国際エクソシスト協会名誉会長の神父は、日に10件も悪魔を祓う。
2003年12月7日ローマ・カトリックのアモス神父は、国際エクソシスト協会名誉会長で、今も1日に10件の悪魔祓いをしていると今日の読売新聞で読んだが、彼は今までに五万人以上の人から悪魔を祓った経験を持つという。
友達の陰陽師も魔を祓う。
国によってそれぞれに言われる「魔物」とは、本来、何を意味するものなんだろか。
「古事記」では国作りのさいに、イザナギ・イザナミの男女の神様が、「私の出っ張った所を、あなたのへこんだ所にはめ込んでちょうど良いものになろうではないか。子を作ろうではないか」と、なんとも直接的でエツチィな誘い文句で合体し、日本の国土を作ったとある。
四国や佐渡、九州はいいとして、北海道は角が当って痛かったろうな。本州はさぞや難産で時間が掛かったろうし、江ノ島は生んだ事もわかんないほどツルポロだったかも。
と、古事記を読みながら思ったおバカな私。
で、奥様のイザナミは幾多のお産の後に、火の神を生み、その時のおまたの火傷が元で死んでしまい、黄泉の国に行ったとある。
其処にはすでに「鬼」の一族がいて、今言うところの「魔族」がすでに存在していると書かれている。
天照大神とスサノオ、月読みの三人の神様が生まれる前の話。
神社仏閣は時の政権の影響を大きく受けて、衰退したり繁栄したりした。
今奉られている多くが、徳川政権の影響を強く残しているが、やはり日本の国と神社イコール天皇家との関係は外す事が出来ない。
私は別に天皇崇拝でもなんでもないので、この話は出来れば避けて通りたい。
で、ポポポ〜っと避ける事にして、次に行く事にする。
つまりは、今「神」と祭られている方達が現れる前から、「魔族」はすでにいたという事だ。
アダムとイブだって、ヘビに化けた悪魔にそそのかされて「知識のリンゴ」を食べた。
人がまだ裸でぽ〜っとしている時に、悪魔はすでに頭のいい状態で存在していた。という。
ルシファーという悪魔は、神を愛しすぎた為に悪魔になった大天使。
表という字に屋根を乗せて、窓をつければ「裏」になる。
日本語の「裏」は何となく「後ろ側」の様な印象を与える言葉が多いが、中国語で裏面といえば、完全に「IN SIDE」の意。
表裏一体。
天才とは、すなわち完全なる白痴。
「あたしゃ、何でも知ってるだで」と嘘ぶく師父の母は、まだ幼い孫からも「お婆ちゃんって何にも知らないんだよ」とすっかり見破られている。
あっ、悪口いっちった。でも誰も本人には言わないよ。かわいそうだし、もうどうでもいいし。
もとい
神父は悪魔を祓う時、先ず名乗らせるのだという。
様々な名前を、憑かれている人とは違う声で答えるらしい。
悪魔は自分を知って欲しい。だからその名を答える。
悪魔は自分を理解して欲しい、だから暴れる。
悪魔は何処からかくるのではなく、人が人に成る前からすでに其処にいたもの。
賢明な神父はカトリックの立場から、多くを語らず、「悪魔祓いは、祈り」とだけ言った。
祈りの言葉は美しい。
讃え、崇め、愛し、慈しみ、そして望む。
受け入られる事を望み、他人を理解しようとする言葉。
声明やお題目の意味などわからなくてかまわないと、ある坊さんは笑いながら言った。
心のこもった響きに、音に反応すればいいのだそうだ。
美しい祈りの言葉は、この世の生き物全ての細胞を活性化させる。
切花も、毎日綺麗だね〜と声をかけいてれば長持ちする。根の有る鉢植えだって罵声を浴びせつづければ、いくら水をやり面倒をみたって枯れる。
細胞は、魂は、呪いの言葉には、負の反応をするという事だろう。
私は母親の「お前なんか要らない。死ねばいい」という言葉に自分の魂が苦しんでいる事も判らず、自死しようとする細胞を抱えながら40年も生き難い人生を生きた。
あなたなんか要らない。という言葉は、たとえ思っていても、それが自分の本音であったとしても、直接受ける側の事を思う、気がつく事が出来れば、口が裂けてもいえない言葉だと思う。形を変えて言うだけの努力をする気使いをしたほうが良いと思う。
それは、音の響きを愛し、魂の不変を願う人がするべき事ではないでしよう。
悲しくて悲しくて、私は母に、言葉を放ったその本人に謝ってほしかった。
でも、それ以前に母にその負の言葉を放った人は、すでに死んでいる。
頑なな母は70歳を過ぎてから、漸く詫びの言葉を口に出来るようになったけど、同時に、自分がされた事も理解出来るようになって来た。
私達は、これから母が死ぬまで、この話を折に触れ語りあうだろう。
そして、お互いの身体を、心を気遣う言葉を掛け合うだろう。
神父の心のこもった祈りの言葉に、悪魔はその人から離れ、もといた所に戻るという。
悪魔はどこからか突然来るのではない。
自分で心の中に「呼ぶ」のだ。
人は自分の呼んだ悪魔に支配されている時、多分、他人の心など気にもならないだろう。自分が「魔」に支配されている事もわからないかも知れない。
だから、エクソシストや陰陽師が不要になる事は、これからも無いと思うのだ。
神父も高齢なのに「引退できない」とおっしゃっていた。
大変な人生だ・・・。
友達の陰陽師も魔を祓う。
国によってそれぞれに言われる「魔物」とは、本来、何を意味するものなんだろか。
「古事記」では国作りのさいに、イザナギ・イザナミの男女の神様が、「私の出っ張った所を、あなたのへこんだ所にはめ込んでちょうど良いものになろうではないか。子を作ろうではないか」と、なんとも直接的でエツチィな誘い文句で合体し、日本の国土を作ったとある。
四国や佐渡、九州はいいとして、北海道は角が当って痛かったろうな。本州はさぞや難産で時間が掛かったろうし、江ノ島は生んだ事もわかんないほどツルポロだったかも。
と、古事記を読みながら思ったおバカな私。
で、奥様のイザナミは幾多のお産の後に、火の神を生み、その時のおまたの火傷が元で死んでしまい、黄泉の国に行ったとある。
其処にはすでに「鬼」の一族がいて、今言うところの「魔族」がすでに存在していると書かれている。
天照大神とスサノオ、月読みの三人の神様が生まれる前の話。
神社仏閣は時の政権の影響を大きく受けて、衰退したり繁栄したりした。
今奉られている多くが、徳川政権の影響を強く残しているが、やはり日本の国と神社イコール天皇家との関係は外す事が出来ない。
私は別に天皇崇拝でもなんでもないので、この話は出来れば避けて通りたい。
で、ポポポ〜っと避ける事にして、次に行く事にする。
つまりは、今「神」と祭られている方達が現れる前から、「魔族」はすでにいたという事だ。
アダムとイブだって、ヘビに化けた悪魔にそそのかされて「知識のリンゴ」を食べた。
人がまだ裸でぽ〜っとしている時に、悪魔はすでに頭のいい状態で存在していた。という。
ルシファーという悪魔は、神を愛しすぎた為に悪魔になった大天使。
表という字に屋根を乗せて、窓をつければ「裏」になる。
日本語の「裏」は何となく「後ろ側」の様な印象を与える言葉が多いが、中国語で裏面といえば、完全に「IN SIDE」の意。
表裏一体。
天才とは、すなわち完全なる白痴。
「あたしゃ、何でも知ってるだで」と嘘ぶく師父の母は、まだ幼い孫からも「お婆ちゃんって何にも知らないんだよ」とすっかり見破られている。
あっ、悪口いっちった。でも誰も本人には言わないよ。かわいそうだし、もうどうでもいいし。
もとい
神父は悪魔を祓う時、先ず名乗らせるのだという。
様々な名前を、憑かれている人とは違う声で答えるらしい。
悪魔は自分を知って欲しい。だからその名を答える。
悪魔は自分を理解して欲しい、だから暴れる。
悪魔は何処からかくるのではなく、人が人に成る前からすでに其処にいたもの。
賢明な神父はカトリックの立場から、多くを語らず、「悪魔祓いは、祈り」とだけ言った。
祈りの言葉は美しい。
讃え、崇め、愛し、慈しみ、そして望む。
受け入られる事を望み、他人を理解しようとする言葉。
声明やお題目の意味などわからなくてかまわないと、ある坊さんは笑いながら言った。
心のこもった響きに、音に反応すればいいのだそうだ。
美しい祈りの言葉は、この世の生き物全ての細胞を活性化させる。
切花も、毎日綺麗だね〜と声をかけいてれば長持ちする。根の有る鉢植えだって罵声を浴びせつづければ、いくら水をやり面倒をみたって枯れる。
細胞は、魂は、呪いの言葉には、負の反応をするという事だろう。
私は母親の「お前なんか要らない。死ねばいい」という言葉に自分の魂が苦しんでいる事も判らず、自死しようとする細胞を抱えながら40年も生き難い人生を生きた。
あなたなんか要らない。という言葉は、たとえ思っていても、それが自分の本音であったとしても、直接受ける側の事を思う、気がつく事が出来れば、口が裂けてもいえない言葉だと思う。形を変えて言うだけの努力をする気使いをしたほうが良いと思う。
それは、音の響きを愛し、魂の不変を願う人がするべき事ではないでしよう。
悲しくて悲しくて、私は母に、言葉を放ったその本人に謝ってほしかった。
でも、それ以前に母にその負の言葉を放った人は、すでに死んでいる。
頑なな母は70歳を過ぎてから、漸く詫びの言葉を口に出来るようになったけど、同時に、自分がされた事も理解出来るようになって来た。
私達は、これから母が死ぬまで、この話を折に触れ語りあうだろう。
そして、お互いの身体を、心を気遣う言葉を掛け合うだろう。
神父の心のこもった祈りの言葉に、悪魔はその人から離れ、もといた所に戻るという。
悪魔はどこからか突然来るのではない。
自分で心の中に「呼ぶ」のだ。
人は自分の呼んだ悪魔に支配されている時、多分、他人の心など気にもならないだろう。自分が「魔」に支配されている事もわからないかも知れない。
だから、エクソシストや陰陽師が不要になる事は、これからも無いと思うのだ。
神父も高齢なのに「引退できない」とおっしゃっていた。
大変な人生だ・・・。
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