガラリと変わってしまう。
その医師の話では、師父の病状は、内視鏡で見た時点で即入院、点滴、絶食して栄養剤注入、という状態だったのだという。もともと筋肉質でスラリと細身の人が三ヶ月で10キロ近く体重が落ちたのだから、当たり前だったろう。
「今すぐは入院の準備が出来ないので、一週間この薬を飲んで様子をみましょう。一番良く効く薬ですから、しっかり飲んで、安静にしていてください」
次に行く時は入院だ、と腹をくくって一週間を過ごした。
で、一週間後。
病院にいく前に体重を量ったら3キロ増えていたので、それを報告すると、医師は笑いながらこう言ったのだ。
「実は、あの薬は一番軽い薬なんです。本来あれだけの症状にはとても間に合わない薬なんですよ。でも実際は効いてて、体重も戻ってきている。大丈夫、治りますよ。私にしても賭けでしたが、師父なら出来ると思いました。よかったですね」
病は気から。
気が全てを支配している。
でもなかなか、自分で自由に出来ないのも、この「気」なんだよなぁ、これが。
よくよく、自分と対話して、自分に正直に、自分の気を汚さないようにしましょうね。
師父は、おかげさまで、本当に薬を飲まなくても元気で暮せている。
身体の中に暴れ者のペットを飼っていると思って、無理をしないように注意しながら、毎日を送っている。
自分を治せるのは、本当に自分しかいないんだよ。
でも、その道のりが長い人、短い人、色々、だから焦らないが一番だね。
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