上なる天 下なる天

2003年12月13日
今はあまり見る事がなくなったが、体調が絶不調で鬱状態が続いていた時は、とんでもなくバラエティに飛んだ、映画の様に鮮明な夢を沢山見ていた。

もう十年以上「夢日記」をつけているのだが、体調不良の1999年〜2002年版は「ミステリーアワー」とかの番組で使えるんじゃないかと思う程、つじつまの合う物語が展開されていた。


第一話・第二話・続編・番外篇って感じに。

脳みそが、完全にどうかしていたんだな。きっと。

その中によく出て来たシリーズ物があって、「地下に降りる」と「二階よりも上の階に登る」という、建物に関するものだった。

下は無意識。上は意識している物 ?

違う違う。

下は感情。自分でも気づいていない素直な感情。そして上はわかっているのに、見ようとしない無意識の領域。

そうなのか。

地下に降りていくと、必ず「地下名店街」が有ったのはそういう理由からか・・・。


美味しそうなケーキ屋とかね。
食欲は性欲に通ず。


ぐぅぅぅぅ。そうだよな・・・。その地下名店街で、ヒロとよく何かを楽しそうに食べてたもんね・・・。


・・・・・・・・・。


で、上は自分でも気づいていない、自分の感情や思い。



昔から割とニ〜三階の瓦屋根から落ちたりする夢は多かったのだが、2000年の春に鍼を打って、自立訓練を毎日欠かさずするようになってからは、まだ上に有る、まだその上に部屋がある。と言う感じに、建物が高く高くなっていった。

というか、高い事に気づいたのだな。


階段にガラクタが山積みで登れず、窓から外に出て、非常梯子(階段ではない)を伝って登って行った夢もある。


その時漸く最上階の部屋に辿り着いたと思ったら、そこで友達が宴会してて、さらに、その奥の部屋からも楽しそうな音楽や話し声が聞こえて来る。


だけども、どうした事かそのドアが開けられず、ドアの下から漏れている金色の光を見つめていたり。



私の無意識には、まだまだ隠し部屋が沢山あったのだわな。



鍼と自立訓練の効果の出始め身体の緊張が緩み始めた頃からは、スイスイ登るとかに変化して行ったのだが、一つとても印象的なのがあった。


二階三階と、建物の内部に査察団が入るのだ。全員黒スーツでダンボール持って、各階の部屋の書類を調べている。


廊下では、部屋を追い出された人達が、これまた宴会をしている。楽しそうに・・・。


そして、その時、私の目の端に、さらにその上に行く階段が薄暗い闇の中に見え、何者かがサッと駆け上がっていくのが見えたのだ。

奴はまた逃げたか、でも「足」は見えたぞ。


起き抜けに夢日記を書きながら、何となくそう確信したのだった。


感情は押し殺していると、本当に心が死んでしまう。


葛藤と向き合うのは、とても難しい。


誰もが、自分が思い描いている自分しか見ていなければ、心の固まった人しか居ない世の中になってしまう。


葛藤と真正面からぶつかり、今ある自我を壊さない限り、いくら先に進もうとしても、結局最初につまずいた場所に戻ってしまうのだ。

頭で考えているうちは、なにもしないのと同じ。
感情に寄り添って、感情の訴えに耳を傾けよう。

自分は、ほんとうは何がしたいんだ、と。

******本のしおりのことば*****

愛するという事は、我らが互いを見つめ合う事ではなく、共に同じ方向を見つめる事だ。

      by サン・テグジュペリ





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